表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/124

救出された日(1)

 ──重たい瞼をどうにかして開くと、目に入ったのは女性の顔だった。


 ……女性、なんて、ひさしぶりに見た。

 年齢はたぶん四十代くらいだろうか? 穏やかそうなひとに感じられる。

「ああ! 目が覚めましたか、よかった……!」

 そのひとは心からほっとした顔をしている、みたい。

 まだぼんやりしていて、いまいちよくわからないけれど、声の調子からすると、おそらく。

 ゆるゆると首を左右に動かすが、部屋の端が見えない。

 ずいぶん大きい部屋らしい、だけど、さっきまでわたしがいた、ここ数ヶ月過ごしている部屋ではない。

「ここ、は……?」

 わけがわからなくて、ぼんやり呟くと、女性はほんのり暖かいタオルを額に当ててくれた。

 そのまま顔をそっと拭きながら、説明してくれた。

「ここは安全な場所、王宮の客室になります。そして私はベルフ公爵に仕えるフリーデと申します」

 ……そう言われても、貴族のことは全然知らない。

 公爵、だから、身分は相当偉いことだけはわかる。

 少なくとももとの世界で平民だった私よりは、偉いだろう。

 ──それより、安全な場所、という断言。

 その言葉が本当なら、これほど嬉しいことはない、けれど……信じられない。

 だってさっきまで、わたしは地獄と呼んでもいい場所にいたのだから。

 そこから逃げることなんてできないと……思っていた。

 フリーデさんはサイドテーブルにある呼び鈴をちりんちりん鳴らした。すると、遠くのほうで声がする。

「セッカ様がお目覚めですと、お伝えしてください」

 彼女はおそらく廊下にむかってそう言うと、すぐまたわたしに視線をもどしてきた。

 これだけ時間が経っても、神官たちがひとりもこない。そもそも、神殿に女性は入れないはず。

 もしかして、ほんとうにわたしは、安全な場所に移動したんだろうか……?

 声を出そうとしたけれど、盛大にむせてしまった、喉がカラカラだ。

 大分はっきりしてきた視界の先で、女性が気遣わしげな表情で、そばの水差しから水を汲んでくれた。

「水を飲んだほうがいいですね、ずっと眠っていましたから」

「……どれくらい、です、か?」

「お助けしてから、半日といったところでしょうか」

 部屋が暗いことからして、今は夜のようだけれど、そもそも、いつあそこから出たか覚えていない。

 そもそも、最近はいつが昼で夜かなんて、全然わからなかったし……

 彼女はゆっくりわたしの身体を起こして、背中にクッションを当ててくれた。

 よくドラマなどで病気のひとにしていた行動だけど、まさか自分が受けるとは思わなかった。

 グラスを受けとろうとしたけれど、うまく力が入らなくて、支えてもらいながらゆっくり水を飲む。

 氷の魔法で冷やしてある上に、味がついていて、とてもおいしく感じられた。

 あっというまに一杯飲み干して、二杯目も飲んでやっと一息つく。

 その合間に、フリーデさんが髪の毛を整えてくれた。

 一度も染めたことのない黒髪は、この世界にきてから切っていないので、肩をこすくらいに伸びている。

 前髪だけは……あんなことが起きる前に切ったけれど、大分前だからちょっと目にかかって鬱陶しい。

 彼女はそのへんもぬかりなく、櫛で自然に横へよせて、小さなラインストーンみたいなものがついたヘアピンで留めてくれた。

 久しぶりの女性らしいそういうことが、無性に嬉しくて、わたしはうっかり涙ぐんでしまう。

「セッカ様? 痛かったですか?」

 ピンが当たったかと心配するフリーデさんに、ちがう、と急いで首をふる。

「こういうの、ひさしぶり、で……」

 涙をおさえながらそれだけ呟くと、大体察してくれたらしく、そっと手をにぎってくれた。

 暖かくて柔らかい感触に、また泣きそうになる。

「おつらかったでしょう……もう、大丈夫です。今しばらくは私がおそばについていますから」

「あ、ありがとう、ございます」

 心強い言葉にほっとする。まだ知り合ったばかりだけれど、側にいてくれるのは嬉しかった。

 今一人になったら、不安でどうにかなってしまいそうだ。

 どうにか涙をひっこめて、ぎこちなく彼女に笑いかけると、フリーデさんも笑顔を浮かべてくれる。


 ──その時、部屋のドアがノックされた。

 フリーデさんは私の肩にストールをぐるりと巻きつけてから、

「公爵がいらっしゃいました、……男性なのですが、大丈夫でしょうか?」

 そっと、腫れ物をさわるような調子で問いかけてきた。

 ああ、やっぱりこのひとは事情を知っているのか……まあ、さっきまでの様子から、そうだろうとは思ったけど。

 どうしても少々居心地が悪くなる。できれば、この優しいひとには、知られたくなかった。

 ……とりあえず、落ちこむのはあとでいい、今は、その、公爵の入室の件だ。

「大丈夫です、と、完璧に断言はできませんけど……入ってもらってください」

 フリーデさんが公爵に仕えているということは、わたしの救助の諸々を指示したのが公爵なのだろう。

 となれば、彼は命の恩人ということになる。

 だのに挨拶も礼もしないというのは、いくらなんでも失礼だ。

 神官以外の男性に会うのは久しぶりなので、自分でもどういう気持ちになるのかわからない。

 正直にそう告げると、彼女はわかりました、とうなずいてから、どうぞと外へ声をかけた。

「──失礼します」

 ドアのむこうから、丁寧な、低い声が響いた。次いで、扉を開ける音。

 姿を現したのは、三十代すぎと思われる男性だった。

 それなりの背丈と体格に、落ちついた色味の服装をしている。

 細いわけではないけれど、筋肉がついている、というわけでもない。言ってしまえば普通体型だろうか。

 こちらの世界でも珍しそうな、光る髪の毛は……多分灰色でも白髪でもなく、銀髪なんだろう。

 瞳の色は深い群青色をしていて、理知的な顔つきによく合っていた。

「セッカ嬢、はじめまして、クヴァルト・ベルフです」

「はじめまして、公爵様」

 ぺこりと頭を下げると、公爵様は少しだけ微笑んでみせた。

 それからフリーデさんが用意した椅子に腰かける。

 その椅子は、私が寝ているベッドの横だけれど、手を伸ばしてもとどかない程度に離されていた。

 病人を見舞うには不適切な距離だけれど、彼女が事情を知っているなら、主である公爵様が知らないはずがない。その上での配慮なのだろう。

「まだ体調も優れないでしょうから、長居をしたくはないのですが……事情を説明しなくては、あなたも不安でしょう」

 眉を下げる公爵様の表情からして、本気でそう思ってくれているらしい。

「……あの、わたしは、病気なんですか?」

 身体がだるいのは熱やらのせいだろうけれど、原因はなんなんだろう。

 問いかけると、公爵様は今度は眉をきつく寄せて、一つ息をついた。

「観察術の結果、栄養失調と、体力の低下、それと、魔力の枯渇だそうです。ですから、静養していれば元気になるでしょう」

 ……それはなんというか、色々だめなやつのオンパレードだ。

 道理で動けないほどしんどいはずだ。

 病気ではないだけ、治るからマシなんだろうけれど。

 ちなみに魔力、というのは、現代日本にいたわたしにはまったく実感がないのだけれど、これも減ると疲れたりするらしい。

 回復する速度はひとによって違うけれど、ゼロに近づくほど回復が遅くなるのだという。

「なら、こうして聞いているだけなら、大丈夫です」

 幸い頭ははっきりしてきたから、よほど難しい話でなければ理解できるだろう。

 熱は、この感じからして38度もいっていない、微熱程度だ。

 これくらいなら、そう普段と変わりなく考えられる。

 わたしがはっきりそう告げると、公爵様はわかりました、とうなずいた。

「まず……あなたの救助が遅くなったことを、王に代わって謝罪させてください。召喚されてすぐ神殿預かりになったため、国王はあなたの様子を知ることができなかったのです、情けない話ですが」


 ……そもそも今私がいるこの世界は、もといた日本ではなく、外国でもない、──異世界だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手
 設置してみました。押していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ