王都二日目(3)
それから屋敷にもどると、ほどなくしてルト様が帰ってきた。
「お帰りなさい」
出迎えると、嬉しそうに笑って抱きしめてくる。
まずは日の当たるリビングみたいなところで、お茶にする。
ルト様がつくったクッキーの残りと、ライマーさんが朝持ってきてくれたもの。
シュテッド公爵家のお菓子担当がつくったものらしい。
「お祖父様に楽器店に連れて行ってもらいました」
昼間あったことを報告すると、ルト様はにこにこしたまま聞いてくれた。
なにせピアノの話なので、わたしのテンションは上がりっぱなしだ。
「製品になったら一番に売ってくださいってお願いしました」
「ええ、構いませんよ、楽しみですね」
「はい!」
お祖父様は時々会話の補足をするけれど、そんなに話に混じってこない。
でも、同じように笑顔でいるし、ルト様も気にした様子はない。
男同士ってこういうものなのかな……? 姉しかいなかったから、よくわからない。
一息ついたところでピアノを置いてある部屋に移動して、今日の演奏。
とはいえ練習時間があまりとれていないし、今日の目的は八十八鍵を楽しむことじゃない。
お祖父様に、わたしの能力を知ってもらうことがメインだ。
だから今日は枝はルト様の部屋に置いてある、ちゃんと箱にもしまってあるから、吸いとられることはないはずだ。
深呼吸をひとつして、弾きはじめるのは──いつもの月光ソナタ。
ああ、こっちのピアノは、少し音が硬質かもしれない。
でもそれはそれで、月の光の冷たさというか、青さっていうか、そういうのに合う気もする。
だけどもう少し柔らかい音になるほうがいいかな……と、可能なかぎり調節していく。
解釈はひとそれぞれだけど、わたしが弾きたい月光ソナタは、冷たいばかりのものじゃない。
できればそう伝わるようにと思いながら、丁寧に最後まで弾いていった。
手を離すと、ルト様はいつものように拍手してくれたけど、お祖父様は驚いた顔を隠しもしなかった。
「身体の調子は、大丈夫ですか?」
気持ち悪くなったりはしないだろうけど、やっぱり心配で問いかけると、はっと我に返ったお祖父様は、大丈夫、とうなずいた。
「いやはや、驚いた」
「お祖父様が本気で驚いた姿を見たのは、久しぶりですね」
「……かわいくないことを言うもんじゃない」
愉快そうなルト様に、お祖父様が白い目をむける。
お祖父様を信じていないわけじゃなかったけど、手紙で伝えるのは難しいと、ルト様は細かく教えていなかった。
ただ、神子らしい力はあるようだ、というふわっとしたことだけ。
「これはたしかに、知られるわけにはいかんのぅ」
まじまじと両手を見つめるお祖父様が、小さくなにか呟くと、その両手にごくわずかな火が灯った。
灯った、って……魔法!?
「お祖父様、魔法が使えるんですか?」
魔力は当たり前にある世界だけど、道具を介してお湯を沸かしたりはできても、なにもない状態から魔法を使えるひとはほとんどいない。
ファンタジーではおなじみの指先に火、だけど、この世界で見るのははじめてだ。
「使える、というほどのものではないのぅ、宮廷魔道士に術式を教わったことがあるだけで」
この世界の術は、普通の言語とは微妙に異なる、らしい。
ただ、それを唱えても、普通のひとにはなにも起こせない。
「……普通は術式を教わるはずもないんですけどね」
ぼそっとルト様が呟いた、……一体どういう方法で知ったんだろう。
「まあ若いころにちょっとな。だが、その当時でもここまで灯すことはできんかった」
たいしたものじゃない、というのは本当らしく、火はすぐに消えてしまった。
でも、わたしのピアノで、少しの間でも魔法が使えるというのは、かなりの収穫だ。
……いい意味ではなく、知られたらまずいってことだけど。
「特に王妃には知られんようにせんとなぁ」
王様じゃなくて王妃様ってところは、お祖父様もルト様も共通している。
会ったことはないし、手紙のやりとりだけだから、ぴんとこないんだけどなぁ。
「セッカちゃんも、好きにピアノが弾けないのは困るだろうしの」
枝をとってきてもらって説明すると、お祖父様はそうしめくくった。
そこを大事にしてくれるのは、とても嬉しい。
とりあえずそのあとは枝に吸いとってもらって、普通に何曲か演奏した。
後ろ髪引かれまくりのルト様は夜会に出かけていって、残ったのはお祖父様とわたし。
屋敷の中なので、人払いもされている。ここには、二人きりだ
「……ルト様は怒るんですけど、もし、わたしのこの力が必要なら、言ってくださいね」
利用するつもりはない、とルト様は言うけれど。
これは、十分な切り札になるはずだ。
可能性はとても低いけど、もしルト様の生まれがバレたりした時だって、わたしがいればなんとかできるかもしれないくらいの。
わたしの言葉に、お祖父様はふむ、としばらく考えてから、
「儂は無害な隠居だからのぅ、そういうのは管轄外じゃ」
けろりとした顔でのたまったから、わたしのほうが固まってしまう。
どこからつっこんでいいのかわからないけど、はっきりしているのは、利用する気はないってことだ。
「……いいんですか?」
色々有利に運べるかもしれないのに。
あいつらみたいに道具として扱われるのは嫌だけど、でも、みんなにはお世話になっているから。
恩返しとしてなら、いくらでも演奏して力を使ったっていいと本気で思っている。
「望外の力を御せんほど阿呆に育てた覚えはないが、頼るほど軟弱に育ててもおらんからな」
あっさりした言葉だけど、結構すごいことなような。
ルト様のことだけじゃなくて、シュテッド公爵のこともなんだろう、それと……前領主も、多分。
「セッカちゃんはただ音楽を楽しんでいるのが一番いい。そのほうが生き生きしとったしな」
「……ルト様も同じことを言いました」
それどころか「私があなたに恋をしたのは、演奏している姿が美しかったからです」ってものすごく恥ずかしい科白もついてきたけど。
そこは誤魔化しておくと、そうじゃろ? と笑みを浮かべた。
……優しすぎる気もするし、もらってばかりだから、少しは利用してほしいっていうのが、正直なところなんだけど。
でも、それを押し通すのもどうかって感じだし、今はそうじゃなくても、この先なにかあれば、意見が翻る可能性がある。
それなら、カードの一枚として知っていてもらえれば十分だろう。
隠しごとをしなくてよくなったから、わたしも楽になったし。
お祖父様はまた明日もくるぞ、と宣言して帰って行った。ライマーさんの負担が心配だけど……
わたしがピアノを弾いている間に用意されていたごはんと、いつのまにか買い食いに出かけていたウェンデルさんの総菜で、今夜も楽しい夕食をすませた。
……寝る支度を整えて、でも、もう少しだけ、と待っていると、静かにドアが開いた。
「お帰りなさい、ルト様」
「……起きていたんですか?」
気遣わしげな顔のルト様に、大丈夫ですよ、と返事をする。
近づこうとすると、待ってください、と制された。
「酒の匂いが酷いので……急いで落としてきますから」
とりあえずと礼服の上着と、少しの装飾品を机に放って、部屋を出て行ってしまう。
上着を手にして顔を近づけてみると……たしかに、お酒のにおいもする。
あとは……香水、かな、これ。
男性っぽいのも、甘ったるい、女性ものっぽいのもあるような。
昨夜もこんな感じだったなら、ルト様がふてくされていたのもわかる気がする。
独身主義で通っているルト様だけど、神子であるわたしを囲っているという噂が立って(実際そうだけど)女のひとがまた寄ってきているのかな。
まあ、ちょっともやっとはするけど……ベランダに出て、ばさばさと上着をはたいてにおいを飛ばす。
消臭剤みたいなのもかければ、まあ耐えられる感じになった。
「……これも彼シャツになるのかなぁ」
なんとなく羽織ってみるものの、なんか違うような。
単に大きい上着をひっかけているだけになってしまった。
うーん、でも、こういう服装も格好いいから、女性用とかないのかな。
乗馬用だと似た感じになるから、やっぱり乗れるようになりたい。
なんてことを考えながら脱いだ上着はかけておく、明日になればにおいもとれるだろう。
もどってきたルト様は、下げられた上着を見てお礼を言ってきた。
たいしたことないですよと答えて、一緒にベッドにもぐりこむ。
本当は夜会であったこととか聞きたかったのだけど……
香水とかじゃないルト様のにおいと、温もりと、いつもより遅い時間ということもあって、あっさり寝落ちしてしまった。
……我ながら、寝つきがよすぎる。
すいません、なんだか……文字数が足りなくなったので、
蛇足というかまったりというか、
読んでも読まなくても支障がない感じの話になってしまいました。
こんなふうにならないように、次回は少し空けてちゃんとします。




