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思い出の味と縦ロールの御令嬢

登場人物の名前を変更しました

ギー・ハルトマン→ギー・オーギュスト

 開け放たれた窓から吹く風が、薄いカーテンを揺らす教室に、教師が板書をする音が響きわたる。

 制服に身を包んだ生徒たちが、等間隔に並べられた机の上に革張りのノートを置き、板書の写しがきをしている。

 ああ、懐かしいなあこの感じ。

 8の月の容赦のない暑気に、生徒たちは制服の上着を椅子にかけ、わずかな抵抗をと手をうちわのように扇ぎ、ほんの少しだけの風を体に送っている。


 そして何より賞賛したいことがひとつある。それは、この世界にブラジャーがあることだ。

 前々から、この世界は俺の住んでいた世界の文化が、所々に見受けられるなと思っていたが、これだけ感謝したことはそうはないだろう。

 お陰で教室の夏の風物詩、透けブラを拝むことができるのだ。

 女の子たちはひくかも知れないが、男子生徒の10割はこれを楽しみにしていると言っても過言ではない。

 俺は前に座るベルの背中を眺めながら、しみじみと思った。

 興奮しすぎだと思うかもしれないけど、高校を強制中退させられた、俺の気持ちもわかってもらえたら幸いである。


 そんなこんなで午前の3限を終えた俺は、ルイーズとふたり食堂横のテラスでお弁当を広げていた。

 婚約者アピール継続中である。


「グラム殿。け、今朝のあれはお芝居ですからね。話を合わせるために仕方なく……」


 ルイーズは俺の特製サンドウィッチを手に、頬を赤らめている。


「わかっているさ、ルイーズ。俺も本気になんかしていないから、気にしないでいいよ。ただ……、ちょっと声が大きかったかな」

「そうですね……」


 思いだしてしまったのか、ルイーズは大きなため息をついた。


「まあでも、それだけ効果があったってことで良しとしておこうじゃないか」

「申し訳ありません。そもそも父が変な提案をしなければ、グラム殿は私の許嫁になどならなくて済んだのに」

「そのお陰でみんなここに通えているだから、気にすることはないさ。それにルイーズみたいに美人な人の許嫁だなんて、鼻が高いくらいだよ」

「もう……。グラム殿はすぐそうやって女性を(たぶら)かすのですから」


 ルイーズは可愛らしく俺を睨みつけると、頬を膨らませた。

 む、まずい。これはベルたちが聞いたらやきもちを焼くやつだな。


「ごめん、やっぱり今のなしで!」

「ふふ、今回だけですよ。次はみんなに言いつけますからね」


 俺は周りにネッケの糸がないかを確認し、慌てて撤回した。

 ふぅ、どうやら聞かれてはいないようだな。


「しかしグラム殿は、本当にお料理がお上手ですね」

「ん? 褒めてくれるのは嬉しいけど、今日のはパンに挟んだだけだぞ」

「でもこの鶏肉はスパイスがしっかり染みこんで香ばしく食欲をそそりますし、ピクルスも絶妙な酸味ですよ」

「そのピクルス、ガラドの奴も大好きなんだよ」


 育ち盛りのみんながいつお腹が空いたと言ってもいいように、俺は色々と常備菜を作り置きしている。

 サンドウィッチに挟んでいる鶏肉も油漬けにしているものだし、ピクルスや、ドライトメトのオリーブ油漬け、干しポテ芋に煮豆やそぼろ肉など、俺の仲間たちは俺の料理がお袋の味になりつつある程だ。


「そうなのですか。お寿司といいガラドは私と味の好みが合うのかも知れませんね」


 どうだガラド、俺のファインプレイは? わざとお前の話題を振ってやったんだぞ。

 ネッケの糸でみんな聞いていないかな、なんて思う俺の調子の良さよ。


「ルイーズは、酸味があったりあっさりした食べ物が好きなのか?」

「基本的に好き嫌いはありませんが、ズキーニのピクルスには思い入れがあるのです」

「思い入れって?」

「実は幼い頃、母と一緒に良く漬けていたものでして、この食感と酸味が母の記憶を思いださせてくれるのです」


 そう言うとルイーズはサンドウィッチに噛りつき、味わうように目をつぶった。

 ルイーズの母親はルイーズがまだ小さい頃に、爆発事故に巻きこまれて亡くなってしまったらしい。

 甘えたい年頃に母親を亡くして、良くこんなに素直で芯の強い子に育ったもんだ。フィルフォード卿の深い愛情があればこそかも知れないな。

 なんて考えていたら、ルイーズが首を傾げていることに気がついた。


「どうしたルイーズ?」

「いえ、このピクルスはとてもおいしいのですが、あとほんの少しだけ何かが違うのです……」

「違うって、どう違うんだ?」

「いつもはピクルスを食べてもこんなことは思わないのですが、グラム殿のピクルスはとても母の味に似ているものでして。って、グラム殿には関係のない話でしたね申し訳ありません」


 ルイーズは愛嬌良く笑ってみせた。

 母親が亡くなったのはもうずいぶんと昔のことだから、気にしてはいないんだろうけど、できることならもう1度食べさせてあげたいな。


「どう違うか思いだせるか?」

「え? そうですね……。確か、もう少しだけ甘く爽やかな酸味と言いますか、フルーティーな香りと言いますか、そんな感じであった記憶があります」


 甘く爽やかでフルーティーか。何か俺が使っていないスパイスでも入っているのだろうか。


「ふふ、ありがとうございます、気にかけていただいて。でも、子供の頃の記憶ですから、あまりお気になさらないでくださいね」

「わかった、そうするよ。その代わりに、もっとルイーズのことを色々と教えてくれよ」


 それから俺たちは互いのことを色々と話しながら、お昼休みの時間を過ごした。

 傍から見たら、実に仲の良いふたりに見えたに違いないだろう。


 そして午後の授業が終わり一旦自室に戻った俺は、ピクルスが入った瓶を手にひとり食堂に来ていた。

 まだ夕飯には早い時刻のためか食堂にはほとんど生徒がおらず、数人がお茶を飲んでいる程度である。

 そんな中入ったのが目立ったのか、入り口近くにいたひとりの女子生徒が俺に気づき声をかけてきた。


「あら、珍しいわね。今日はひとりかしら?」


 アッシュブロンドの髪をドリルのようにした縦ロールが特徴的な、眉毛の細い少女が腕を組んで俺を見ている。

 おっと、まさかターゲットから声をかけてもらえるとはな。


「君は確か、アナイス・ゴーティエ伯爵令嬢だね」

「うふふ、貴方みたいな有名人が私のことを知っているだなんて光栄ね」


 アナイス嬢は上目遣いで微笑んだ。


「そりゃ辣腕(らつわん)家で有名なゴーティエ伯爵の御令嬢とあらば、知らないほうが失礼ってものだろ。ところで君は何で、一男爵の子である俺のことなんか知っているんだい?」

「あら、貴方こそ知らない人はいないわよ。クロムウェル卿の御令息でグラム・ド・レージュの創業者で、さらに先日、突如現れた魔物を颯爽と退治したという話題の人なんだから」

「それは光栄だね……」


 他人から聞かされると色々とモリモリだな。

 あまり目立ちたくないとか言っておいて、話題の人になっているとかな……。


「それにしても貴方、ずいぶんと綺麗な顔をしているのね」


 アナイス嬢は俺の頬に手をあて、うっとりとした目で見つめてきた。

 リストによると14歳のはずだが、まるで妖艶な大人の女性である。


「失礼、これでも婚約している身でね。通してもらうよ」


 俺はその手をすり抜け食堂に入ると、アナイス嬢を振りかえり頭を下げた。

 実は内心ドキドキである。


「こちらこそ失礼したわ。でも、最後にひとつだけいいかしら?」

「もちろん、なんなりと」

「あなたの手に持っているそれは何かしら?」


 アナイス嬢は俺の手にある陶器の瓶を指差した。


「ああ、これはズキーニのピクルスだよ」

「ピクルス? 晩ご飯にはまだ早いと思うけど?」


 食堂にいる料理人に食べてもらい、甘く爽やかでフルーティーにするにはどんなスパイスを入れたらいいか聞きに来たのだけれど、なるほど俺がピクルス持参でご飯を食べに来たと思っているのか。

 俺は唇に指をあて首を傾げるアナイス嬢に、事の経緯を話した。


「……へぇ、愛しい彼女のためにわざわざねえ。貴方、ちっとも貴族らしくないのね」


 確かに貴族は大量の常備菜を作ったり、ピクルス片手に食堂に来たりはしないよな。


「あら勘違いしないでね。私は褒めているの。貴方みたいな人、私は大好きよ」

「それはありがとう……。君のような綺麗な人にそう言ってもらえるなんて光栄だよ」


 一応言い訳をしておくと、これはあくまで社交辞令で、彼女も当然理解をしているはずである。


「あらお上手ね。ねえ、私もひとつだけいただいてもいいかしら?」


 俺は返事をするとコルクの蓋を取り、アナイス嬢に瓶を差しだした。

 1番手前にある1口サイズのピクルスを、口に放りこむアナイス嬢。

 彼女もなかなかなに貴族の御令嬢らしくないかもしれないな。なんて思いながら、俺はアナイス嬢にハンカチを手渡した。


「……貴方、お菓子だけじゃなく料理の才能まであるのね。ビックリしたわ」

「気に入ってもらえたみたいで何よりだよ」


 アナイス嬢は、俺が渡したハンカチで手を拭きながらそう言った。


「ビネガー、じゃないかしら?」

「え?」

「私がいつも食べているビネガーを使ったお料理より男性的と言うか、少しとがった味わいな気がするわ。どんなビネガーを使っているのかしら?」


 え? こいつすごいな……。確かにそうだわ。

 俺が使っているのは獣人たちが作っている穀物酢。酸味が少しツンとしてきつめのスッキリした味わいの酢だ。

 そしてルイーズが住んでいるラトレイアは、アプルの有名な産地。甘く爽やかでフルーティーな味わいと言ったら、恐らくアプルビネガーを使っているのかも知れない。


「アナイス、君はすごいな! あ、いやすまない。アナイス伯爵令嬢」

「あら、呼び捨てで構わないわよ。それよりお役に立てたのかしらグラム君?」

「ああ、多分間違いない。君のお陰で彼女の望む味が作れそうだよ。本当にありがとう」

「それは良かったわ。じゃあお礼に、貴方の作ったお菓子を待っているわね。私、貴方のお菓子のファンなの」


 アナイスは俺にハンカチを返し、うふふと微笑んだ。

 ギャルっぽい見た目からもう少しきつい性格の子かと思ったけど、こんなに優しく笑うんだな。


「両手で抱えるくらい持っていくから、楽しみにしていてくれよ」


 俺はアナイスとの出会いに感謝しながら、急いで部屋に帰った。

 そしてその日の晩――


「食べ頃にはまだ早いと思うんだけど、どうかな?」


 ルイーズは恐る恐るズキーニのピクルスに噛りついた。

 シャルルとガラドとフィルフォード家のバトラーが見守るなか、ポリポリと小気味のいい音だけが部屋に鳴りひびく。

 ルイーズは何も言ってこない。充分に味わっているのか、それとも……。


「グラム殿、これです……。お母様の味です……」


 ルイーズは涙を一筋伝わせると、飛びつくように俺に抱きついた。

味覚というのはけっこう強く、記憶と結びついているものだからな。喜んでもらえたみたいで、本当に良かった。

 ただ視界の奥で、シャルルとガラドが体をビクリと反応させ、目を見開いているのが気になる。

 待ってくれこれは違うんだ。そしてバトラーの爺さん、なんであんたまで泣いている。

 俺は、あとでガラドにレシピを教えてやらないとななんて思いながら、ルイーズの涙が止まるのを待った。

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