プロローグ
異世界オールドギリス。
そこは何万年にも及ぶ戦争が続く、怨恨の大地。
大陸での戦争が起きている原因は、現在争っている四つの勢力を統治する『聖王』達に理由がある。かつてこの大地に生まれ落ちた四人の人間は、自分が最も優れている事を証明する為に、果て無き戦争を開始した。といっても、最初は、規模的には喧嘩と遜色ない。
しかし、その小さな火種が孫子の代まで続き、収まりのつかない戦争はつい数ヶ月前まで続いていた。
彼らは四つの勢力、『ミズィガル』『ムスペイル』『ヴァナディル』『ニヴィール』に別れ、東西南北のエリアを勝手に領土と決め込んで居た。侵略されていない土地の侵略も続いている。
だが、この戦争を止めたのは、奇しくも初代聖王の何世代も後に生まれた、聖王の血統だった。
彼らの代では、『異能力者』なる存在が確認された。それは、異次元学者アレイス・シルバーの言葉によれば『他次元にある惑星に生まれ落ちた人間は、異能の力を有する』との事で、つまり、『異能力者』とは異世界人であり、オールドギリスの住民ではなかったのだ。
彼らは後に『四星神者』と呼ばれ、その名をこの地に刻むこととなる。
そして、彼らもそれぞれが勢力の一員となり、お互いに戦争を指揮した。
結果、戦火は燃え広がり、罪なき者ですら斬り殺される、悪夢の時代が始まった。
しかし、『四星神者』達は戦争の最中、忽然と姿を消した。
指揮系統はぐちゃぐちゃになり、戦力を整える為に、初めて『停戦協定』が調印された。
勿論、その程度で収まる程彼らとて野心がないワケではない。
彼らが求めるのはオールドギリスの覇権、揺るぎない立場。
そのために、停戦協定中にも、相手を確実に仕留める為に色々と準備がなされていた。
そう、新たな異世界人をこの地に呼ぶ為の、その準備が。
◆ ◆ ◆
「……例の魔法陣は完成したか?」
「はい、試作品ではありますが、多分問題ないと思われます」
厳かな雰囲気の中、一際偉ぶった態度を取る男と、ヘコヘコと下手な態度を取る男が一人ずつ。
しかし、当然と言えば当然だ。方や一国の王であり、方やしがない研究者なのだから。
国王ヴィオル・フィル・アルデルガルド、そして異次元学者の権威にしてオールドギリス最高峰の異次元学研究者、グラナダ・エンパーイストス。この二人が揃うことは滅多にない。だが、今回特例という事で彼らは同じ場所で同じ時間を共有していた。それは、勿論勢力生存の危機だからだ。
そしてもう一人、この場には似つかわしくない、若い少女が居た。
「…では」
「頑張ってくれたまえよ、リリィ君」
グラナダは精一杯偉ぶった言い方をするが、相対する少女、リリィは特別下手には出ない。
彼女にとって、ミッションが第一である。ミッションを下したのが自分より脆弱な男でも、自分より屈強な歴戦の勇者でも、彼女の態度は一貫して変わらない。その態度だけを切り取るならば、傲岸不遜という言葉がしっくりくる。
「……我々『ミズィガル』が勝利する為の布石だ、必ず全うせよ」
「仰せのままに」
国王に命を下され、リリィは魔法陣の中央に立つ。
すると、準備していた魔術師達が、魔法陣を己の魔力によって組み立てていく。
神秘的な光に包まれながら、瞬きする事もなくリリィは虚空を見つめている。
そして、直後彼女の姿は消え、魔法陣の中には不透明な黒々とした空間の歪みが現れた。
「成功したのか?」
「理論上は…後は三時間程でこのゲートが閉じますので、それまでに奴が返ってくれば、一応成功したという事にはなります」
「……ふむ、だがもうこの手はほぼ二度と使えないな」
「ええ。今回はかつて現れた『魔王』の右腕が、膨大な消費魔力をそれ一つでかなり抱え込んでくれましたから…。次にこれを発動する時は、膨大な資金、それこそ一つ二つの国を潰す程のモノが必要となります」
「まぁ、だからこそ、今回我々はかなり優位に立った」
先程までの険しい顔をやや弛緩させ、国王ヴィオルは唸るように笑った。
『魔王』と呼ばれた男は、『四星神者』に勝るとも劣らない実力の持ち主で、一説には異世界人だったとも言われる。多くの魔法を使いこなし、膨大な魔力を有する男は、いつしか勢力の枠組みを超えた『冥王軍』と呼ばれる、謂わば革命軍を結成した。
だが、何年か前の戦争でその命を失ったと聞かされている。証拠に彼の右腕は切り取られていた。
だが、それ以外の部位を手に入れた者は一切居らず、生きているのか死んでいるのかは未だ不明だ。
「遅かれ早かれ、ムスペイルもヴァナディルもニヴィールも、方法はどうあれ、異世界人を確保する作戦を考えるはずだ。そうした時、我々のように抜群の適材が奴らにはない。膨大な戦力を削って手に入れる他ないのだ。そう、我々は現時点で一歩確実にリードしたと言える」
ククク、と心底嬉しそうに笑うヴィオル。
その後一変して眼光を強めた。ギロリと睨むようにして異世界への扉を睨む。
「…早く来るがよい。かの『四星神者』をも凌駕する実力を携えた者達よ」
◆ ◆ ◆
同時刻 東京都のとあるファミレスにて。
時期は夏真っ盛り、クーラーの効いた店内で一人少年は夏休みの宿題に没頭していた。
少年の名前は逢坂藍人、高校二年生である。趣味や特技はこれといってないが、幼少期から合気道を続けている。好きな事は読書とオンラインゲーム、嫌いな事はスポーツだ。勉強は可もなく不可もなく、運動神経も反射神経も悪いわけではない。ただ単に動きたくないだけなのだ。
そんな藍人だが、夏休みの宿題に追われることは決して珍しくない。
彼は基本からして行動理念がカッチリと定まっていない。言い換えれば、目標や野望がなく、平穏無事に世界が回るならそれで良し、と妥協点さえ妥協してしまうようなダメ人間である。当然必要性がある場合は合理的に物事を行うが、全くもって被害も損失もない案件に対して、自らリスクを追うような慈善溢れる性格ではない。また、重度の依存気質で、自分を活かせるようなモノであれば、例えゲームだろうと傾倒してしまう。現代社会が生んだ、効率厨を通り越した怪物である。
しかし、彼とて未来を捨てたわけではない。
ここで提出点を差し引かれると、今後成績が決まる中で、大きなハンディを自ら買うのと同義だ。
妥協はするが余年はない、矛盾しているようなしていないような、全く曖昧な生き方である。
だが、問題はそこではない。
藍人の頭脳レベル的に問題を解くこと自体は然程難しくはない。ある程度は答えを覗く事も可能ではあるし、実際終わるか終わらないかの二進法で物事を解釈するならば、終わる、と断言できる。
ただ一つ、とある問題を除いて、だが。
その問題とは。
「……終わらねえ」
時間、である。
時間は全世界の誰もが共通して共有するモノである。誰か一人だけ一日が一時間長い、とか、誰か一人だけ一日分早く時が進んでる、なんて事はないのだ。つまり、一日二十四時間まるまる使えるのは何処の誰でも一緒で、例え宿題に追われていたとしても翌日の三時間を今日の三時間に加味する事は不可能なのである。考えてみれば当然である、これが覆ったとしたら、世界が変わる。
そして、藍人とてその事実を否定する事は出来ない。
故に、今回助っ人を呼んである。昼飯を奢るという対価はしっかり払っているが。
「……そろそろか」
時刻は12時を回った、そこで藍人は問題集を閉じて、静かに息を吐き出した。
それとほぼ同時に、客の来店を伝える為のメロディが流れた。
軽く後ろを振り返ると、藍人がよく知る三人組が居た。いや、予定通りではあるが。
「藍人、今日は昼飯ゴチになるぜ!」
一際親しげなのは幼馴染で親友の神楽澤秀都だ。
秀都は、神楽澤家の次期当主である。神楽澤とは現代社会の中で知らぬ者が居ないとすらされる、超有名な家柄だ。事実、秀都の父親は有名IT企業の社長、母親はカリスマモデル、祖父は内閣総理大臣、祖母は女優…と、それこそ遡ればキリがない程その一家は、方向は違えど必ず成功している。
しかし、そんなエリート一家に生まれ落ちながら、秀都は自分の生まれや才能をあからさまにひけらかしたりはしない。誰にでも優しく、誰にでも親しく、それが秀都のポリシーなのだ。
その上顔立ちも端正で、甘いマスクなんて言葉がよく似合う優男である。
だが、今回呼んだのは秀都だけではない。
「私達もゴチになりまーっす」
「ご、ごめんね、逢坂くん…。わ、私だけ、でも…その、払おうか?」
「…いや、無用の気遣いだ、櫻井」
明朗快活な少女の名前を宮上海鈴、礼儀正しい小動物のような少女は櫻井陽和だ。
海鈴は女子テニス部のスーパールーキーだ。実力は中学の頃から注目を浴びていて、藍人が通う高校はたまたま、女子テニスの全国常連校だった、という希薄な関連性から、同じクラスとして二年を過ごし、今に至る。女子にありがちな少し着飾ったような態度は全くなく、サバサバと素っ気ない態度は女子の中では割と話しやすい部類に入る。また、容姿も優れており、告白された回数は両の手では収まりきらない、それと同時にフラれた男達の数も両の手には収まらない。
対して陽和は生徒会執行部に所属する優等生タイプである。勉学は勿論だが、目上の者を敬う淑女らしさは先生達にも大評判だ。今に生きる大和撫子を地で行く、が、大分自分の事に関して自信がない。運動も卒なくこなす。しかし、これといって目立った何かをするわけでもなく、とても惜しい人材だ。趣味は読書、特技は圧縮記憶。圧縮記憶とは、例えば教科書のとあるページを、一枚の絵として脳内に刷り込み、後々脳内で絵本を読む感覚で教科書の内容を覗き見できるスキルだ。お淑やかな性格は、男子の心を擽って止まないが、今まで誰かと付き合った、という感じの浮いた噂は聞いたことがない。
と、秀都に負けず劣らずな人外能力を持つ二人も参戦し、物量作戦を結構した藍人。
その代わり二ヶ月分の小遣いはほぼ消えたと言っていいだろう。
「で、藍人は何処までやったのさ?」
「ここまでだよ」
海鈴は覗き込むようにして問題集と藍人の顔の間に割り込んだ。
こうやって男子の目を気にしない部分を藍人は結構好んでいるが、度を越すと色々と危なっかしい。
藍人は即座に顔を後ろに倒し、ほっと胸を撫で下ろした。
「え、全然終わってないじゃん…? 藍人、アンタほんとに取り組んだワケ?」
「宮上、お前俺をナメてるだろ? 俺は自分に振りかかる火の粉はキッチリ払うんだよ。当然、今後俺のライフラインに直接関わる問題には相応の対処をする。これがいい例だ」
「お前のその理論なんとかしろよ…。ほんと言ってることが人間のクズだぞ…」
秀都は若干こめかみを抑えて、そのまま並べられた問題集に目をやった。
宿題の数は7つ程。数学の問題集一つ、国語の古文読解が一つ、加えて読書感想文、世界史の年表穴埋め、化学の課題論文、英語の英文自己紹介、そして自主的に「やるべき」である宿題が、体育で、毎日体を動かす事。最後の一つは宿題に数えない方針で藍人は夏休みを計画的に過ごしていた。
残っているのは数学の問題集(両面印刷、合計問題数100オーバーの鬼畜仕様)と古文読解だ。
読書感想文は夏休みに入った当日に終了、年表穴埋めは音楽を聞きながら作業的に終わらせ、化学の課題論文は、似通った内容を描いているサイトからコピー&ペースト、英語の自己紹介文は翻訳機能のあるスマホのアプリで対応。兎に角効率的に物事を進めていた。が、効率とは真っ向から立ち向かう、「質より量」思考の物量問題が藍人に襲いかかったわけだ。
というわけで、目には目を歯には歯を。
物量作戦には物量作戦で対抗する。謂わば毒を持って毒を制すの精神である。
「問題の解答を写していくだけの単純作業だ。順次開始してくれ。飯は俺が頼んでおくから、何か要望があれば各自追加で頼んでおいてくれ。後、古文読解の場合は筆跡を注意深く見られるから、出来るだけ似せるようにして書く事。それじゃ、開始!」
藍人は的確に指示を飛ばし、さらっとその場でベルを鳴らした。
店員が即座に飛んでくる。矢継ぎ早に注文を終えて、問題集に取り組み始める。
問題集は、店売りのようなモノではなく、用紙の隅をホチキスで止めた簡易型。藍人は前もってホチキスの針を外し、皆へ分配。その後、終了した時点で回収し、反対側をホチキスで止める。先生には「外れたので反対側で止めた」と適当に話せばOKだ。勿論、人道的にはまるでOKではない。
そこで、善意の塊こと陽和が、おずおずといった感じで藍人に話しかけた。
「あ、あの、逢坂くん」
「なんだ、櫻井。疲れたなら休んでもいいぞ?」
「だ、大丈夫だよっ、まだ初めて数分だもん…。けど、これで、逢坂くんはテストとか大丈夫なの?」
「ああ、公式とか暗記してるし、応用にもそこまで弱くないからな。ちょこちょこ事前に勉強しとけばそれなりの点数は出せるから安心してくれ」
「そ、そうなんだ……」
「陽和、藍人はこういう奴なんだ。今更だが思い知っただろう?」
若干呆れた感じの陽和に、秀都はフォローとは呼べないフォローを入れた。
その後は駄弁りながら昼飯を食べ、またも世間話に花を咲かせつつ解答を写していく。
それから一時間半程で鬼畜仕様な数学問題集は終了した。
古文読解はまた今度の機会にするのだろう。何となくお開きムードが漂い始めた。
「古文読解どうするんだ、藍人」
「コレは今度だな。次も頼んだぞ、今度は俺の家にしよう。その頃にはクーラーも直ってるはずだ」
「うん、分かったよ」
「ちぇー、今度は奢ってくれないのかぁー」
秀都の然りげ無い気遣いを上手く利用して、この場での勉強は一先ず終了となった。
だが今は昼の二時、家に帰っても中途半端な彼らは、ウンウンと唸っていた。
この四人が集まることは別に珍しくない。藍人は基本インドアで、秀都と二人でならゲームセンターやアミューズメントパークなんかに行ったりもする。だが、二人で遊ぶ時よりも、この形態、つまり海鈴と陽和を含めた四人で遊ぶ事がここ最近は多い。
そして藍人の基本スタンスは三人が提案した行き先に黙って付き従うことだ。
藍人の心情的には一先ず帰ってオンラインゲームを始めたい所なのだが、こうやって気分転換に友人数名と外を歩くのも悪くはない。藍人も何だかんだで人の子なのである。
そうして唸ること数分、海鈴が何かを閃いたのか、目を輝かせた。
だが、不測の事態が彼らを襲う。
ガンッ! と、鋭い衝撃音が響き、それが店の扉が吹き飛んだ音だと気づくのに数秒を要した。
藍人達も当然、周りの客達も唖然とした様子で背後を振り返る。
すると、腰に鞘を付けた一人の少女がスッと壊れた扉から入ってきた。
「……対象を発見」
「あ……?」
何かボソボソと呟くと、次の瞬間には藍人の目の前にその少女は飛んできていた。
距離は数mもあった。一足飛びでならまず到達不可能なポイントに、彼女は何故かたどり着いた。
周りの客も、秀都ら友人達も、ポカンと呆けて口を開いている。
そんな中一人だけ逆に意識が鋭敏化していくのは、武道を習っていたが故だろうか。
少女は臆面もなく、躊躇いもなく、右手を藍人の首に向けて放った。
藍人はその勢いを殺さず袖を掴み、首を窄めて逆に少女を投げ飛ばす。
ひゅん、と思いの外軽く飛んだ少女は、トンッ、とまるで体重が無いかのように静かに着地した。
藍人は席を立ち上がり、歩行可能なスペースで相手の出方を伺う。
「…やはり、一筋縄ではいかないか」
「何者だよ、マジで…」
藍人の使えるスキルは合気道で習ったモノだけだ。
合気道は武道としては少し特殊で、相手へ直接干渉したり、モノに対して自ら干渉しない。相手からの干渉を流動的に受け流すようなシステムだ。つまり、合気道は他の武道に比べて受動的、と言っていいだろう。言い方を変えれば、後の先を取る戦い方、というヤツだろうか。
しかし、それを抜きにしても藍人は今回、相手の出方を伺う他なかった。
それはまるで、自ら干渉した時点で敗北が決定するような、圧倒的な威圧感がそこにあったのだ。
「…次で捕らえる」
今度は跳躍ではなく、素直に走ってくる少女。
勢いを殺さず真っ直ぐ放たれたストレートを間一髪で藍人は避ける。
ブン、と、風を切る音が耳朶を打ち、藍人はそのまま軽くバックステップを取った。
だが。
音速、いや光速に近い速度で、彼女は放った勢いの残像を残したまま、足払いをしていた。
それは影分身をしたような、まるで蜃気楼を相手に戦っているような、酷い幻覚に囚われる。
案の定、バックステップで浮き足立った足元があっさりと払われる。
「…時間がない。仕方がないから、ここの三人も連れて行く」
「ど……いう意味だ…?」
思いっきり倒れ込んだ藍人は、息を吐き出すようにして言葉を紡ぐ。
しかし、少女は取り付く島もない。倒れた藍人の首根っこを掴む。
すると、藍人を連れて、元々藍人達が居たテーブルへと近づいてきた。
「動くな。さもなくばコレをこの場で殺す」
その言葉に、秀都、陽和、海鈴は声すら出せない。
それから彼女はその場を動かない。そうして何分か経った頃だ。
「……そろそろのはず…」
そう言った直後、彼女を中心に空間が黒々と歪んでいく。
悲鳴は無かった、というよりは、声がなかった。まるで真空状態の中にいるようだった。
意識は驚く程鮮やかに切り取られ、藍人と秀都らは静かに倒れ込んだ。
そして、その後数十秒で黒々とした空間の歪みは消えた。
それと同じくして、藍人らも、同様にその場から消えてなくなっていたのだった。
残されたのは、困惑する客達と、対応に忙しなく動く店員。
そして、折角終えることの出来た数学の問題集が、バラバラになって机の上に残っていた。