忘れてはいけない
※一人、殺されます。そのような描写が苦手な方は注意。
軽やかな小鳥の囀りのような笑い声が聞こえる。
紳士淑女として相応しい人間として育てられた貴族の子女では到底出せない声。
その中心にいるのは、男爵が若かりし頃に手をつけたメイドから生まれた庶子で、養子縁組をして男爵家の娘になったナナリー・ラーブリ。
ストロベリーブロンドの髪の毛に春の若葉のような鮮やかな緑の目をした彼女は、多くの令息達の心を掴んだ。
王立学園は十五歳から十八歳までの男女が通う教育機関であり、出会いも確かに目的となっているが、彼女の存在は不文律を破壊した。
今や高位貴族の令息のお姫様として愛される彼女に近付く女性はいない。
異性との距離を適切に取らず、親切心で貴族社会、特に社交の場に出たら苦労するからと助言しただけなのだが、彼女はそれを虐められたと言って令息に泣きついたのだ。
親切心を仇で返されて関わりを持とうと思う者はおらず、自然とナナリーは令息としか行動しなくなった。
故に、彼女は殺された。
王都の歓楽街の中でも下層区域に当たるそこで、身ぐるみを剥がされ、全裸で彼女は顔は識別できる程度。全身は酷いほどの暴行の痕跡を残されて殺された。
あまりにも凄惨な遺体に、発見者は嘔吐が止まらず、駆け付けた騎士達も目を逸らすほどだった。
彼女の死は直ぐに王立学園に報告され、ナナリーの死を知った令息達は己の婚約者が何かしたのではないか、と怒りに任せて追求しようとした。
「失礼な事を仰らないで下さいます? わたくし達よりも先に始末したいと思っている方はいらっしゃるでしょう?」
「ええ。わざわざ私達が望まずとも、その方達が動くと思っていたから手を出す必要を感じなかったのです」
「もう少しご自分達の立場をお考えになられたら? 言っておきますが、彼女が殺されたのはあなた方のせいでしてよ」
「わたし達に責任を擦り付けないで欲しいわ」
冷めた目で、呆れた口調で放たれた言葉に、男達は理解が及ばなかった。
彼女達が何かしたのだ。そう信じている令息達は屋敷に戻ると父親に調査して欲しいと協力を要請した。
調査機関への依頼はただの子供の立場では難しい。愛するナナリーの無念を晴らす為だ。必死に懇願した令息に対し、各家で父親達は揃って同じ言葉を発した。
「彼女達は何もしていない。ナナリー・ラーブリの始末は私が依頼したのだから。これは国王陛下も承知の上だ」
ナナリーは王子にまで手を伸ばした。故に、始末されたのだ。
幸いにして王子は国を思う優秀な人物である為に決して心を委ねなかったが、ナナリーは分不相応にも王子の妃の座を狙い、更に己に恋する令息達を愛人にしようとしていた。
「え?」
「聞こえなかったか? あの娘は貴族社会を崩壊させる害虫そのもの。我が王国は前王の時代に一度落ちる所まで落ちきった。敵味方無く、他国からの侵略を防ぐ為に手を取りあって乗り切らねばならない。その為の婚約であるというのは説明したはずだ。それなのに、お前は国ではなく、再生途中の大樹の樹を枯らそうとする害虫に手を伸ばした。身の程を弁えぬ害虫は駆除せねばならぬ。あの害虫は王子殿下にまで手を伸ばした。だから始末した。何か問題でもあるか?」
「あ……あ、父、上……な、嘘、だ」
「嘘では無い。我が国は今でも不安定な中にある。国よりも女を優先したいならば貴族であることをやめろ。貴族は国を守り、民を守るもの。婚約者を蔑ろにし、感情と欲望のままに進むならば貴族にあらず」
睨まれているわけではない。だが、見透かすような強い視線に息子たる彼は怖気付いた。
「複数の男に囲まれているだけでもその娘の性根が分かる。阿婆擦れだとな。お前の母が、叔母が、姉が、不特定多数の男に恋情を込められながら囲まれているのを見たことがあるか? 淑女というのはそれを避ける。お前が囲っていた女は、恋多き毒婦と同じ事をしていた。あまつさえ、王太子妃、王妃を狙っていたそうだ。国の頂点の重責も知らぬ小娘がだ。害虫だとは思わんか?」
いつになく饒舌な父の言葉。
ナナリーは純粋で、令嬢達に虐められて泣くような――。
「強かよな。親切にも貴族の礼儀もなっていない平民上がりに、社交界で食い物にされないように教えようとしたら虐めか。ならば、家庭教師は拷問の専門家だな」
わけがわからなかった。何が正しいのか、何を間違えたのか。
ただ分かるのは、ナナリーは触れてはいけない一線を踏み躙り越えたから処分されたということ。
自分達がのめり込まなければ。国の現状をきちんと理解していれば。婚約の重要性を考えていれば。
ああ、令嬢達の言う通りだ。
ナナリーが殺されたのは自分達のせいだ。
「まあ良い。決定的な失態を犯した訳でもない。あちらのご令嬢も若気の至り、一度の失敗なら許すと言っておる。だが、二度目はない。次に同じ事を繰り返すならば、命で贖うことになると心得よ」
「畏まりました」
この部屋に来た時の勢いは最早ない。
彼らは一人の少女の命と引き換えに理解させられた。己の甘えきった浅はかさが誰かの命を奪うのだと。
自室に戻り、机の上に紙の束があるのを見る。
ナナリーのこれまでの異性への奔放さ。平民時代に何人もの男を侍らせ金を巻き上げ、純潔でもなかったという調査報告書。
美しい恋の日々など泡沫だったのだと念を押され、心が軋み苦しみのあまり堪えきれない叫び声をあげた。
どれだけ苦しくとも時は流れ朝は来る。
酷い顔ではあるが、学園へ向かうと婚約者が待っていた。
「酷いお顔ですこと。今日は休んだ方が宜しくてよ」
「……いや、講義に出なければ……」
「そうですね。出席回数が足りなくなりますわね」
ナナリーに付き合って何度授業を休んだことか。授業内容は理解していても、許可のない欠席は進級に影響する。そんなことも忘れていた。
「すまなかった」
「……人を好きになるのは止められるものではありません。ですが、一度立ち止まり、見渡して下さい。貴方は望まずとも嫡子として、多くの民の命を背負っています。だからこそ、豊かな生活を許され、学園に通えています」
「そう、だな」
「わたくしは厳しいことをこれからも貴方に告げます。ですが、貴方を断頭台に送らない為です。愚かな領主はいずれ断頭台に上がることになります。貴方はそんな事で命を散らして良い人ではありません」
何時でも正しく、厳しいことを告げる婚約者が厭わしかった。だが、初めてきちんと彼女の言葉を聞いたような気がする。
ナナリーとの会話は心地よい言葉ばかりで、重責を軽くしてくれると思っていた。しかし、違った。
生まれた時から既に彼は数多の命を背負っていた。嫡男として、当たり前に与えられていた日々は重責と反対の天秤皿に載せられていたもの。
贅沢を享受しながら重責から逃げることは許されないことなのだ。
同じ歳なのに、己よりも遥かに現実を見て、そして愚かな道へ進むのを止めようとしてくれていた婚約者こそが、誰よりも心強い味方だった。
「今回のことは忘れてはなりません」
「分かっている。本当に済まなかった」
「謝罪を受け入れます」
何時か己も父のように、人の命を奪う命令を下す日が来るのだろう。
忘れてはいけない。己の過ちを。
一度目の失敗として皆が許したが、一人の命は永遠に喪われた。国という大樹を蝕む害虫だと評されて。
本来ならばまとめて処分されるはずだった。ただ、成人前だったから、許された。二度目はないとした上で。
婚約者と並び歩く。数日前までの穏やかで微睡むようなひと時はもうない。あるのは厳しい現実。
忘れてはいけない。行動に伴う責任を。一人の少女を歪めてしまったことを。元々歪みがあったとしても、悪化させたのは己達で、許されない夢を見させた罪を。
忘れてはいけない。
正当な厳しい言葉を掛けてくれる者がどれだけ大切なのかを。
忘れない。
よくある逆ハー狙いのヒドイン系。無性にサクッとkill youしたくなる時がありましてですね。
killしちゃいました。
令息達に対してざまぁみたいなのはないです。
婚約破棄宣言した訳でもないですし、元凶を排除したので、次は無いように気をつけなさい、という戒めに使われました。
ナナリーが分不相応に王子に手を伸ばし、王子はそれを振り払ったけれど、あれは良くない。既に令息達が引っ掛かっている。という事で、該当令息の家が始末しました。
婚約者達は分かっていて何も言わなかったです。
婚約も継続です。キスもしてないからね。高位貴族の令息ほどロマンチストだった。




