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人狼執事  作者: 空暮
10/11

1-10

 遅くなりました。

 

 「……どうした? 来いよ。何をビビッてやがる?」

 壁を背に俺は朱羅を挑発した。朱羅は涎を床に垂らしつつ、俺を観察している。

 (フン、嫌な目だ……)

 臓腑までバラして見透かすようなその目は、人のモノというより感情のない虫のソレに近い。ただ、俺をどうやって殺すかだけを考えているのだろう。

 「――そうして壁に挟まれていれば、我が拳打の軌道を制限できるとでも思ったのか? 他愛なし、我が拳は竜骨すら砕くぞ?」

 馬鹿が、それぐらい分かっているとも。知っていて、わざと追い込まれてやったのだ。

 朱羅がどのように思考し、行動するか。それはもう、良く分かった。だが、俺は死んで負けるだろう。勝つにはアイツの力が必要だ。

 (あの馬鹿でも俺の弟だ。必ず戻ってくる)

 本当にアイツは馬鹿だ。勝手に俺を庇って、勝手に吹っ飛んでいきやがった。だから馬鹿は嫌いだ。死んでも馬鹿は治らない。

 「そうか、なら代わりに良い事を教えてやる」

 息を吐き、一度区切ると深呼吸をして言ってやった。思わず頬が吊り上がる。

 「弟は兄より早く死んではいけないってな―――叩ッ斬れェェェ! ルッゾォーッ!!」 

 朱羅の頭上の暗闇に、白い影が滲む。それは気配を殺して跳躍したルッゾだった。片腕の無いルッゾは鬼気迫る顔で朱羅の眼球を狙っている。俺の叫び声に、朱羅の意識が全てルッゾへ向けられた。

 (―――そこっ!)

 この瞬間こそ、俺が待ち望んでいた時。飛び掛ってきたルッゾを対処すべく、朱羅が一瞬顔を俺に背けた―――絶好の機会!

 二つの石壁、それを交互に蹴り付けて宙を舞う。身体を動かすだけで頭がキリキリと痛む。俺自身もそろそろ限界のようだ。

 「犀玖螺ァァァ!!」

 「ふぬぅ……!」

 残された右腕で繰り出した技は朱羅が身を捻って避けたようで、頬に傷をつけたまでだった。俺は壁を踏みつけて地と水平に飛ぶ。あと少し、あと少しだ。

 「うおおおおおおっ!!」

 ルッゾは闇雲に両足を動かし、眼球を切り刻もうとするが、分厚い右掌で全て受け止められてしまった。掌には……薄い傷がついただけだ、クソッ!

 その掌が宙に浮いたルッゾを叩き落とそうと振りかぶるのを見て、叫ぶ。

 「朱羅ァァアアァアアァアアーッ!!」

 案の定こちらに注意が向いた。朱羅は迷うことなく、その右拳を俺に対して放った。強引に身を回転させて繰り出した一撃に、俺は「危険ではあるが、可能」と判断した技をぶつける。それは――

 「――震叫脚ッ!」

 地の支えなくして成り立たない技を、宙で手繰る。可能なはずだ、体幹を制御して、筋肉とバネを駆使すれば、充分な威力を保つ事が。

 迫る拳は俺の身体より大きい。もはやそれは高速で飛来する壁と変わらない。その壁を、俺は穿つように右足で踏み抜いた。

 「……グウァ……!?」

 自分のものとは思えないくぐもった声。身を奔る衝撃が脳天まで衝き抜け、視界が何重にもぶれる。自分が今どうなっているのか。ただ、右足が無事な事はその激しい痛みから分かった。

 みしみしと厭な音を立てる身体、痺れ、重力に従って着地したのは……朱羅の右腕の上だった。朱羅の右拳は地にめり込み、埋もれている。どうやら思惑通りいった様だ。

 「我が拳打を逸らすとは……だが、その足では最早――」

 「――咆、拳ッ!!」

 言葉を遮るルッゾの裂帛の咆哮。数瞬の間を置かず、朱羅の巨体がぐらつく。ルッゾが左腕の関節を狙い、打ち砕いたのだ。

 「……先ほどのお礼です。左腕、もらっていきますよ……!」

 爪が通らない皮膚、斬撃が通らないなら打撃を。ルッゾの選択は正しかった。ルッゾならそうすると、俺は分かっていた。だから――だから、走れ!

 歯を食い縛り、朱羅の右腕を駆け上がる。足に走る激痛が嬉しい、体を軋ませる激痛が嬉しい。どれもこれも今から何倍にもして返してやれる。そう思うと口元が綻んでしまう。

 あの朱羅の顔が初めて驚愕に染まる。右腕を振り上げようとするが、もう遅い。俺はありったけの力を込めて乾いた皮膚を踏み付け、跳んだ。

 向かう先は、巨大な眼球。技を放つ体力も余裕も無い。ただ、両手両足の爪を差し出し、牙を突き立てるだけだ。

 一瞬、世界の刻みが緩やかになる。眼球の黒目が動き、俺を捉えた。黒曜石が如き光沢、そこに映っていたのは……大きく顎を開いて、身体を屈めている俺の姿だった。

 最初に感じたのは、思っていたより硬い弾力と血より温い生暖かさだった。何度も何度も喰らいつく口内に入り込んでくる液体は、何の味もしなかった。両手の爪は特に何の抵抗も無く、眼球に突き刺さり、掻き毟る。まるで水を掻くような感覚だ。それが面白くて何度も搔き回してやる。

 「ぐっが、ぐごァ……! ががあががあああああああっ!!」

 朱羅の激痛に苦しむ叫び声が遠く聞こえる。お生憎様だが、今の俺が聞きたいのは己の心音と目玉を噛み千切る音だけだ。

 「ガルルルルルッ! ガフ、ガフッ!! ガルッ、グルル……!」 

 両足の爪を食い込ませ、上半身だけはどんどん眼球の奥底へと突っ込んでいく。溺れた阿呆のように手を忙しなく動かし、掻き出し掻き出し、更に更に奥へ。

 「兄さん、危ない!」

 ルッゾの声を合図に、掘り進む事を止めて朱羅の頭の上に飛び移る。案の定、以前は目が在ったであろう場所に右手が叩き込まれた。水気が無くなり、破られた障子にも似た眼球へ追い討ちの一撃。ごしゃ、と飛沫が舞う。

 (痛みで我を忘れてるのか?)

 顔に張り付いた得体の知れない柔らかい物体をつまんで剥がす。頭頂部から眺める景色は何とも奇妙だった。朱羅は狂いに狂って暴れ出し、右腕を振り回している。柱を砕き、地を割り、その瓦礫から逃げ回っているルッゾ……よしよし、滑稽だ。もっと逃げ回れ。

 やはり朱羅の目は完全に使い物にならなくなっているらしい。ルッゾの姿どころか、自分が何を殴っているかも分かっていない。このままでは、この地下が崩れるのも時間の問題だ。

 「愛おしいィ! いとおおォしいぞぉオオォオォォッ!! 愛おしい愛おシいいと惜しい愛オシイ愛愛愛いと愛愛イと愛……」

 壊れてやがる。元々から破綻していたが、朱羅は完全に壊れている。ついに右拳は天井に叩きつけられ、穿ち――崩落させた。

 柱が砕けた今では、地下を支えているほどの余裕が無かったのだろう。崩れる天井からは、この地下とは不釣合いな荘厳で清廉な教会の装飾が見えた。

 (皮肉だな。化けの皮剥いでみりゃ、こんなに穢い)

 落下してくる瓦礫の大きさは今までの物とは比べ物にはならない。何より、これから崩れるかもしれない地下に居ること自体危険だ。未だに朱羅は暴れており、辺り構わず破壊の限りを尽くしている。

 「こいつを止めないと、面倒が増えるな。……ったく、ルッゾォ! 登って来い!!」

 それだけ告げると、朱羅の頭から真上に跳び、どうにか崩れずに済んでいる箇所を掴んでぶら下がり、反動を付けて地上の教会へ這い出した。

 外はうっすらと明るく、夜が明けるまであと幾許もないようだ。振動でステンドグラスに描かれる聖女が震えている。冷気が身体を包み、心地良い。

 粉砕音が途絶えない地下、ルッゾがかろうじて姿を保っている柱へ跳び、蹴り飛ばして宙を行く。蹴りを受け、崩れた柱は石畳に打ち付けられて粉々に砕けた。

 手を伸ばす俺に向かって、ルッゾは器用に崩れ落ちる瓦礫を蹴って上へ昇って来る。息がひどく乱れ、顔色も悪い。千切れた左腕からの出血のせいだろう。いくら人狼でも無理をしすぎだ。

 「……クソッ」

 やりようのない怒りが込み上げてくるが、それは後だ。

 「これで終わりにするぞ! 次で殺し切る!!」

 どうにか昇って来たルッゾの右手を掴む。両脚を踏ん張り、渾身の力を込めてルッゾを引き上げ――教会の天高く投げ飛ばした。

 「な、にを……! どうするつもりですか、兄さん!?」

 俺も立ち並んだ椅子を踏み台にして跳び、宙でルッゾの脇腹を抱く。横並びになって落ちる先は、朱羅の脳天。

 「全く気が向かないが仕方ない、ガキの頃一回やったアレでいくぞ。まさか忘れてはいないな?」

 本当に気が進まない。だが、死んで負けるよりはよっぽど上等だ。力を合せるの相手が弟というのも気に食わないが、他の馬の骨に比べたらまぁ、許容できる。

 「アレ……って、滅茶苦茶です、が……やるしかない、みたいですね」

 驚き、逡巡し、溜息混じりにルッゾは答えて俺と同じように腕を回し、肩を抱いてきた。強く、互いの身体を固定し合い、俺は左足に。ルッゾは右足に。その瞬間に備えて力を蓄える。

 「どォォォォォこだァァァッ!! 我は朱羅ッ、無明の楽土を目指す者なるぞォォォォォォッ!!」

 まるで地獄の亡者の叫びだな、と見下し思う。重力で急激に下への力が強まる。天上を思わせる美しい教会から、鬼が泣き叫ぶ崩れ落ちる地獄へ。俺たち兄弟は堕ちていく。

 狙いは朱羅の目だった箇所。風切り、初速こそそれ程ではなかったが、今や下に引っ張られる力で頬にびりびりと衝撃が走る。

 一度の失敗も許されない。まさか帝都から出て行く時に、こんな事が起こるとは想像できただろうか? いや、出来るわけがない。まさか弟ともに、こうして闘う事になるだなんて、誰が想像できようか。

 (……潮時、ってやつか。まぁ、良い。飽き飽きしていたところだ)

 ただ腐っていく生活より、ただ命を奪うより、この馬鹿と一緒に居た方が愉しいと思ってしまう自分が恥ずかしい。恥ずかしいが……悪くない。 

 「……ふっ」

 思わず口から洩れた音は何なのだろう。自分でも分からない。

 朱羅の側頭部が迫る。潰れた眼球が捉えているのは闇か幻影か。

 まだだ、まだ遠い。

 もう少し、もう少しだ。

 ……今だ!


 「――こっちですよ」

 ルッゾの言葉に、はたして朱羅は―――振り返った。

 完璧な間合い。

 完璧な位置。

 完璧な反応。

 そして俺たちは呼吸を合わせ、寸分の狂いも無い一撃を互いの影の如く重ね放った。

 

 「―――奥義、天狼流星撃ッ!!」


 出来損ないの瞳を破り、脳を掻き回し、そして骨を穿つ。それはほんの一瞬、俺たちの視界を赤く染めただけだった。その一瞬で、朱羅の頭には人狼二人分の大きな穴が空いていた。俺たちは、朱羅の頭を穿った。

 互いに支えあって石畳にしゃがんでいる俺とルッゾ。朱羅を突き抜けただけでは威力は死なず、地に隕鉄の衝突にも似た跡を残す。

 「……その楽土とやらには、一人で勝手に逝くのですね」

 「ったく、それには同意だな」

 ゆら、ゆら、と。朱羅は揺れながら振り向き、右腕を振り上げるが―――ついにその巨体は、地に倒れ伏した。

 俺はその朱羅の亡骸を尻目に、ルッゾを立たせる。抉れた肩は赤黒く、血が乾き始めている。いくら人狼と言えどもこの回復力は異常だ。

 「流石に朱羅もお終いですね。さ、こんな物騒な所からはとっとと脱出しましょう」

 確かに顔色は悪いが、一時よりは随分と良くなっている。同じ人狼である俺ですら、まだ右足が痺れているというのに。

 「……あぁ、そうだな。地下の出入り口はまだ大丈夫だ、先に行け」

 しっしと手を振ると、「早くしてくださいね」と言葉を残し、ルッゾは駆けていった。俺は、まだ燃えている燭台を手に取ってオークの死体に火を点けた。

 脂でみっしりと詰まったオークの死体は、凄まじい勢いで炎に包まれる。そこへ鳥人族の骸を投げ込むと羽毛が燃え上がり、さらに炎は大きくなった。

 「これならもう良いな」

 辺りに散らばっている死体を適当に炎に放り込み、充分に火が大きくなったのを見計らい、俺も逃げようとした時、

 「クッ……クク、ク……」

 死んだと思っていた朱羅が口を歪ませ、嗤っていた。その口の上にぽっかりと空いた穴からは、グズグズの脳が見え隠れしている。

 「………………」

 飛び散った脳片を踏みしめ、今度こそ全てを終わりにしようと倒れたままの朱羅へと近づいていく。俺の考えが分かったのか、朱羅は嗤うのを止めた。

 「そう怒るな。もう我には何の力も残されていない。此処に在るのは、魂魄の無い、死に逝くだけの抜け殻だ」

 そんな事はどうでも良い。死とは、停止だ。アイツは、動いている。

 「……蝮、という蛇を知っているか? 親の腹を食い破って生まれてくる毒蛇だ。ルッガよ」

 俺の力では、朱羅の身体を一つ残らず消滅させる事は難しい。ならばここは、別の力を借りることにしよう。

 もはや火は、燃えに燃えて祭りの御神火のようになっている。その火は、偶然にも朱羅の傍らに存在していた。

 「汝らは兄弟は、我が組織を食い破って生まれた毒蛇。どう生きようとも、その教義を広めていく定めにある。どうしようとも、どうしようもないほど、汝らは我が子よ」

 炎の揺らめきの向こう側、全てが歪んで見える。

 「我すら礎に楽土へ駆け昇れ、ルッガ。この無明の世界に――」

 「五月蝿い」

 もういい、もう充分だ。これ以上、くだらない言葉など聞きたくはない。燃え盛る死体を押し出すように蹴飛ばす。二つ三つ、朱羅の体に載るがこのままでは簡単に火が消えてしまう。

 そこで人竜族の骸の腹を切り裂き、筋肉を掻き分けて手を突っ込む。思惑通り、ブヨブヨしたものが手に触れた。それを掴み、引き千切る。それは、人竜族の火袋。爪で穴を空けると、粥の様な白い粘液が垂れ出した。本来なら高値で取引される”白焔の蜜”、それをこれだけの量を自由に扱えるだなんて、贅沢なものだ。

 念のため何箇所か穴を空けると、躊躇うことなく朱羅へ放り投げた。滴を撒き散らしながらくるくると回転して落ち、そして猛烈な勢いで火柱が上がった。その熱波は離れた俺にも襲い掛かり、目と鼻に激しい痛みを感じさせた。

 「……ちィ」

 燃えるというより、爆発したと言ったほうが正しいか。その衝撃はさらに教会の崩壊を早めたらしい。一層、落ちてくる瓦礫の数が増えた。何処からか何かがひび割れる厭な音まで響き始める。これは本当に早く逃げたほうが良いようだ。

 「くっく……ッ、ははっは、汝ら兄弟をッ、祝福してやろう、死が闘いを別つその日まで……はハはハハははハハハはははハはハハははハははッ!!」

 炎に包まれ、朱羅は哄笑する。最後の最後まで下らない事を言っている馬鹿、不愉快な馬鹿に去り際に一言、言い残してやった。

 「ふん、馬鹿め。俺は殺すのは好きだが、闘うのは嫌いなんだよ。俺が殴り合いたいのは―――ルッゾだけだ。今までもこれからも、な」

 聞こえているか聞こえていないか、そんな事はどうでもいい。俺は燃え落ちる地下に背を向け、階段を駆け登った。その背中に熱と音と、獣の慟哭が浴びせられたが、それも駆けて行くうちに消え去ってしまった。




 次の話で完結となります。どうか、最後までお付き合いください。

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