1.プロローグ
薪ストーブの上に載せられた大鍋が、クツクツと静かに音を立てている。
蓋を開ければ広がるのは鶏の香りと、僅かに油が浮いた薄い黄金色のスープ。
お玉で油を弾くようにしてスープのみを掬い取り、行儀は悪いが直接一口。
「…んー、もうちょいか、後一時間は煮たいな」
再び蓋を締め、ストーブに薪を放り込む。
「おっと、今ので終わりか。裏から持ってこないとな。…にしても」
―――ビュゴーーー…―――
―――ガタガタ…―――
―――ゴロゴロゴロ…―――
人の少ない静かな室内に、吹雪が窓を叩く音と、遠雷が響いて来る。
「…雪も雷も、全然止む気配がないな」
俺は独り言ちるが、そこに恐怖や不安は無い。
当然の話だが、何十年に一度級の猛吹雪ならともかく、高々普通の吹雪で北海道の家がどうこうなる訳がないのだ。
…雷は分からんが、遠雷ばっかりだから大丈夫だろう。
「まぁいいさ。仕事も終わらせてるし、出かける用事もないし」
俺、大原公平がこの家に引っ越して来たのは一年ほど前だ。
元々は札幌在住だったのだが、仕事が安定し収入が増えたのを機に、昔からの憧れだった一軒家での一人暮らしを始める事に決めたのが二年前。
別に札幌で買っても良かったのだが、東京辺りに比べれば安いと言っても、それでもやはり市内で買えばそれなりの値段にはなる。
そこで考えたのが札幌から離れた、田舎から田舎寄りの土地での物件購入。
幸い俺の仕事は在宅で場所を選ばないし、趣味と言えばネット系・本・ゲーム、後は酒と料理ぐらいなので、それらが揃えられる環境さえあれば問題ない。
で、見つけたのが札幌中心部から高速使って二時間ほどの土地にあるこの家だ
所謂モダンクラシックな造りの洒落た一軒家で、生活設備も一通りそろっている。
にも関わらず土地代含めても相場よりもかなり安く、空き家の期間がそこそこあったため手を入れる必要こそあるが、そのリフォーム代を含めても尚予算が余るほど。
と言うのもこの家、建っている土地がかなり微妙なのだ。
田舎、と言い切れるほど辺鄙ではなく、そこそこ発展はしている。
少なくともコンビニすら無い、と言うほどでは無い。
さりとて何不自由ないという事も無い。
病院などの必要不可欠な施設はちゃんとあるが、娯楽施設の類は全く無く、遊びに行く場所と言えば郊外型の大型ショッピングセンターぐらい。
そんな町の端っこ、隣家よりも牧場が近い位置にこの家は建っている。
要するに田舎暮らしをしたい人間からも、都会暮らしをしたい人間からも需要の無い、中途半端な土地、という事になる。
その所為で中古物件であるこの家は、ずっと売れ残っていた。
俺は先の理由からそんな土地でも全く困らない訳で、内見を済ませた後即購入決定。
売主にそれが伝えられた所、余程売れずに困っていたのか非常に感謝され、リフォーム代は買値から差っ引くとまで言ってくれた。
おかげで見積もりよりも更に安く済み、思っていた以上に懐に余裕が残ったモノだ。
言うのが遅れたが、俺の職業は所謂ライトノベル作家、人気はそこそこ。
現在プロデビュー八年目、小ヒットを幾つかと中ヒットを二つ飛ばし、数年前に内一つがアニメ化。
幸いにもアニメはそれなりの好評を頂き、それが最初に言った仕事と収入の安定につながった訳だ。
仕事は順調、蓄えも十分、夢も叶え、まさに順風満帆。
後は恋愛や結婚の一つも出来ればいいのであろうが、大学以来彼女いない歴八年、残念ながら現在当ては全くない。
まぁ元々それほど結婚願望も無く、一人が苦になる性質でもないので、積極的に婚活する気も無いのだが。
寂しい奴とか言うなよ?
友達(居たのかという突っ込みは禁止)が遊びに来て飲み明かす事もあるし、札幌の姉夫婦の所から甥姪が遊びに来ることもあるんだからな!
決してボッチではない!
…こほん、それにしても刺激よりも安定を喜ぶ辺り、俺も年を食ったという事だろう。
昔まだ厨二病が抜けきってなかった頃は、転生やら召喚やらに憧れたモノだが、流石に今では現実も見えている。
トラックに轢かれたって異世界転生なんかしない。
異世界のお姫様に召喚なんかされない。
学校や町ごと異世界に転移する事もない。
実は社会の裏で謎の組織が暗躍してたりしない。
何よりも、もし仮にこれらが現実にあったとしても、中年に片足突っ込んだアラサー中堅ラノベ作家なんぞお呼びじゃないだろう。
凡人の俺は、何処までもこの“平凡”な現実を生きねばならないのだ。
…差し当たってはストーブが消える前に薪持って来よう。
今日の天気で暖房が切れるとかシャレにならん。