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スタートライン

 パチパチと火のはぜる音を聴きながら、思いかえしていた。


 初めての魔物との遭遇。

 この世界に来たばかりの時、遠めに見たものとは明らかに異なる、自分に向けられた強烈な殺意。

 それは今まで経験したことのない圧倒的な恐怖だった。


 魔法だスキルだファンタジーだと、物語でも読んでいる気分で浮かれていたのかも知れない。

 自分は女神に選ばれた存在なんだと。

 しかしそんな俺にも死はおとずれる。

 この世界はたやすく命を刈りとってくるのだ。

 突きつけられたのはごく当たり前のこと。

 でもそれは余りにも大きく、そして余りにも突然であった。


 俺なんかに世界を救うことができるのだろうか……。


 先ほどの光景が頭の中で何度もリピート再生される。

 常人離れした記憶力が今だけは恨めしい。

 そして1つの可能性としてあった幾本もの凶刃に切り裂かれる己の姿を想像し、俺は体に巻きつけている麻のタオルを握りしめガタガタと震えた。


 泣き叫びたい。逃げだしたい。暗い気持ちに支配されそうになる。

 しかし、すんでのところで俺に正気を保たせていたのも、やはり常人離れした記憶力だった。


 できるかどうかじゃない、やるしかないんだ。

 俺が生きて戻らないときっとあいつはまた壊れてしまう。


 ふふっ。友人には否定していたけど、やはり俺はシスコンって奴なんだろうな。


 少し拗ねた顔、ころころと笑う顔、何かたくらんでそうな甘えた顔。

 次々に浮かびあがるあいつの顔が、俺から恐怖を振りはらってくれた。


 そして少し冷静になった頭で今日のことを思いかえし、俺はひとつの疑問を抱いた。


 結局ダニエラ婆さんの意図はなんだったのだろうか?


 思考を巡らせるも答えはわからない。

 目の前で脂を滴らせ、芳ばしい香りを発している鰻の串焼きを作ることが目的であったならどれだけ良かったか。


 でもわからないけど、ただひとつだけはっきりしたことがある。

 それは『俺が疑われている』と言うことだ。


 そうでないと3歳児をあんな危険な目にあわせるわけがない。

 俺は何を試されていたのだろうか?


 しかしあの婆さんてっきり薬師か何かかと思っていたけど、あの忍者の様な身のこなしに、風刃という魔物を容易に切断したあの技。

 一体何者なん――


「お前さん一体何者なんじゃ?」


 音が出そうなほどにするどく俺を睨むダニエラ婆さん。

 どうやらダニエラ婆さんが俺に抱いていたのは、疑念ではなく確信であった様だ。


 さてどこまで話すべきか?

 下手な言い訳は通用しないことは明らかだ。

 正直に全て話すことのメリットは大きい。

 恐らくこの婆さんは、この世界でそれなりの知識と力を持った存在だろう。

 邪悪なる存在に立ち向かう力を得る必要のある俺には、指標となる理解者は願ってもない存在だ。

 信頼のおける仲間を作れと異世界の女神も言っていたしな。

 それに、3歳児らしからぬ俺の態度に疑念を抱く人へのフォローも期待できるだろう。


 しかし全ては信じてもらえたらの話だ。

 この前提条件が余りにも厳しすぎる。

 異世界から転生しました、なんて荒唐無稽な話を誰が信じるものか。


 ――いや、そうでもないのか?


 ここは魔物が蔓延り、魔法やスキルを操る者の存在する世界。

 まったく有りえない話でもないのではないだろうか?

 そうだ、だからこそ今俺に疑念を抱いているのだ!


 しかし仮に転生したことを信じて貰えたとしても、もうひとつ大きな問題がある。

 それは、過程はどうあれ俺が知人の子の体を乗っとった存在である、ということだ。


 俺ならどうだ?

 そんな存在を邪でないと素直に思えるだろうか。

 もしかしたら秘密裏に始末するため、こんなところまで連れて来たのではないか?

 さっき真っ二つにされた魔物みたいに……。

 いや、それはないな。

 だってこの体を包む麻のタオルは、ダニエラ婆さんが手渡してくれたんだから。

 俺を疑っているのは間違いないだろうけど、悪く思っているのであればとるはずもない行為だ。


 それに、あの時の婆さんはとても寂しげだった……。


 やめた! メリットどうこうの話じゃない。

 あんな顔でグラムのことを思う人に、適当な嘘なんてつくことはできない。

 言った後のことは言ってから考えたらいい。


 よしと一人頷くと、俺はダニエラ婆さんを真っすぐに見つめた。


「俺はグラムではありません」


 俺はダニエラ婆さんに全て話すことを選択した。



「そうか、あのいたずら坊主は逝きおったか……」


 ダニエラ婆さんは細い目で空を見上げ、微かに体を震わせている。


「申し訳ありません……」


 ずっと引っかかっていた気持ちが不意に漏れ、自分でもビックリする。


「お前さんが謝る必要はありゃせんよ。それとも、何か後ろ暗いことでもあるんか?」

「そう言うわけではありませんが――」

「グラムの体を乗っとったようで、罪悪感にさいなまれていると?」


 その言葉にビクリと体が反応した。

 まさしくその通りだ。

 俺かグラムの体を乗っとったわけでないことはわかっている。

 俺が来る前にグラムはすでに死んでいたんだ。

 でも、だからって全部納得できるか!


「周りの人たちがみんな優しいんだ。フラックやエレオノーラは当然だろうけど、執事やメイドやマリアーニさんやみんなみんな! でもそれは俺なんかじゃない。グラムに向けられるべきなんだ! なのに……、俺は騙してしまっている。もしかしたら、俺がこなければグラムは生きていたんじゃないか――」

「わしはのぉ」


 なんだ? 何を言っているんだ俺は?

 息を切らしてこんな話をしてどうする。

 考えないようにしていたじゃないか。

 どうしようもないことだし、そうするしかないんだから……。

 でもダメだな。一度溢れさせたら止めることができない。

 俺の中でこのわだかまりがこんなにも大きかったなんて……。


「わしはこの地で連綿の巫女と呼ばれる存在での、長く生きているせいもあって人の生き死ににはよお立ち会ってきた」


 ダニエラ婆さんは鰻の串焼きを少し火から遠ざけると、懐から木製のパイプを取りだした。


「戦で命を落とす者、魔物に襲われた者、病に苦しみながら果てる者、口減らしのために捨てられた赤子に、生まれる事もできなかった命。満たされ死に行く者など、1割もいれば良いほうじゃ。お前さんの世界がどうであったかは知らぬが、それがこの世界じゃ」


 未発達な医療技術や劣悪な衛生環境、食料事情などのせいで、中世ヨーロッパの子供たちはふたりにひとり程しか、20歳を迎えることができなかったと本で読んだことがある。

 この世界は死とは身近な存在であると、そう慰めてくれているのだろう。

  でも、それはそれだ。


「だから気にするなと言うつもりではない」


 そんな俺の思考を読んだかのようにダニエラ婆さんは続けた。


「グラムはのお、まだまだやりたいことも、見ておらぬ世界も色々あったじゃろう。じゃが、残念ながらそれがグラムの寿命だったのじゃ」


 パイプの紫煙をぼーっと見つめながら、ダニエラ婆さんの言葉を考えてみる。


「こればかりは誰にもどうすることもできはせん。それが現実と言うものじゃ。じゃがのぉ、お前さんには変えられる現実がある」


  変えられる現実? 


「最愛の者を亡くし絶望に暮れるはずだった、グラムに近しい者たちは、今も変わらぬ日常を過ごしておる」


 そんなの偽りの日常じゃないか……。


「グラムはな、イタズラ坊主で周りに心配ばかりかけておったが、ほんに心の機微にさとい子じゃった。妊娠中で不安定な心のマリアーニに用もないのによう会いにきてくれたり、フラックの小僧とエレオノーラが喧嘩しそうになった時はわざとドジをしておどけてみせておった」


 …………。


「人の悲しむ姿を見たくなかったんじゃろうな。とても優しい子じゃったよ。そんなグラムじゃから、恐らく死の間際にはこう思ったじゃろう。『死にたくない。ボクが死んだらお父さんもお母さんも悲しんでしまう』とな」


 死人に口なし。

 そんなもの生者の都合のいい解釈だ。


「もし今グラムが見ていたとしたら、きっとお前さんに感謝していることじゃろう」


 でもダニエラ婆さんの話で、ひとつ思いだした。


「じゃから……、どうかこの先もグラムの願いを叶えてやってはくれんか?」


 そう、あの時たしかにそう聞こえたんだった。


 ――ありがとう――


 ふと、あの時の囁き声が優しく頭の中に響き、俺の目から止めどない涙が溢れだした。


「はい。グラムと、そう約束しました」

「そうか。なら安心じゃ」


 俺の口からするりと出た約束と言う言葉。そう俺はグラムに託されたんだ。

 俺は涙をぬぐうと、ダニエラ婆さんが手渡してくれた鰻の蒲焼きにかじりついた。


 俺はこの世界を救う。

 俺と妹のためだけではなく、この世界の新しい家族を守るために。

 見ていてくれグラム。

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