第五話 姫騎士・エレナ
「あっちにたくさんの人がいる気配がしました」
森の一角を指差すフィーナの言葉に従って、ブル○ーカーで邪魔な草むらや小枝を薙ぎ払いながらその方向へと真っ直ぐに進む遊馬たち。
最善の注意を払いつつ――
「だからゴリラ・ゴリラじゃなくて、正確にはゴリルラ・ゴリルラなわけで、発音が間違って……」
「ウンキア・ウンキアの方が語感が可愛いと思うんですよねぇ……」
まったく関係のない雑談をしているふたり。
もちろんこれには理由がある。こうやって歩きながら無闇と大きな音と声を出しているのは、山で熊除けの鈴を鳴らしたりラジオをつけっ放しにするのと同じで、野獣の襲撃を恐れてのことなのだ。
もっとも、異世界で地球のセオリーが役に立つかどうかは不明なのだが、幸いいまのところ小鳥や小動物が逃げる気配はするものの、反対に向かってくる獣や魔物の姿はなかった。
「だから地震・雷・火事・おやじのおやじってのは親父じゃなくて、もともと台風のことで……てか、案外、順調だな。あとどのくらいで現地人のいる場所に着くと思う?」
「そーですね、このペースなら一時間とかからないと思いますよ。――で、スイスではスイスロールのことをジャパニーズロールと呼ぶって本当ですかね?」
雑談の狭間に真剣な話をするふたり。
不真面目なようだが、山中でのサバイバルに慣れ、さらにはステータスも操作して体力がアップした遊馬はともかく、平気な顔で雑談に興じながら、森の中のでこぼこ道を付いて来るフィーナもなかなかの健脚であった。
「フレンチトーストはフランスにはないし、ナポリタンもナポリにはないだろう。――つーか、順調すぎて面白みがないな」
異世界転移ものの定石だと、森の中でいきなり牙の生えたウサギとか、棍棒を持った緑色の小人が襲ってくるのがデフォなので、もっと時間が掛かるものだと思っていた遊馬としては、安心半分拍子抜け半分であった。
ちなみに前もってフィーナに聞いた話では、
「魔物というのは魔法を使える動物のことですね。一見普通の動物に見えても、あり得ない脚力を持っているとか、皮膚が鉄より堅いなんてこともあるので地球での先入観は持たないほうがいいです」
とのことであったので、実際の『魔物』の脅威を計るため、まずはこの目で確認して、安全マージンを見定めたかったのだが、この分では何もなくいきなり原住民との遭遇となりそうな公算が高い。
「異世界=魔物ってわけでもないのか。そういえば、ルチアが『安全な場所に転移させる』って言ってたしなァ」
まあ考えようによっては楽で良いけど、と呟く遊馬。
「そうですね。多分、この辺りは凶暴な魔物とか盗賊とかはいない平和な場所なんでしょうね」
相槌を打ったフィーナは、そこで鬱陶しそうに顔の周りにまとわりつく虫を手で払い、
「むう、また虫に刺されました。なんでルチア姉様も戸中井さんも殺虫剤を用意してくれなかったんでしょうね」
愚痴をこぼしながら、途中で見つけたドクダミに似た――薬効も似たようなものなので、虫刺されに有効――葉っぱを揉んで、出た汁を剥き出しの手足に塗る。
「精霊でも蚊に食われるんだなぁ……つーか、そんなに面倒なら、普段は指輪の中に戻っていればいいんじゃないのか?」
そう言って左手の中指に嵌めた指輪に視線を落とす遊馬。
「――えっ!? ご主人様、私に指輪に帰れって言うんですか! 私になにかご不満でも?!」
愕然とするフィーナ。
「ツッコミどころはイロイロあるけど、単にその方がお前が楽じゃないかと思っただけで……違うのか?」
できればこれ以上にエンゲル係数を上げない為に、用事のあるとき以外は指輪に戻ってもらいたいなぁ、と言うのが遊馬の本音であった。
「そんな便利なものじゃないですよ。基本的に一度出てくると余程のことがない限り戻れません。そもそも私の場合、ご主人様専用に永続契約をしているので、ご主人様が亡くなるか、契約を破棄されるまでこのままです」
『契約を破棄されるまで』の部分で幾分声を落とすフィーナ。
「つーことは、ずっとこのままってことか。いきなり扶養家族を養わなければならないのか、やれやれ……」
ため息をついて前を向いて、再びブル○ーカーで進路上の邪魔者を薙ぎ払う遊馬。
文句は言っているものの、『仕方ない』とあっさり受け入れたとも取れる発言に、その背中をちょっと驚いたような顔で見詰めたフィーナだが、すぐにそれは満面の笑みに取って代わられた。
「はいっ! ずっとずっとご主人様についていきます!」
そう言って、遊馬の空いている左手を抱き締めるようにくっ付くフィーナ。
「――うわっ!?」
「あははははっ」
「な、何するんだ! 動き辛いだろう!?」
女の子特有の体温と感触、匂いを間近に感じて狼狽える遊馬。
楽しげに笑いながら寄り添うフィーナ。
端から見ればイチャついているカップル以外の何者でもなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
そこは戦場だった。
黒装束の見るからに『ザ・暗殺者』とでも言うべき格好をした十人以上の男たちが、たったひとりの少女を追い詰めていたのだ。
満身創痍の少女だったが戦意は衰えることなく、またその手にした優美な長剣の戦果であろう、五~六人の黒装束の男たちが血を流して累々と倒れていた。
「さすがは音に聞こえた“ラクリマの姫騎士”エレオノーラ様。我ら影衆を相手にこれほど粘られるとは。感服いたします」
黒装束の男のひとりが感に堪えないという口調で賞賛する。
「――ふっ。すでに全身から毒は回っている、もとより不治の病で余命幾ばくもないわたくしを、義母上はそれほど憎いのか?」
自嘲するような彼女の言葉に、男は沈鬱な声で応えた。
「……あなた様はあまりにも聡明すぎる。あまりにも実績がありすぎる。あまりにも眩しすぎる。百五十年間誰にも仕えなかった〈神剣レーヴァテイン〉を使いこなせる器量、そして兵を率いては百戦百勝。まさに帝相の王女でしょう。ですが、眩しすぎる光はより影を濃くします」
答えともいえない答えに、エレオノーラと呼ばれた少女は寂しげな笑みを浮かべ、それでも力を振り絞って手にした剣を構えた。
「来るがいい。もはや消え尽きるわたくしの命なれど、せめて戦いの中で燃やし尽くそうぞ」
「見事なご覚悟。せめてそのご遺体は辱めることなく、首級以外はこの場で灰も残さず消し去りましょう」
その遣り取りを最後に、お互いに言葉を交わすことなく、少女は正眼に剣を構え、男たちは彼女を取り囲むようにして絶対の陣を引いた。
◆ ◇ ◆ ◇
「どこが『安全な場所』だ!? 無茶苦茶血生臭い戦場じゃねーか!」
草むらからこの様子を隠れて見ていた遊馬は、やっと出会えた原住民たちの殺伐たる雰囲気に呻き声を漏らした。
「『いちおう』『安全な場所に転移させる』『予定』とルチア姉様は言ったので、これは誤差の範囲内ですよ。多分」
「えらい誤差だな、をい」
「で、どうします? 初の原住民との遭遇ですけど」
指差す先では、少女騎士が剣を振り回して黒装束の男たちといい勝負をしている。
男たちが不甲斐ないというより、少女の腕前と手にした剣が尋常ではないのだろう。
「どう見てもお取り込み中で、お呼びじゃないだろう」
「そうですねー。下手に顔を出したらバッサリ斬られそうですから、決着がつくまで待ちますか? 多分、そんなにかからないと思いますし」
その言葉の意味は明白で。確かに技量は少女の方が圧倒的に上だが、疲れかそれとも別な理由があるのか、だんだんと少女の動きが緩慢になってきて、男たちの繰り出すナイフが掠る機会が多くなってきている。
遠からず少女は男たちに倒されるだろう。
思わず呻く遊馬。
「……正義の味方なら、多勢に無勢で女の子を痛めつけている奴らを蹴散らすところなんだろうな」
「ご主人様、腕っ節の方には自信があるのですか?」
「素人や喧嘩自慢程度ならそこそこ。だけどあいつら確実にプロだからな、一対一でもキツイと思う」
ましてパッと見でわかるが、相手は集団戦に慣れきっている。
アマチュアのナイフ術が通じるレベルではないだろう。それを互角に戦っているあの女の子が異常なのだ。
「奪取スキルでナイフを奪っても、一度に一個しか使えないからすぐに見つかってタコ殴りされるのがオチだろうし」
実際にはタコ殴りどころかナマス斬りが予想される。
「助けようと思えば、黒装束の全員を一度に無効化しないと無理ってことだし。……なあ、どうにかできる魔法とかないのか?」
どうせ無理だろうな、と思って聞いてみたところ、
「ありますよ。やりますか?」
「えっ、できるのか!?」
「幸い地形も森の中の盆地ですし、相手は人間ですからね。どうにかできますよ」
気負いのない態度はかえって雄弁な説得力を持っていた。
「じゃあ、頼む」
「頼まれました」
◆ ◇ ◆ ◇
(これまでか……)
ナイフに塗られた毒の影響で体の自由が利かなくなってきた。
おまけに病の発作で咳が出そうなのを我慢しているために呼吸も荒くままならない。
いよいよ追い詰められたエレオノーラが死を覚悟したその瞬間、影衆たちは不意に胸を押さえ「がっ!」と一声呻くと、まるで人形のようにその場へバタバタと倒れ伏した。
「な、なんだ?」
何かの罠かと警戒して目を見張るエレオノーラだが、十五メートルほど離れた森の中から十代半ばほどの男女が不意に現れたのを見て、慌てて手にした〈神剣レーヴァテイン〉の切っ先をそちらに向けた。
彼女の緊張とは裏腹に、男女はのんびりとした足取りで向かってくる。
「どうなってんだ、これ? 毒ガスか?」
「違いますよ。酸素濃度十六%以下の空気を吸わせたんです。個人差もありますけど、人間ってそれを吸うと一呼吸で意識を失うんですよ」
「あぁ、アレか……『気付いた時にはもう遅い』って奴だな」
わけのわからない会話をしながら近づいて来るふたりに向かって、エレオノーラは鋭い声を発した。
「止まれ! お前たちは何者だ? 義母の手の者か?」
――と、口に出したのだが。遊馬とフィーナの耳にはこう聞こえた。
「停止、あなた誰何だ? 部下の義理母親?」
「「………」」
思わず顔を見合わせる遊馬とフィーナ。
「……おい。なんだよ、この機械翻訳みたいなカタコト語は?」
「いやまあ、所詮はお試し版の汎用会話レベル1ですからね」
相互コミュニケーションには前途多難であった。
もうハーレムじゃなくて、遊馬とフィーナのカップルだけでいいんじゃないかと思えてきました。