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13人と黒いリュック――中には、拳銃と“殺人ゲームのルールブック  作者: 妙原奇天


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第9話 告白の競売

 その岩棚は、地図にも載っていない小さな“止まり木”だった。


 沢から斜面を少し登った先、岩がえぐれたように窪み、風と雨を半分だけ避けられるスペースがある。

 人が十三人、荷物込みでひしめくには狭すぎる。それでも、さっきまで熊に向き合っていた足には、そこに座れるというだけで救いだった。


「……十五分だけ休む。ここを今日の野営にはできない。落石の跡がある」


 久我がそう告げ、岩壁の亀裂を指さす。茶色い傷が新しい。誰も異論はなかった。

 日高燈はザックを下ろし、壁にもたれかかる。濡れた服が一瞬冷たくなり、すぐに体温で生ぬるく変わる。その変化がやけに嫌だった。


「はー……」


 阿久津が大きく息を吐く。膝を伸ばし、岩の上に寝転がりそうになって、春野に睨まれる。


「寝転がらない。誰かに蹴られて、そのまま転がっていく未来が見える」


「厳しいな、先生。精神的に疲弊してる配信者への配慮が足りない」


「ここで配信したら、一生視聴者には困らないだろうけどね」


 門脇がぼそりと返す。

 言葉の端には皮肉よりも、わずかな苛立ちと疲労のほうが強く乗っていた。


 熊を撃たずに追い払った、という事実。それに続いて「罰免除」と「弾一発の消費」という装置の処理。

 生き延びた安堵と、減った弾数の現実、それに加えて「輪が二重に描かれているかもしれない」という燈の気づき。


 頭の中に、考えなければならないことが積み上がりすぎている。


「……ねえ」


 沈黙が少し長くなりかけたところで、門脇が口を開いた。

 眼鏡の奥の目は、さっきからずっとページと皆の顔を交互に見ている。


「このまま日没まで行ったら、また何か“罰”が来る可能性がある」


「今日の分は免除って書いてありませんでした?」


 稲葉が不安げに問いかける。門脇はうなずきつつ、ページを叩いた。


「『本日の罰』って書き方が嫌なんだ。“本日”って、何時から何時までなのか。装置のタイムゾーンがどこ基準なのか、書いてない」


 嫌な指摘だった。誰かが喉を鳴らす。


「……で、提案がある」


 門脇は少しだけ息を吸い、言葉を整える。


「“罪の競売”をやろう」


「は?」


 阿久津が素で聞き返す。佐間も思わず顔を上げた。


「競売って、あの、オークション?」


「そう。私たちの“罪”を、ここで一度、自己申告で並べる。軽いものから順に。

 撃たれたくない人ほど、早く小さな罪を出して、自分の“最低落札価格”を下げようとするはずだ」


「最低落札価格って何の話ですか」


 寺内がついていけていない顔で言う。

 門脇は指でページをさす。


「このルールブックは、所有者以外の“罪”を勝手に記録し、抽出してくる。つまり、今この瞬間も、誰のどんな行動が“弾”になるかを評価している。

 だったら、こちらから“見せ札”を出す。軽い罪を先に公表して、装置の割り当てる“重さ”を、こっちの場で少しでも上書きする」


「そんなこと、できるんですか」


「できるかどうかは分からない。でも、何もしないで“罰待ち”するより、マシだと思う」


 言ったあとで、自分でも苦い顔をする。


「……正直に言うと、“法学部っぽい無力なあがき”だ。自覚はある。でも、理屈だけでも武器にしないと、全部向こうの都合で進む」


「罪の競売、ねえ」


 阿久津が寝転がりかけていた身体を起こし、両手を組んでみせる。


「面白そうじゃん。俺、実況やるわ」


「実況ってあんたね……」


 春野が呆れ混じりに肩を落とす。


「やらせるんですか、門脇さん」


「仕切りは私がやる。春野さんは仲裁とツッコミ。阿久津は……空気が完全に最悪になったときの緩衝材として必要」


「光栄です」


 阿久津は軽く頭を下げてみせた。


 燈は、そのやり取りを聞きながら、胸のあたりに重さを感じていた。

 罪を競売にかける。軽い罪を安く売って、評価を下げる。

 それはたしかに、生き延びるための戦略かもしれない。同時に、「言葉にした罪」が弾薬になる危険もある。


「……やりたくない人は?」


 春野がそっと訊く。

 門脇は正面からその視線を受け止めた。


「無理強いはしない。でも、参加しないこと自体を、装置がどう評価するかは分からない。

 “黙秘”をどう扱うかは、記録の都合次第だ」


 答えになっていない答えだった。けれど、それが限界だ。


「ルールを決めよう」


 門脇は膝の上にページを乗せ、進行役の声に切り替える。


「一人ずつ、自分で“罪”をひとつ告白する。軽いものでいい。

 それを聞いた上で、ここにいる全員で、その罪を“今この場での危険度”という観点で一~五のランクで評価する。一が軽い、五が重い」


「道徳じゃなくて、危険度……」


 佐間が反芻する。

 門脇はうなずいた。


「道徳的にどれだけ酷くても、今の山行に直接影響しないものは、とりあえず“軽い”ほうへ分類する。逆に、軽いミスでも、この先の行動に直結するものなら重い。

 そうやって、自分たちの基準を、ページとは別にここに作る」


「じゃあ、その評価をもとに、“誰から撃つべきか”を決めるんですか」


 寺内が震え声で問う。

 門脇は首を振る。


「違う。“撃つべきでない順番”を決める。

 今日、明日、明後日。日没ごとに何かしらの『適切な射撃』が求められるにしても、そのたびにゼロから揉めるのは消耗が激しすぎる。

 だから、“少なくとも最初に撃たなくていい人たち”を、この場で決めておく。その優先リストとして、罪の競売を使う」


「……最低だな」


 阿久津が、楽しげでもなく、本気でもなく、単に事実としてそう言った。

 誰も否定しない。


「じゃあ、始める?」


 春野が、無理に明るさを作ろうとして、すぐに諦めた声で促す。


「トップバッターは?」


「主催者から、だろ」


 久我が言う。門脇は「やっぱり」といった顔で苦笑した。


「そう来ると思った」


 彼女はひとつ深呼吸をし、自分の膝の上で両手を組んだ。


「門脇雪乃。二十三歳。法学部三年。……罪、告白します」


 阿久津がすかさず手を挙げる。


「はい、実況席の阿久津です。本日のオークション第一号は、我らがルールブック担当・門脇選手!」


「そのノリ、あとで殴るから」


「こわ」


 軽い笑いが一瞬だけ起きて、すぐ消える。その薄さが、逆に今の場の張りつめ具合を教えてくる。


「私の軽い罪は……」


 門脇は、ほんの少しだけ目を伏せた。


「去年、模試の問題を、配布前にこっそり見たことがあります」


 燈は目を瞬いた。以前、罰の読み上げで「模試不正閲覧」という文字が出てきたことを思い出す。


「試験監督のバイトで、封筒を運ぶ係だった。中身に興味があって、つい封の隙間からのぞいた。そのあと、友達に“傾向”をそれとなく伝えた」


「それ……」


 春野が言いかける。

 門脇は先に続けた。


「道徳的には、たぶんそれなりに悪い。でも、今のこの山での危険度は、一だと思う。模試のヤマを当てたところで、熊は避けられない」


「評価、だな」


 久我が皆を見渡す。


「今、この場での危険度。どうだ」


「一」


 佐間が即答する。


「一です。本人が反省してるなら、それ以上でも以下でもない」


「同じく一」


 春野も控えめに手を挙げた。ほかのメンバーも頷き、特に反対は出ない。


「オッケー。門脇、ランク一。撃たれなくていい順位、わりと上」


 阿久津が勝手にまとめる。

 ページは何も言わない。だが、下のほうの余白に、小さく「自己申告:模試不正閲覧(危険度1)」という記録がにじむように現れた。


「記録されてる……」


 寺内が呟く。


「でも、危険度評価のほうは、こっちの内輪ってことにしよう。装置の視点とわざとずらす」


 門脇はそう言ってページを閉じ、次を促すように視線を走らせた。


「じゃ、次。……阿久津」


「ですよねー」


 阿久津は肩をすくめ、膝を組んだ。


「えー、阿久津蓮。二十一歳。底辺動画配信者。罪は……炎上狙いのドッキリ企画を何回かやりました」


「何回か、って何回ですか」


 春野が問う。


「えーと、三回くらい。友達をわざと怒らせる系、店員さんに迷惑かける寸前まで行く系。

 シャレの範囲で止めたつもりだったけど、今思えば普通にクソだったと思う」


 軽く言おうとして、最後だけ声が沈む。

 久我が腕を組む。


「今の山での危険度は……」


「三」


 門脇が迷いなく言った。


「炎上狙いの体質は、そのままここで『話題作りのために動く』という衝動に繋がる。熊のときもそうだった。本人に悪気がなくても、行動原理としてリスクがある」


「ぐさり」


 阿久津が胸を押さえるジェスチャーをする。


「異議ある?」


 門脇は他のメンバーを見る。


「……二か三かで迷うけど、三でいいと思う」


 燈が言った。

 熊のときの一歩、リュックを奪って走ったときの一歩。そのどちらも、今こうして笑い話にしていいギリギリの線の上にある。


「じゃあ、危険度三」


 ページの隅に、また細い文字が現れる。

 自己申告に合わせたかのように、以前の罰の記述だった「炎上狙いの企画案」が、そこに重なって見えた。


 そんな調子で、何人かの罪が並んでいった。


 寺内は「高校時代、友達をいじめられているのを見て見ぬふりをしたこと」。

 稲葉は「バイト先の売上をごまかして、自分のミスを他人のせいにしたこと」。

 穂高は「自分だけ助かろうとして、避難訓練で列を抜けたこと」。


 どれも、罪としては軽くない。

 けれど、「今この山での危険度」というレンズを通すと、そのほとんどが一か二へと収束していく。


「……こんなふうに並べてみると、みんな普通に“悪い”んだよね」


 阿久津が苦笑する。


「人間らしい、って言うべきか」


「普通に悪い、は普通ってことだよ」


 春野が小さく笑う。


「誰も完全な善人じゃない。でも、それと『今撃つべきかどうか』は別」


 そんなふうに、どうにかブラックジョークと自己分析でバランスを取りながら進んでいった罪の競売は――

 佐間の番で、壊れた。


「……佐間さん」


 門脇が名を呼ぶ。

 佐間は膝の上で手を組んだまま、しばらく黙っていた。


「俺は、もうだいたいページに読まれている気がする」


 ぽつりと呟く。その声は、さっきまでのどの告白よりも小さく、しかしよく通った。


「実習でのミスも、昨日の罰で晒された。あれだけじゃないけど、十分重い」


「それでも、自己申告の形を通したい」


 門脇が促す。

 佐間は、視線を沢の音のほうへ落とした。


「……軽いほうから、って話でしたよね」


「ああ」


「じゃあ、軽いほうを言います」


 嫌な予感が、燈の胸の奥で広がる。

 軽いほう。それはすなわち、本当に重いものが別にあるという宣言だ。


「俺は、一度、患者を置いて逃げました」


 沢の音が、一瞬消えたように感じた。


「災害のときじゃない。病棟で、夜勤で。

 コールが鳴ってたのに、手が足りなくて。……いや、たぶん、手は足りてた。俺が怖くて動かなかっただけだ。

 嫌な予感がして、心臓が早くなって、足が床に張り付いて。その間に、別の人間が駆けつけて、心マッサージを始めて――でも、間に合わなかった」


 誰も言葉を挟めない。

 ルールブックのページが、勝手にめくれた。


〈佐間怜 罪の補足〉

〈集中治療室におけるコール無視/自己保身によるトリアージの放棄〉

〈結果 患者一名死亡〉


「やめろ」


 久我が低く唸る。ページの動きを止めようと指で押さえつけるが、文字は止まらない。


〈備考 本件の自己申告は今回が初〉


「……初、って」


 寺内が掠れ声で呟く。

 佐間は、笑うでも泣くでもなく、ただ目を閉じていた。


「医者はミスをする。誰だって失敗する。

 そう言い聞かせて、何度も何度も、頭の中で言い換えて。『自分が行っても間に合わなかっただろう』『他の患者を優先した判断だった』って。

 でも、本当は分かってた。あのとき俺が一歩早く動いてれば、結果が変わったかもしれないってことくらい」


 春野が震える手で口元を押さえる。

 稲葉は目を伏せ、寺内は爪を立てるようにズボンを掴んでいる。


「……今の山での危険度は」


 門脇の声が掠れる。


「五だろ」


 久我が遮るように言った。

 その表情には、怒りとも悲しみとも違う、別の何かが浮かんでいた。


「危険度最大。ここで一番、今の集団にとって『不安定な存在』だ」


「不安定、って……」


 春野が反射的に抗議する。

 久我は視線を逸らさない。


「佐間が悪いとか、許さないとか、そういう話をしてるんじゃない。

 自分で自分の判断を信じ切れなかった経験がある人間は、次に同じ場面でまた足が止まる可能性がある。

 この先、誰かの命を預かる場面が来たときに、他のメンバーよりもブレーキがかかる確率が高い。それは現実だ」


「そんな、言い方……」


「現実を丸ごと飲み込まないと、誰かがまた死ぬ」


 久我の声が低く、硬くなる。

 その瞬間、空気が一気に変わった。


「……撃てば、静かになる」


 ぽつりと、久我は言った。

 燈は反射的に顔を上げる。


「おい」


「佐間を撃てば、今ここにある“揺れ”は一つ消える。

 誰が足を止めるか、誰がブレーキになるか、その不確定要素を、ひとつ減らせる。

 罪の競売も、ここまで積み上げた告白も、全部『撃たないための理由』に使ってきた。だけど、裏を返せば、『今ここで撃てる理由』にもなる」


 拳銃が、ゆっくりと持ち上がる。

 久我の指がトリガーガードにかかり、その内側へ滑り込む。


「ちょっと待てよ」


 阿久津が思わず前に出る。

 春野は顔を真っ青にして立ち上がりかけ、足を滑らせそうになった。


「久我さん、それは――」


「俺は、“適切な射撃”の例を、さっき装置から見せられた。

 即時の脅威排除。集団の利益保全。

 ルールブックは、熊じゃなく人間に当てはめることも想定して書かれてる」


 ページは黙ったままだ。

 沈黙が、肯定にも否定にも聞こえる。


「ここで撃てば、静かになる。少なくとも、今ここで『誰を最初に撃つべきか』って議論は終わる。

 誰もが『佐間よりマシだ』って、表では言わなくても心のどこかで思っている。それを口に出さないまま行くほうが、よっぽど汚い」


「それは――」


「黙れ」


 久我の目は、誰も見ていないようで、実は全員を見ている。

 燈は、その目の奥に、自分が一度も見たことのない種類の疲弊を見た。


「……やめろ」


 気づいたときには、燈の手は動いていた。

 久我の手首を、横から掴む。銃口がわずかにぶれ、地面のほうへ向く。


「離せ、燈」


「離さない」


「俺は理屈で言ってる。感情で暴れてるわけじゃない」


「その理屈の先にあるのは、『撃てば静かになるから撃つ』っていう、一番最低な結論だ」


 燈は久我の手首をしっかり握り込みながら、言葉を放った。

 自分でも驚くほど声が出ていた。


「撃つか撃たないか、今ここで決めるのは、たぶんどっちにしろ正しいんだと思う。

 でも――撃つ前に、撃たない責任を決めるべきだ」


 その言葉に、一瞬、全員の時間が止まる。


「撃たない責任?」


 久我が眉をひそめる。

 燈はうなずく。


「さっきの熊だってそうだった。撃たなくて済んだ。だけど、もしあのとき熊が突っ込んできて誰かが死んでたら、『撃たなかった責任』は誰が取るか、決めてなかった。

 今ここで佐間さんを撃たないと決めた場合、そのせいで後で誰かが死んだら、その責任を誰が背負うか。それを決めないと、結局また同じ話になる」


 言いながら、胸の奥が冷たくなる。

 「責任」という言葉は軽く使うものではない。けれど、今ここでそれを避けると、装置の「適切」のほうが全部を塗り潰していく。


「撃たない責任を誰が背負うか。

 それを決めずに『とりあえず撃たないでおこう』って言うのは、ただの先送りだ。

 先送りされた責任は、いちばん弱いところに降ってくる。次の罰として、誰か一人の首に」


 久我の手首から、少しずつ力が抜けていく。

 銃口は完全に地面へ向いた。トリガーから指が外れる。


「……じゃあ、誰が背負う」


 久我が問う。その声には、怒りではなく、問いだけがあった。


「お前か」


「俺ひとりじゃ、たぶん持ちきれません」


 燈は正直に言う。


「でも、俺は背負うって言えます。

 今ここで、佐間さんを撃たないって決めるなら、その判断に賛成した人間は、全員その責任を少しずつ持つべきだと思う」


「連帯責任、ってやつ?」


 阿久津が苦笑する。

 門脇は小さく息を吐いた。


「法学的にも、それが一番ましな形だと思う」


「まし、か」


「完璧な正解なんてない。あるのは、今この人数と装備と体力で取れる“ましな選択肢”だけ」


 春野が、ぎゅっと拳を握りしめる。


「……私も、持ちます」


 震えながら、それでもはっきりと言う。


「生徒に“自分で決めなさい”って言う立場なんだから。

 ここで『誰かが代わりに決めて』って言うのは、違う」


「俺も」


 阿久津が手を挙げる。


「正直、佐間さんの話を聞いて怖くなったのは本当だけど、それ以上に、ここで“撃てば静かになる”って理屈を許したくない。

 俺たち、配信のコメント欄じゃないんで」


 寺内も、稲葉も、穂高も、それぞれの言葉で「持つ」と言った。

 佐間は、ずっと黙ったままだ。


「お前はどうなんだ、佐間」


 久我が銃をホルスターに戻しながら問う。


「……俺は、多分、一番“持たれる側”の人間なんだろう」


 ぽつりと返ってきた声は、自嘲と、それ以上の何かを含んでいた。


「それでもいいなら、背負わせてくれ。

 前のとき、誰にも責任を背負わせないようにって、自分一人で抱え込もうとして、結局何もできなかった。

 今回は違う形で、誰かに分けてほしい」


「分かち合いの申し出として、受理」


 門脇が、わざと固い言い方をする。

 誰かが小さく笑い、すぐ泣きそうな顔に戻った。


「……で、久我さんは」


 燈が問いかける。

 久我は短く答えた。


「俺は最初に撃とうとした。なら、撃たない責任も、一番多く持つべきだ」


 それは、彼なりの公平感覚だった。


「所有者が負う割合が一番大きくていい。

 けど、“全部持つ”って言い方はしない。そんな英雄ぶった言い方は、現場を壊す」


 ページが、また静かに動く。

 下部に、細い文字が一行だけ現れた。


〈共同判断 対象:佐間怜〉

〈方針:射撃保留/経過観察〉

〈責任分配:全参加者〉


「……聞いてたんだな」


 阿久津がぼそりと言う。


「聞いてるけど、褒めはしない。いつものことだ」


 門脇が肩をすくめる。


「いいよ。褒められなくても。

 “撃たない”って記録がここに残るなら、それで十分だ」


 燈は、自分の指先の感触を確かめる。

 さっきまで引き金にかかりかけていた久我の指。それを掴んだ自分の手。そこに残っている温度。


 撃たなかったことの責任は、これから先、何度も問い直されるだろう。

 誰かがまた足を止めたとき。誰かがまた「撃てば静かになる」と言いかけたとき。そのたびに「あのとき撃たなかったからだ」と心のどこかで思う瞬間があるかもしれない。


 それでも――今、ここでだけは、その責任を「一人」に押し付けないと決めた。


「……罪の競売は、ここで一旦、中断だな」


 久我がそう言って立ち上がる。

 誰も異論はなかった。


「続きは、下山してからやる。もし、それでもやる気が残ってたら」


 岩棚の上の空は、少しだけ明るくなっていた。

 雲の切れ間から、薄い光が差し込み、濡れた岩とザックとルールブックの表紙をぼんやり照らす。


 装置は、人間の合意より、自分の書式に忠実だ。

 それでも、人間のほうも、自分たちの言葉で世界を記録し続けることはできる。


 撃つか、撃たないか。

 その前に、「撃たない責任」を誰が、どう持つかを決めていく。


 山は、そんな彼らの事情など知らない顔で、ただ難度を上げ続ける。

 記録は、彼らの会話の端々を拾い、淡々と文字列を増やしていく。


 輪は二重に描かれている。

 その二重線の上を、彼らは今、撃たない選択を重ねながら歩いていた。

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