エルネクルーザットを語るうえで
エルネ・クルーザットの人生がどんなものであるか一言で表すなら、それは間違いなく『凄惨』だ。
その原因は彼女の出生の秘密にあると言えるだろう。
ここユータルシア大陸の北西、エルト海を渡った先には、アザミニ教の総本山があるアルテミジア大陸が広がっている。
アザミニ教は、他教を世に混沌をもたらす邪教と排斥し、大陸中にその教えを広めていた。
そんな排他的な大陸の、さらに排他的な場所エルフの里でエルネ・クルーザットは生を受けた。
が、エルネがその地で暮らすことを許されたのは10になるまでの間だけであった。
その10年ですらなかば隔離状態であり、健全な子供の人生をおくれたかどうかは怪しいと言えるだろう。
それはエルネがこの大陸でもっとも深い因縁を持つ、人間とエルフの混血児であったからだ。
今から遡ること数100年。
人間とエルフは住む地こそ違えど、互いに尊重し、足りぬ部分を支えあいながら暮らしていた。
自然に立ち向かうことで、農耕や工業を発展させてきた人間。
自然と共存することで、自然学や薬学に長けてきたエルフ。
進化による種の繁栄と、悠久の不変による自然との調和。
相反する価値観の違いから、埋めることのできぬ溝はあるものの、その関係は決して悪くはなかったと言えたであろう。
しかしある冬の季節に、その溝が大きく広がり完全に互いを別つこととなる、ある事件が起きた。
それは人間の地に蔓延した、ある病がきっかけである。
八日熱と呼ばれるその病は、8日の間高熱にうなされるのが特徴で、発熱してからちょうど8日目に熱が下がるのだが、それと同時に命も奪っていくという致死性の高い恐ろしいものであった。
感染度も非常に高く人々は恐怖した。
しかし、幸いエルフが先祖から受けついできた知識の中に、特効薬が存在していたおかけで、すんでのところで病の蔓延は縮小していった。
事態はこのまま収束するかと思われた。
が、ある人間の醜い欲望によって、事態は急な展開を迎えるのであった。
その人物は、アザミニ教の創始者ミカエル・サンティである。
当時アザミニ教は人間とエルフの橋渡しの役割をになっていた。
ミカエル・サンティはその立場と今回のはやり病が、莫大な利益と多くの信者の獲得に繋がる好機だととらえていた。
そんなミカエル・サンティは、今回の件がこのまま収束することをよしとしていなかった。
そしてミカエル・サンティは、エルフの長にある取引を持ちかけた。
ミカエル・サンティが求めたのは特効薬の製造方法である。
しかしエルフにとって先祖から受け継いできた知識は、大切な財産だ。
当然ミカエル・サンティもそのことは理解していた。
そこで、まずミカエル・サンティはエルフの良心に訴えかけた。
二度とこんな悲劇を起こさぬために、最愛の者を亡くした皆が安心して日々を暮らせるようにと。
次にミカエル・サンティは、エルフの弱みに付けこんだ。
アルテミジア大陸の冬は長くとても厳しい。
エルフにとって、獲物や山の恵みを得ることができぬこの季節は脅威である。
保存食を用意しているものの、厳しい冬を越すことができず命を落とすものも少なくない。
それも自然の摂理だというのが種としての表向きな考え方ではあるが、そんな考え方を呑みこめない気持ちがあるのも真実だ。
ミカエル・サンティは、対価として冬を越すための多くの備蓄食料を差しだすことを約束する、と明言した。
エルフの長はしばし悩んだが、翌年以降も格安で食料を提供するとの言葉に首肯し、ミカエル・サンティに特効薬の製造方法を伝えた。
取引が成立して暫く後の日、食料が用意されているという人間の村に、荷馬車を伴った8人の若いエルフの一団が姿を見せた。
しかし、村に入りしばし待つものの、一向に案内役が姿を見せないことにエルフたちは困惑した。
が、このままいつまでも待っていても仕方ないと考え、教えられていた場所と目印を元にエルフたちは食糧庫を目指した。
食糧庫はほどなくして見つかった。
いまだひとりの住民にさえ会ってないことに違和感を覚えるものの、エルフたちは目的を遂げるために馬車を停めると、食糧庫の大きな扉を勢いよく開いた。
エルフたちは目を疑った。
開かれた扉の先に待っているのは、同胞の命を救うことができる食糧のはずである。
しかしそこに待っていたのは、完全武装された30人からなる兵であったのだ。
どういうことだ!? 約束が違うではないか!
エルフの一団のリーダーがそう声を上げようとした。
しかしその抗議の声は、豪奢な装飾の兜を被った大男の叫びによってかき消された。
「見ろ本当にあらわれたぞ! このハイエナどもめ!」
男の叫びに続くように、周りの兵からエルフ達を侮辱する言葉が次々に飛びかう。
予想だにしなかったあまりの事態に状況の整理が追いつかず困惑するいエルフたち。
そして気がつくと、どこからか現れた追加の兵に退路を塞がれていた。
「なんのつもりだ!」
エルフのリーダーが、憤怒の形相で問いかけた。
「とぼけるな! こちらはすべてわかっているんだぞ」
豪奢な兜の大男が返す。
「病人の隔離施設のためたいした兵もおいていないこの村の食糧庫を、貴様らが狙っていたことは先刻承知ずみだ!」
「な、なんのことだ! 俺たちはただお前たちの――」
「黙れぇ! 我らが病で苦しむのをいいことに法外な値段で薬を売りつけ、それだけでは飽きたらず、貴重な備蓄食料を差しださないと薬を渡さないなどと……。この魔物以下の畜生どもめぇ!」
「ふ、ふざける――ッ!」
エルフのリーダーが抗議の声を上げようとしたそのとき、豪奢な兜の男がすっと右手をあげるのを合図に、四方から無数の槍が突きだされた。
その知らせを聞き、ミカエル・サンティは人々を集めた。
多くの犠牲を出しつづける脅威の病から、人間たちを救うべく届けられらたエルフ秘伝の特効薬。
事情を知ったエルフの長から、良心的な値段で提供されたもの。
しかし、それは薬の価値を吊りあげるための偽りの善意であった、とミカエル・サンティは伝え広めた。
病の恐ろしさと薬の効果を知る人間たちの弱みに付け込んで、後に法外な値段で売り付けるための策略であったと。
気が大きくなったエルフたちが『薬が欲しければ食料を渡せ』とせまってきたが、『病の蔓延のせいで我々の食料も心許ない』と要望を断ったため、薬の供給が絶たれている。
そしてエルフたちは、ふたたび病が蔓延し我々の力が弱まったのをいいことに、人間の村を襲うという暴挙にでたのだと。
「エルフたちが薬を盾に、我ら人間から富を搾りとろうとしている。今こそ立ちあがるのだ!」
民たちはミカエル・サンティの思惑どおりに蜂起し、エルフの里へと挙兵した。
勿論、全てでたらめである。
エルフは誠の善意から安価で薬を提供してくれていたし、薬の製造方法もちゃんとミカエル・サンティに教えていた。
しかし、それを流通させず法外な値段で売りさばき教会は利益を得ていたのだ。
そして真実を闇に葬り去るため、また、森を支配するエルフたちから領土を奪うため、ミカエル・サンティは民衆の怒りをエルフに扇動したのである。
不穏な動きを事前に察知したエルフの里では、理不尽に歯向かうべきとの意見もあった。
エルフの身体能力は一般的に人間よりも秀でているし、森で戦うなら勝機もあるはずだと。
しかし、人間にはエルフとは比べ物にならない、数の有利と兵器の力がある。
対立する意見の中でエルフたちの心をひとつにしたのは、自然と共存していくという彼らの理念であった。
森を守るために森を戦場にはできない。
人間は平気で森に火をつけるだろう。
そんな思いから、プライドの高い彼らが里を離れ、今よりも過酷な辺境の地に移住することを決意したのであった。
教会が所有する軍隊が到着した頃には、エルフの里はもぬけの殻となっていた。
住居をくまなく探すも人の気配どころか、八日熱の特効薬ひとつすら残されていなかった。
やはりエルフは人間を見捨てたのだ。
その有り様を見て、人間たちはそう判断した。
そしてぶつけどころのない怒りは、永劫消えることのないエルフへの憎悪として、人々の心に根付いたのである。
エルフを取り逃がした。
薬を手に入れることも叶わなかった。
しかしミカエル・サンティにとってはどうでもいいことであった。
薬の独占販売で莫大な利益を得たし、自然との共存をうるさく語る邪魔なエルフたちを追い出すこともできた。
人間が何人死のうがどうでもいい。
あとは頃合いを見計り、薬の製造方法を発見したと安く流通させ、多くの信者を獲得できたらそれでいいのだ。
こうして人間とエルフの間に解消できぬ軋轢が生じ、またこの時を境に、アザミニ教は肥え太っていくのであった。