絶賛ひきこもり中
全力で生きると誓って2週間。俺は家の中から1歩も出られないでいた。
グラムよすまん……。
そうそう、俺の名前はグラムと言うらしい。
クロムウェル家のひとり息子で、頬っぺたぷにぷにの3歳児。どこをつついても気持ち良さそうな、もち肌幼児である。
しかし、シルクのような輝きを放つ銀髪と、くっきり大きな青眼が、輝かしい将来を容易に想像させる。
父親の名前はフラック クロムウェル。クロムウェル地方の領主で、男爵の地位にあるらしい。
モデルのような甘い顔立ちとは裏腹に、時折、銘入りの刀の如く鋭いオーラを漂わせている。24年しか生きていないくせに、どんな修羅場を潜ってきたんだか。
母親の名前はエレオノーラ クロムウェル。砂糖とスパイスと素敵なものを全部詰めあわせた、彼の歌を体現したような女性らしい女性だ。
穢れを知らぬ少女のような可愛らしさと、大人の妖艶な魅力を併せ持つその容姿で、それはもう多くの男の心を奪ってきたらしい。
そして俺は今、彼女に自由を奪われていた。
グラムの体はかなりの時間川底に沈んでいたらしく、俺の魂が入り息を吹きかえしたものの、そのあと丸1日意識を失っていた。
そして目覚めたはいいけど、どうにも体が重く歩くことは愚か立ちあがることにも酷く苦労した。
もしかしたら大事な神経でも圧迫したのではないかと一時は心配したけど、1週間も過ぎたころには普通に過ごせるようになっていた。
そして、動けるとなれば知らぬ世界を走り回ってみたいわけで、いってきますと飛びだそうとしたら……
「グラム……、そんな体で……、どこへいこうとしているのかしら?」
と、冷房でもつけたかのような寒気を感じる迫力の笑顔で、エレオノーラが俺の肩を掴んできた。
目が笑ってないです、ままん……。
そんなこんなで2週間たった今、意を決して外へ出ようとしたんだけど、以前と全く同じ質問を投げかけられたのである。
相変わらず怖いです、ままん。
「い、嫌だな母様。書斎にいって、文字の勉強をしようとしているだけですよ」
恐らく今俺の目は、完全に泳いでいるだろう。
「あらそうだったのね。てっきり、そんな体で外で遊び回ろうとしているのかと思ったわ」
そしてきっとそれに気づいているエレオノーラ。
なんで母親からこんなに、プレッシャーをかけられないといけないんだ。
「そ、そんなこと、するわけないじゃないですか。いやだなあ……」
「ごめんなさいねグラム。そうだ、お詫びにママが勉強見てあげようかな?」
「ありがうございます母様。でも、段々と分かってくるのが凄く楽しいので、もう少し自分の力で頑張ってみたいです」
「まあ! さすが私のグラムだわ」
何がさすがかわからないが、俺は笑顔を返事としそのまま書斎へと向かった。
ちなみに、外へ出ることは叶わなかったが、楽しいと感じているのは嘘偽りない事実である。
なぜなら、ここは魔物や魔法やスキルなんてものが存在する、ファンタジーの世界だったのだ!
って、新幹線よりも大きな白蛇がいる時点で当たり前の話だけどね。
とにかく、そんな世界の情報が詰まったこの書斎は、外出ができない俺にとっては格好の遊び場なのである。
そんなわけで、誰にも邪魔されず自分の時間を満喫したいという気持ちで、最近ずっとこの書斎に引きこもっている。
まあひとりで引きこもっているのは、それだけが理由じゃないんだけど。
そんな思考を一旦中断し、俺は体内のある力の流れに意識を集中した。
みぞおちの少し上。この辺りに意識を集中すると、トクンと何かが全身に流れていくのを感じる。
そしてゆっくり息を吸いこみ、そのままその出力を少しずつ上げていくイメージ。
慌ててはだめだ。
この力はとても繊細で、集中を欠くとすぐに霧散してしまう。
両足を肩幅くらいに開き、手はそのままだらりと下ろす。
本に書いていた訳ではないけど、この姿勢が一番集中しやすい。
息を吸い込こみ、それを燃料に力を増幅させ身体中に循環させていく……。
「うん、約1分ってとこか。だいぶ早くなってきたけど、これはまだ誰にも見せられないな」
俺の体の周りには、大小様々な燐光が蛍の様にぽうっと漂っていた。
俺は今、この世界の力の源『魂力』について勉強しているのである。
さて、どうやって俺が魂力の存在を知ったかと言うと、そこに至るまでにはそれなりの苦労がある。
と言うのも、この世界に始めて来たとき俺はこの世界の言語を理解できなかった。
しかしグラムの中に入り、グラムとして生まれ変わった瞬間に、周りの言葉を理解することができた。
恐らく、グラムの脳に刻まれていた記憶の断片が、魂が融合したことにより俺の記憶へと移り変わったのではないか、と推測している。
たまに俺の記憶にないはずの光景や人物が夢に登場することがあるけど、それも恐らくグラムの持っていた記憶なんだろう。
しかし漫画のようなご都合主義とはいかず、わからないこともたくさんあった。
一番最初に困ったのは、3歳児のグラムはどんな人間かと言うことであった。
両親から話しかけられて、どんな口調で返せばいいのかわからないのである。
それどころか両親のことを何と呼べばいいかすらわからない。
一概に記憶と言っても、脳のどこかに仕舞われるものと、魂に焼きつけられるものと、違いがあるのかも知れないな。
しかし、迷ったあげく返した言葉で両親が硬直したのは焦ったな。
生前のグラムはどうやら好奇心旺盛でやんちゃないたずら坊主だったらしく、毎日の様に両親を困らせていたらしい。
そんな中で意識が戻った俺の第一声が
「父様母様、ご心配をおかけしました」
そんなものだからふたりの驚きようも納得できる。
えらく身なりのいい格好だったものだからこんな具合かなと思ったけど、どうやら180度方向を間違えたらしい。
新しい両親はあまり深く考えすぎないタイプなのか、溺れた時に頭を打ったのだとうんうん唸ったり、これも神の思し召しだと涙を流したりで勝手に納得してくれた。
その後書斎の存在を知り、おもむろに1冊の本を手に取り開いてみたんだけど、今まで見たこともない言語のために全く読むことができなかった。
グラムはまだ読み書きができなかったのかも知れないな。
幸い言葉を覚えるための絵本が数冊あったので、自慢の人並外れた記憶力のおかげですぐに簡単な文字は覚えることができた。
そしてイラスト入りの図鑑を読みあさり、まだ知らなかった単語もイラストから推測し他の文章と照らし合わせていくうちに、どの本も引っかかりなく読めるようになっていた。
そんなある日、俺は本棚の上に綺麗な装飾箱が置かれていることに気がついた。
何だろうかと思い本棚を梯子の様に登り手に取って開けてみると、中には幾つかの丸まった羊皮紙が入っていた。
それを見た瞬間、俺は押さえることのできない興奮に包まれた。だって、まるでゲームでお宝を手に入れたかのようじゃないか。
肝心の中身は、どうやらフラックの冒険手記のようであった。
魔物の特徴や弱点、ダンジョンの地図に、パーティーのフォーメーションや剣技についての考察など、プレイ中のゲームの攻略本でも見ているようで、俺は時間を忘れ読みふけった。
その中でもことさら俺の興味を惹くものがあった。それが魂力についての手記だ。
魂力とは生命エネルギーの源で、この世界の全ての生物が持っている。
意識をしないと存在を知ることはできないし、訓練もしていない人間となればその量は微々たるものだ。
だけど、魂力をつかうことで身体能力を向上させたり、魔力に変換して魔法を使うことができたりと、どうやら魂力について熟知することはこの世界で生きる上で必要不可欠らしい。
その手記には魔法の唱えかたが記載されているわけではなかったけど、魂力とはどんなものか、どの様に操るのかなどが書いてあった。
恐らく入門書の様なものなんだろう。
で、早速書いてあることを試してみた俺は、今まで未知の存在であった異世界の不思議パワーの片鱗に触れ、どっぷりとハマってしまったのである。
魂力の流れを感じることはすぐにできた。
目を閉じ体内に意識を集中すると、みぞおちの辺りから体中に力が流れていってるのがわかった。
熟知することが必要だと羊皮紙に書いていたので、まずはその感覚を研ぎ澄ますことにした。
初めに、視覚情報を増やした状態でも維持できるようにとゆっくり目を開いてみた。
一瞬少しぼやけかけたが、しばらくすると目を閉じた時と同じ様に魂力の流れを感じることができた。
次に手を動かしてみた。
それができたらゆっくり歩いてみる。
そして、歩きながら頭の中で暗算をしていると、ふっと魂力の流れを感じることができなくなった。
このように失敗もあるけど、練習すればするだけ成長を実感できるので、楽しくて仕方がない。
ゲームでもキャラ育成大好きだったからな。
そしてそんな苦労の中そろそろ一段階進んでみるかと、昨日から魂力の量をコントロールする特訓をしているのである。
「明日ダニエラ婆さんにグラムの経過を見てもらいに行こうと思っているんだが」
「でもあなた、グラムは先日ようやく動けるようになったばかりなのよ」
「そうは言ってももう2週間もたつし、見るかぎりすっかり元気だろ?」
「確かにそうだけど、あの時のことを思い出すと私怖くって……。もう二度とあんな思いはしたくないの」
「エレオノーラ、お前の気持ちは良くわかる。だがグラムにはこの先グラムの人生があるんだ。成長期の子供をいつまでも家に閉じ込めておくわけにはいかないだろ? グラムのためにも俺たちがしっかりしないといけないんだ」
「そうね……。ええ、わかったわフラック。あ、そうだった! ダニエラさんに会いに行くならお祝いもしなくちゃね」
「おお、そうだったな! あの日はグラムのことでそれ所じゃなかったが、可愛い女の子が産まれたんだったな」
「ねえ、あなた」
「ん、どうした?」
「グラムもそろそろ妹か弟が欲しいんじゃないかしら?」
「そうだな。なら今夜は久しぶりに頑張らないといけないな」
「ええ……」
おのれフラックめ。
見た目は子供、中身は性に興味津々な高校生に何を聞かせるか。
おかげで集中が切れたではないか!
2階の書斎で魂力の特訓をしながらも、1階にいるふたりの会話がはっきりと聞こえた。
魂力を高めて全身に循環させると身体能力が向上するのだ。
向上する幅はその量に比例するが、許容量以上に魂力を高めすぎるとついて行くことができず、体を壊してしまうらしい。
なんとも恐ろしいことに、最悪の場合は心臓が破裂し死にいたることもあるとのことだ。
実は俺は、この魂力量のコントロールが非常に苦手である。
理由はふたつ考えられる。
ひとつ目は俺の年齢だ。
まだ体もできあがっていない3才児の限界なんてたかが知れている。
ぷにぷに可愛いこんな体に多くを求める方が無茶な話なのだ。
ふたつ目は、あの女神様の言葉である。
俺がこの世界を救う切り札になると予測する根拠。
約2000年の時をへて、俺の魂は人間では到底辿りつけないような強さを得ているらしい。
言うなら、ジェット機のエンジンをミニ四駆に搭載するようなものではないだろうか。
そんなもの、許容量に調整しようとしても上手くいくはずがない。
これでも目一杯に出力を押さえているつもりなんだけど、この状態で動く事がいかに危険か、試すまでもなく理解できるほどだ。
「うーん、やっぱり体も鍛えないと駄目か。幸い明日から外に出られるみたいだし走り込みでもするかなー」
俺は魂力の増幅を解くと、明かりとりの窓を開けた。
心地好い春風が優しく頬を撫でる。
よし。明日から、いよいよ冒険の始まりだ。