昔を追う
「どこですか?」
「ええと……ルト様がここで勉強していたころに行ってた場所が見たいんです、学校? とか、そういう」
わたしのお願いが意外だったらしく、ルト様はきょとんとした顔を見せた。
まあ、学校とかは、いきなり行っても見学できないかもだけど、外側だけでもいいから眺めてみたい。
そういったことを伝えると、やっぱり不思議そうな顔のまま、
「……あまり面白いものではないと思いますが」
本当にそういう場所でいいんですか、と問いかけられたが、ぜひ見てみたいとさらに言いつのった。
ルト様はぴんとこないみたいだけど、お祖父様から話を聞いたりしたし、今のルト様になった欠片を知りたいと思うのは、そう不思議なことじゃないはずだ。
……でも多分ルト様は、そういう感覚になる機会がなかったんだろう。
それを考えると、複雑なものがあるけれど。
わたしが再三お願いすると、わかりました、と歩きはじめてくれた。
少し距離があるそうで、途中で馬車を拾って行くことになった。
バスほどちゃんとした時刻表で動くわけじゃないけれど、大体決まった位置を回っているらしい。
慣れた様子で行き先を告げるルト様だけど、伝えたのは番地みたいなもの。
こういう辻馬車が停まれるところもある程度決まっているらしい。
学校ならすぐ近くに停留所があるんじゃないかと思ったけど、貴族が行く場所だから逆にないらしい。
安全面とか、そもそもみんな自前の馬車で行くからだとか、セレブだ……
しばらくして到着した停留所から、案内されて歩いていった先は、煉瓦造りのいかにもな建物。
「ここが学校ですか?」
わたしが訊ねると、ええ、とうなずきが返ってくる。
貴族の子女が通うのは、大抵ここらしい。
いまいちな成績でも卒業できるってあたりが貴族だなぁって感じだけど、決して手抜きをしているわけじゃなく、ちゃんとサポートも充実しているそうだ。
勿論、能力があれば専門的なことも学ぶことができる。
流石にお忍び姿では中へ入れないと謝られたけど、見て、話を聞ければ十分だ。
学問だけではなく、礼儀作法やダンスや乗馬などなども勉強するので、敷地はかなり広いらしい。
「……ですから、この門を使うことはあまりなかったですね」
いつも馬車用の出入口を使っていたわけだ。
自家用車通学みたいな感じだよなぁ……流石貴族の世界だ。
「ここでも護身術は一応習えましたし、貴族しかなれない近衛兵も存在しますが、そのあたりに関しては、私はジャンと一緒に別の場所に行っていました」
そう説明されながらまたも馬車で移動してきたのは、そう遠くない位置にあった騎士の養成所。
こちらは見学できるそうだけど、時間が遅いので今日はもう無理らしい。
大体午前中にやっているらしく、毎回何十人か集めているそうだ。
よくある見学ツアーみたいなものってことかな。
「ちゃんとやっている、と観光客や国民に見せる必要もありますからね」
「なるほど……」
それでも門の前で物珍しげに見ていたからか、門番のひとがちょっとだけ、と入れてくれた。
目のとどく範囲だけなので建物の中までは無理だけど、と言われたけど、それでも十分新鮮だ。
こっちは実用主義っぽい建物かと思ったら、王都にあるからか、貴族も入るからか、予想以上にしゃれた明るい色の建物だった。
建物より鍛錬のための場所のほうが広くとってあるそうだけど、それでも十分に大きい。
長男以外だったり女性だったり、貴族でも武術を目指すひとは一定数存在する。
近衛兵はどちらかというと名誉職の傾向が強いそうだけど、こちらはちゃんと実践的。
一応、その中でも貴族メインの場所と、平民でも入れるものがあるらしく、こちらはエリートが多いほう。
だけど平民でも能力があればこちらへ入ることもできるそうで、てっとりばやい出世のひとつなんだそうだ。
だからジャンさんもこっちで訓練できたらしい、年が離れていたのもあって、いつも一緒ではなかったみたいだけど。
「……まあ、私はあまり才能はなかったようで、騎士は無理だと言われてしまったんですがね」
苦笑いをしながらルト様が言う。
……もし、才能があったら、ルト様の未来は変わっていたんだろうか。
考えてもしかたのないことだけど、お祖父様の言葉があったせいで、頭の隅をちらついてしまう。
そうなったら、わたしとは会えなかっただろうけど……
「それでもここで鍛えてもらったので、今でもそれなりに動けますから、ありがたいですが」
「こういうところって、制服があるんですか?」
門番は勿論制服だろうけど、学生服みたいなのはあるんだろうか。
「ええ、学園のほうは自由でしたが、こちらは決まっていましたよ」
庶民もやってくることがあるので、あまり差がついてもよくないし、彼らは用意するのも一苦労。
だから、奨学金みたいな感じで、制服は支給されているらしい。
戦うための服装だから、かっちりしたものだったそうで……学ランみたいな感じだったのかな。
すごく見てみたいけど、流石にコスプレっぽいので頼みこむのは無理そうだ。
いつか見学コースに混じって見られたらいいんだけど。
門番にお礼を告げて外へ出ると、いくらか日が陰ってきていた。
もう帰ってもいい時間だけど、ルト様は手を繋いだまま、ゆっくりと街中のほうへ歩いていく。
しばらく歩いてたどりついたのは、まるで教会みたいな建物。
でも、まさかルト様がそっち関連に連れてくるはずはないし……
「ここは?」
見上げて問いかけると、にこりと笑って門をくぐる。
外観を損ねないよう慎ましくつけられていた看板には「王立図書館」とあった。
「……とても図書館には見えないんですけど」
教会か、もしくは美術館と言われたほうがよっぽど納得できる。
わたしの素直な感想に、そうでしょうね、とうなずいた。
「当時の王族の一人が建造させたそうなんですが、外観はその人物の好みに仕立てたそうです」
「ああ……なるほど」
税金の無駄遣いも甚だしいが、多分その時は文句も言えない感じだったんだろう。
結構遅くまで開館しているそうで、この時間でも入れるらしい。
豪華な階段を登って中へ入ると、広い吹き抜けやら、飾りの派手な窓やら、やっぱりちっとも図書館じゃない。
だけど流石にというか、本の置いてある場所はきちんとしていて、窓もないし装飾もほとんどない。
年月を感じさせる褪せた壁などが、独特の雰囲気をかもしだしていた。
外が派手だった分、なんだかすごく落ちついて見えるから、これはこれでいい効果かもしれない。
王立図書館というだけあって、蔵書数はかなりのものらしく、どこまでも続くかのような本棚の列に圧倒されてしまう。
ルト様は慣れているのか、わたしの手を引いて迷うことなく進んで行く。
やがてたどり着いたのは、多分かなり奥のほう。
木でできた長椅子と、同じくらいの長さの机が置いてある。
簡単な仕切りがされていて、多くても四人しか入れないだろう。
そんな感じの場所が並んでいるので、自習スペースみたいな扱いだとわかった。
ルト様はそのうちのひとつの前に行き、わたしにすわるよう促す。
むかいがわにすわったルト様は、懐かしげに目を細めた。
「……この図書館は国民なら誰でも利用できますが、専門書や古書が主軸なので、あまり来館者は多くないんです」
たしかに、時間帯もあるだろうけど、ここへくるまでもあまりひとを見なかった。
古い資料も多いので価値はあるけれど、気軽に読む、という感じではないんだろう。
昔は一般書も置いていたそうだけど、なにせ建物が建物なので、現在では一般書は別の場所にあるらしい。
そっちは大通りからも近く、市民もよく利用しているそうだ。
「勿論勉強のためというのが主目的でしたが……ここで本を読んでいる時は、ただの私でいられる気がして……好きだったんですよね」
机の上の傷を、懐かしそうになぞりながら呟く声は、図書館だからを抜きにしても、小さい。
「……自分の立場から逃げたいとまで思ったわけではないのですが、それでも」
「……はい」
わかります、なんて言えないから、聞いていますと返事の代わりにうなずいた。
ピアノに夢中になっている時のわたしみたいなものなんだろう、おこがましいかもしれないけど。
読んでいたという本は難しすぎてわたしにはなにがなんだかだったけど、でも、ちょっと近づけたような、昔のルト様が見えたような気がして、とても有意義な時間だった。
辻馬車から降りたあと、手をつないで家に帰るのも、なかなか新鮮だったし。
「……あの、明日もこんなふうに出かけたいって言ったら駄目ですか?」
高級店に行くとなると、わたしは給仕係のフリをしなきゃならない。
そうするとルト様との距離はこんなふうにならない。
うっかり近づいていたら、給仕係に手を出した主人という図になってしまう。
そんな噂は立ってほしくないし、わたしのものを選ぶのに、持って回ってしまうのもなんだか微妙だ。
王都でしか手に入らないものがあるのはわかるけど、そんな高級品を買ってもらっても、正直使うあてもない。
「こうして堂々と手を繋いで歩けるほうが、嬉しいなって……思うんですけど……」
まだわたしとルト様の関係は公爵と保護された神子でしかない。
だから領地ではくっついているわけにいかないし、そもそも貴族のひとたちというのは、人前ではあんまりべたべたしない。
腕を組んで優雅に歩くことはあるけど、それもどちらかというとパフォーマンスの一環だし。
そんなことをとつとつ語ると、ルト様はわかりました、と言ってくれた。
「そんなかわいらしいお願いをされたら、断れるわけもないですね」
屋敷の門をくぐったところで不意に足を止めたルト様は、かすめるようなキスをひとつ落としてきた。
外で! と叫びかけたけど、フリーデさんたちがびっくりしてしまうし、門の中までは待ってくれたわけだから、一応気は遣ってくれたのだろう。
文句を言うに言えず、赤面した顔をどうにか扉を開けるまでに直そうと必死になるわたしだった。
うっすらモデルは大阪の中之島図書館です。




