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 ――人類が進化を追い求めるだけ、世界は終わりに近づいていたのかもしれない。



 そう感じ始めたのは何もかもが染まってしまった後、鉄の臭いのする場所でただ一人。




 哭き叫んだ。











 Time is money制度。

 それは文字通り、時は金なり。つまり、金を払いさえすれば時間を買え、時間を払えば、金にできる制度。

 後者は今まででも可能だった事だが、前者は全くと言っていいほど不可能だった。

 それが可能になった事により、人々の生活は一変するようになる。

 まず、お金を払えば学力も手に入ることから、高校への進学は四割低下し、その四割の人々は中学を卒業した時点で就職する。

 Time is money制度を使うことにより、社会に必要な知識なども殆ど手に入れる事ができ、天才と呼ばれる人間は消え失せた。

 その代わり、貧しくてTime is money制度を活用できない人々には莫迦と言う代名詞は付き纏い、就職先も限られた。

 金のある者はどんどん上に伸し上がっていき、金のない者は永遠と底辺を彷徨う。

 分かりやすい世界になったが、平等はなくなった。いや、元から平等なんていうものはないのかもしれないが。

 Time is money制度の本体――Time is money institution Main body――通称、TMは東京にある。

 そこから人の頭に直接、データを送り込む事によって、金を払えば若返ったりも、筋肉をつけたりもできる。

 この世は昔も今も変わらず金。

 だが、Time is money制度にも一つだけ欠点が存在する。

 TMが停止すれば、今までに費やしてきた金の量にかかわらず、Time is money制度によって齎されたデータは全て失われる。

 その対策の為に考案されたデータを保存する為のメモリースティックのようなものがあるらしいが、表では全く知られていない情報である。




 ◇


 机上には何も置かれてはいない。黒板は存在するがチョークはない。

 黒板とは言っても天井に備え付けられた機械からの映像を映し出すことのみに使われ、その映し出された映像に先生が専用のペンを使って、書き足していく。

 黒板の内容は利き手じゃない方に付けられた黒い円状の端末に送られ、それによって宙に映し出された映像で、確認することができる。さらにその映像に手で触れることにより編集する事も可能だ。

 右手に付けた黒い端末に送られてきた今日の授業の内容を、机上に映し出す男子高校生は溜息を吐いた。

(毎日毎日……ご苦労なこった……)

 一番後ろの真ん中の席である彼が横目で右の方を見る。窓の外には廊下があり、そこで此方を睨みつけている数人の男たちがいた。

 今は他のクラスも授業中の筈であるため、廊下にいる者たちは授業を抜け出してきたのだろう。

 教室に入ってこようとはせずにただ、彼を睨みつけるだけ。

 あと二、三分で昼休みに入る。

 つまりは、授業の終わりを告げるチャイムの音がゴング。

 そのゴングが鳴るのと同時に何が始まるのかはこのクラスにいる全員が周知している。勿論、先生も。

 だから、教室にいる殆どの者が睨まれている人物に早く教室を出て行ってほしいと思っている。

 あと一分。

 授業中に入ってこないだけ、廊下にいる彼らにもモラルと言うものはあるらしい。

「……終わろう」

「起立!」

 先生の合図とともに学級委員が声を出す。

 教室にいる生徒全員が立ち上がる。

「気をつけ。礼!」

「ありがとうございました」

 覇気の無い声が教室に響き渡った数秒後。ゴングは鳴り響いた。

 瞬間、廊下にいた人物たちが一斉に教室のドア、窓を開けて、中へと入りながら叫ぶ。

「アサバァァア! よくも昨日は逃げてくれやがったなぁ!?」

「魚みたいな変な名前しやがってよぉ!」

「なめてんのか! あん?」

 数人の男たちは彼らが睨みつけていた生徒に向かって暴言を吐き散らし、彼の席を囲んだ。

 逃げ場は無く、厳つい男たちに囲まれたのにもかかわらず、彼はポケットに手を突っ込んで、足を机からはみ出すくらいにまで伸ばしている。

 そして、反抗的な目で相手を睨みつけていた。

 クラスメイトはとっくに教室の端っこか廊下に避難しており、廊下には他のクラスからの野次馬で溢れ返っていた。

「てめえ。昨日は俺の制服汚してくれやがってよぉ!」

「それって一週間くらい前の話だろ? どんな頭してんだよ」

 馬鹿にする男子生徒は間違った事を言っていない。

 確かに目の前の男の制服を汚したのは一週間くらい前のことで、それから毎日、こんな風に教室に入ってくる。

 そして、男たちにはもう一つ語弊があった。

 彼が逃げたのは昨日だけではなく、一週間前からずっと逃げ続けてきたのだ。

 ある時は教室の窓から外に飛び降り、ある時は教室に入ってくる男たちを倒して道を開け、廊下から逃げたり、ある時は保健室で寝ていたり。

 男たちが来るのは決まって昼休みに入る前の三時間目の終わりだったので、逃げる準備をするのは容易かった。

 何故、不意打ちと言うか違う時間帯、登下校の時に襲って来ないのはただ、彼らが優しいのか馬鹿正直なのか。いや、前者は否定しよう。何故なら、目の前の男は殴りかかろうと右拳を振り上げたからだ。

「馬鹿にしやがって! 舐めてんじゃねえよ!」

 そのまま目の前にいる男子の顔に右拳をぶつけようとした時、ポケットに突っ込まれていた左手を瞬時に出して、その拳を受け止めた。

 その瞬間、自分の拳を受け止められた男は訝しげな表情を浮かべて静止する。

 拳を受け止めた左手は黒い手袋で覆われていた。

 だが、男が驚いたのはそれだけではなかった。

(やべっ!)

 黒い手袋をはめた男の方は焦るように掴んでいた手を離し、周りの厳つい表情をした男子生徒たちの狭い隙間から脱出し、野次馬たちを掻き分けながら教室を後にする。

「おい! 逃げんじゃねえ!」

 数人の男が黒い手袋をした生徒を追いかけ、残った男たちの副リーダー的存在の一人が固まったリーダに向けて心配そうに口を開く。

「どうしちゃったんすか? 急に黙りこくって……?」

 右拳の感触を確かめるグループのリーダー的存在の男は舌打ちをするのと同時に、独り言のように呟いた。

「なんで金持ちがここにいんだよ……!」


 ◇


「はあはあ……撒いたか……?」

 息を切らしながら後ろを振り向くと、誰もおらず、胸を撫で下ろした。

 左手に黒い手袋をした男子高校生、浅葉優介は学校の図書室に足を踏み入れていた。学校では図書室の事をメディアセンターと言っていた。

 司書はおらず、一切物音のしないそこに優介の歩く足音だけが響き渡る。

 すると、誰もいないかに思われた図書室にはもう一人生徒がいる事に気づく。

 しかし、あっちは優介の事には気づいていないようで、茶色いカバーの掛かった本を読み耽っていた。

 ページをめくる以外全く動かない女子生徒は入り口から一番遠い端っこの机に座っており、優介は彼女が見えるくらいの距離。室内の中心の机の席に座る。

 机に頬をつけて、火照った顔を加工された木の冷たさで冷やす。

 その間、ずっと彼女の様子を窺っていた。

 眼鏡を掛けて、ミディアムヘアのさらさらした黒髪に眼を奪われる。

 その髪がそよ風に吹かれている様子を見てみたいと思った時に、お腹が鳴って初めて今が昼休みだと言う事を思い出すが、ポケットの中に手を突っ込んでもお金が入っているわけでもなく、教室に戻って鞄の中を見ても弁当が入っているわけもない。

 今日もまた、お昼ご飯なしで午後の授業を受けなければならない。当然、頭は回らない。

 春の丁度良い気温と図書室の静けさが合致し始めた時、瞼は重たくなっていき、いつの間にか寝ていた。

 司書に起こされたのは昼休みの終わる五分前だった。

 涎を制服の袖で拭いながら周りを見回すが、本を読んでいた女子生徒の姿は無かった。

 諦めて教室に戻ると、自分の机が無くなっていた。

「クソ。あいつら……」

 頭を掻きながらどうしようかと悩んでいる時に授業開始のチャイムは鳴った。

 都合良く、先生もまだ来ないので鞄を持って、何人か声を掛ける生徒もいたがそれを無視して、教室を後にした。

 正門には監視カメラと警報、裏門は鍵がしてあるので学校から出る事はできない。

「まるで刑務所だな」

 そんな皮肉を言いながら、廊下を歩いているとドラム缶のような形のセキュリティーロボット四台に囲まれる。

 息が苦しくなり、過呼吸にでもなりそうな勢いだったが、大きく息を吐いて吸い込む事に努めるとすぐに治まった。

 学校のそこら中に取り付けられた監視カメラによって見つかったのだろう。

 そう。彼の言葉は皮肉でもなんでも無かった。

 超パノプティコン。誰もが監視された世界。

 そのおかげで犯罪数は激減。だが、プライバシーなんて言う言葉は無くなった。

 金で全て解決できる世の中になってから、犯罪数は上昇。その為の監視。また、科学も大きく進歩して、この世界は完成した。何の面白味も無い、将来に夢なんて無い世界に。

 そんな世界に反抗しようと鞄を持って教室を出たが、それも無意味に終わる。

 教室に再度帰ると、新しい机が用意されており、その席に大人しく着いた。

(あいつら毎日、どうやってあのロボット撒いてんだろ……)

 厳つい顔をした男たちの姿を思い浮かべながら考えるが、全く見当もつかなかった。

 空腹のまま授業を三限受けて放課後になるとそのまま素直に帰路にはつかず、図書室に寄って帰ろうと思った。

 目的は一つ。昼休みに見た彼女の事が気になったからだ。

 図書室に行くとカウンターには自分を起こしてくれた司書の女性がいた。

 目が合って何もしないのも失礼かと思い頭を下げると、眉間にしわを寄せて、此方の方に向かってきた。

「ちょっと!」

「は、はい!?」

 何も悪い事をした覚えは無い。

「机に涎垂らして! 汚れちゃいましたよ!」

「あ、ごめん……なさい」

 なんだ。そんな事か、と思いあまり申し訳なさそうにすることもなしに謝ると、機嫌を悪くしたようでプイっと後ろを向いて、カウンターに座った。

 図書室に来る人なんて全然いないのだから一個の机くらい駄目になってもいいだろうに、とカウンターの横を通り過ぎて図書室に入ると、昼休みと同じ入り口から一番遠い端の席で彼女は本を読んでいた。

 彼女は本に夢中でやはり、優介に気づく事はない。

 声を掛ける気もなしに何故ここに来たのだろうか、このまま帰ったら司書の女性にまた睨まれるに違いないだろうと思う。

 仕方なく貸し出している本ではなく、貸し出してない漫画の置いてある場所を見つけて、適当な一冊を手に取った。

 それを持って彼女とは離れた所の席に着き、鞄を隣の椅子に置いて読み始める。

 漫画を読んだ事は全く無いため、読んでも何の面白みも感じられずにすぐに断念。

 漫画を机に放って、昼休みと同じ体勢になる。

(腹減ったなぁ……)

 鳴り響く大きな腹の鳴る音。

 静まり返った図書室にそれは響き渡り、初めて彼女は此方の方を見た。

 眼鏡を外して、まだ何の音なのか理解できていないようなきょとんとした顔で此方を見る。

 そして、何の音なのか理解した彼女は口元に右手を持ってきてクスリと笑った。

 その瞬間、自分の中の血液が一瞬にして顔に集まったような感覚がする。

 優介は顔を真っ赤に染め上げて、すぐさま図書室を出た。

 図書室を出てその階の廊下を走って、疲れて止まった時に自分が鞄を持っていない事に気が付く。

「あー……めんどくせー……」

(どうせたいしたもん入ってねえか)

 そう思って、図書室の方向を振り返ることなく歩き始めると、誰かによって後ろから制服を掴まれて、強制的に足を止められる。

 振り返ると、図書室にいた女子生徒がそこにいた。

 制服を掴んでいた手を離し、それと反対の手に持った二つの鞄の内の一つを向ける。

「これ。忘れてたよ?」

「……ありがとう」

 そう言って、左手をポケットに入れたまま右手で鞄を受け取ると、彼女はうれしそうに微笑んだ。

「よかったら、何か食べに行かない? お腹空いてるんでしょ?」

「いや金……ねえし……」

「わたしがおごってあげようか?」

 善意で言った言葉なのだろうが、優介はそう受け取れなかった。

「人から施しを受けるほど、貧乏じゃねえ」

「え?」

 笑顔が少し驚いた様子になり、その後彼女の表情が変わる前に彼女に背を向けて歩いた。

 彼女は追いかけてくることもなく、優介は帰路に着いた。

 家は徒歩三十分の所にある。電車を使って通う金も無いので、近いこの高校を選んだ。

 このまま家に戻っても特段する事はないので、途中にある河川敷で横になって夕焼け空を眺めてみる。

 黒い手袋をはめた左手を空に向けて上げ、指を広げたり閉じたりする。動作確認。

(なんで……こんなオレのために……金使うんだよ……)

 その左腕をそのまま額に持っていき、その状態で数分間静止する。

 色々な感情が入り乱れ、それが落ち着いた時、急に体を起こして、川の方に目を向ける。

 澄んだ川。人工的に作り上げた水の流れる川。

 Time is money制度によって作られた偽りの世界と、偽りの――。

 右手で鞄を手にした優介は立ち上がって、帰路を歩くのを再開する。

 辿り着いたのはボロい二階建てのアパート。その一階が優介と父親の住む家だ。

 ポケットの中の鍵を使って中に入って電気を点けても誰もいない。

 鞄を放り投げて畳に横になる。

 外が暗くなって、時計の針が午後の九時過ぎを示した時に玄関を開けて、彼の父親が帰ってきた。

「ゆーすけ! おそなってすまんなー、腹減ったやろ? 朝、ちゃんと昼ご飯の金持ってけって言っとったのにまた、持って行かんどって!」

「昼めしなんていらねえから」

 脚の低い机の上にコンビニの袋を置いて、普段着姿の父親は仕事の作業着を洗濯機の中に入れる。

「またそんなことを。明日は絶対持って行かせるけんな」

 そう言いながら手を洗って、コンビニの袋の中からコンビニ弁当を取り出す。

 母親が死んでから、いつも夜ご飯はコンビニ弁当になった。

 いつもその事で父親は自分の息子に謝っている。息子は逆に自分が謝りたいくらいなのに。

「さあ食べよう! いただきまーす!」

「いただきます」

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