エルネ・クルーザットはコミュ障である
「プルミエール、プルミエールだよお」
到着を告げる御者の言葉に続いて、所々穴のあいた幌馬車から数名の男女がおりてきた。
クロムウェル地方にあるプルミエール村と港町ローゼンのあいだを、日に1度だけ往復している定期馬車である。
その馬車から、絹糸のような長い黒髪が特徴的な美しい女が、大きなトランクを重そうに抱え降りてきた。
クロムウェル家の教育係にと面接に来たエルネ・クルーザットである。
「ふぅ、やっと着い――ッ!」
足元にトランクを置き、長く揺られたことで固まってしまった腰を伸ばしていると、ふいに風が吹きエルネは慌てて髪を押さえた。
周りの男の視線が自然と彼女に集まる。
み、見られた?
周りの男たちはただエルネの美貌に目を奪われていただけなのだが、エルネは必要以上に何かを心配した様子で足早にその場を去っていった。
ほどなくして目的の地についた。
エルネの住んでいた地域では、領主や貴族の家となるとまるで権力を誇示するかのように無駄に大きく絢爛豪華であったが、目の前の家からは素朴で暖かみのある雰囲気を感じ、遠方からひとりやってきたエルネの心をわずかながら安心させてくれた。
「お花がいっぱい。お手入れも行き届いているし、素敵な庭だな」
「あら、あなたが教育係さんね。私、ずっと楽しみに待っていたの」
ついたはいいが勇気が出ずぼーっと庭を眺めていたら、今か今かと窓から眺めていたエレオノーラが待ちきれず笑顔で駆けよってきた。
「も、申し訳ありません! とても素敵なお庭だったもので。あ、私、エルネ・クルーザットともうします。ほ、本日はどうぞよろしくお願いいたします」
「素敵なお名前ねエルネさん。私はエレオノーラ。エレオノーラ・クロムウェルよ。お庭を誉めてくれてありがと」
エルネはいわゆるコミュ症である。
それは彼女の生い立ちに起因するのだが、そんなエルネからすると初対面でもぐいぐいと来るエレオノーラは、まさに魔物のような存在と言えるだろう。
「あなたー。あなた! ちょっとこっちに来て荷物を運ぶのを手伝って」
そんなエルネがあわあわしている内に、話はあれよあれよと進み、いつの間にか応接室に通されていた。
「面接と言っても少しお話をしたいだけだから、緊張しないでも大丈夫よ。あなたのことは紹介所から優秀だってよおく聞いているしね」
「ゆ、優秀だなんてとんでもありません。まだまだ若輩者で、御子息様とともに私も成長していきたいと考えております」
その後エレオノーラのペースに翻弄されつつも、練習していた台詞をまじえなんとか受け答えしていくエルネであったが、エレオノーラのとある質問によって思わず顔を曇らせた。
「エルネさんは今までに何度か教育係の経験があるようだけど、それぞれどういった理由からやめられたのかしら?」
エルネは過去に3度、教育係をしてきた経験がある。
20歳のエルネが3度も辞めたとなるとその理由を問うのは当然のことだろう。
当然のことだからこそエルネはこの質問に対して、やり過ごすための回答を用意していた。
真実を語っても信じてもらえるかわからないし、エルネもできることなら話したくない。
しかしエルネは迷っていた。
出会ってまだほんのわずかであるが、なぜか目の前の人物には嘘をつきたくないと、そう思ったからだ。
そしてエルネは紅茶を一口飲むと、覚悟を決めたように話しだした。
エルネが初めて教育係についたのは16歳のときである。
とある貴族の家の12歳の女の子がその相手であった。
コミュニケーションを取るのが苦手なエルネであったが、貴族の家ではそもそも一使用人にそれを求めていなかったため、エルネはそつなく教育係として勤めることができた。
しかしエルネはわずか半年でここをクビになった。
ある晩、エルネの目を奪うような美貌に惹かれた家の主人が寝所に忍び込んできたのだ。
それを拒否したところ、あろうことかエルネが財産を狙って誘惑してきたと、加害者に仕立てあげられたのだ。
次の家は2日で自らやめた。
初めての授業のとき雇い主の子息に関係を強要され、反射的に殴り飛ばして逃げ出したのだ。
「これからの良好な関係のために僕たちはお互いをよく知る必要がある」
そう言いながらせまってきた子息の下卑た笑みと、体をまさぐられた不快感は今でも思いだすと吐き気をもよおしてしまう。
そんなことがありエルネは少し精神的に追いつめられていた。
人間の欲望、特に貴族の欲望に対してわずかな恐怖心が芽生えていた。
しかしエルネの中のとある思いが勇気をかきたて、エルネは三度教育係につくことを選んだ。
「次の家の教育係につくとき、私はあまり期待しないようにしていました。どうせまたすぐに追い出される。どうせまた嫌な思いをする。何も期待しなければいざと言うときに平静を保っていられる、そう考えたのです。しかし、その家はそんな私をとても暖かく迎えいれてくれました」
「そう……。ほ、本当に良かったわね……」
エレオノーラの鼻をすする音が静かな応接室に響く。
先ほどからひとりで怒ったり泣いたりと、とても忙しそうな彼女である。
そんな様子を見ていたエルネは、なぜ自分が本当のことを話したくなったか理解した。
出会った時からずっと感じていた、心地のよい暖かさ。
それが、幼き頃に母から受けたものとどこか似ていると気がついたからだ。
しかしここから先は、エルネにとって語りたくない話。
語れば、この暖かいと感じた場所からも拒絶されるかも知れない。
「はい、私も本当に嬉しかったです。もしかしたら私も幸せだと思っていいのかなって。でも、それから2年たったある日、私を暖かく迎えいれてくれた人たちが態度を豹変させる、ある出来事が起きました」
「ある出来事……?」
「優しかったみんなの目が、まるで汚物でも見るかのような蔑んだものに変わっていきました。母親は慌てて子供の手を取り私から引き離し、父親は汚い言葉で罵りながら私を殴ってきました。そしてそんな様子に怯え鳴き声をあげる子供……。人間にも良い人はいるってせっかくそう思えていたのに、ああやっぱりそうなんだって……」
信じていたものに全てを拒絶される恐怖。
思いだしエルネは体の震えを止められないでいた。
「い、一体何があったの? そ、それに人間にもってどういう……」
もうあんな思いはしたくない。
怖いのは嫌だ……。
そう思いながらも、エルネはどうしてもエレオノーラに伝えたかった。
「実は私、ハーフエルフなんです」
エルネはそう言うと、艶やかな黒髪をかきあげ長くとがった耳を見せた。




