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13人と黒いリュック――中には、拳銃と“殺人ゲームのルールブック  作者: 妙原奇天


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第十話 十四人目

 霧は、音より先に世界を消していった。

 尾根に出てすぐ、日高燈は違和感に気づいた。さっきまで見えていた対岸の稜線が、白い膜越しの影のようにぼやけている。風が弱まり、空気が冷たくなる。足元の土は湿り、靴裏に細かい砂がまとわりついた。

「霧だな」

 久我が呟く。彼の声も、少し遠くから聞こえるような気がした。

「ここは、もともと出やすいんですか?」

 稲葉が不安げに問う。燈は地図の縮尺を頭の中でなぞりながら答えた。

「沢から上がってきたところだし、気温も下がってる。地形的には……まあ、出る条件は揃ってるね」

「すごい無感情な分析ありがとう」

 阿久津が半笑いで言う。だが、その口元には余裕がない。霧はあっという間に濃くなり、彼らの列を一本の糸みたいに細くした。

「ここからはロープ間隔を短くする。十メートルを五メートルに。声を出すなとは言わないが、大声は避けろ。音の反射で距離感が狂う」

 久我が指示し、ロープを巻き直す。燈は先頭に立ち、方角と足元だけに集中した。コンパスの針と、地面の傾き。視界は十メートルもない。それでも、地図の上ではこの尾根をトラバースすれば、山小屋に着くはずだった。

「……ねえ」

 霧の中で、春野の声が背中から届いた。いつもより少し近い。

「燈くん、その……前に言ってた“前回セッション”の画面、今も見える?」

「分からない。さっきは沢のところで、突然出てきた感じだから」

「霧が出てる今のほうが、それっぽくない?」

 阿久津が口を挟む。

「ほら、ホラー映画的に。霧=真相解禁タイム、みたいな」

「あなたは本当に……」

 春野が呆れかけて、言葉を飲み込む。霧の密度がさらに増し、足元が見えにくくなった。燈は立ち止まり、ロープのテンションを確認する。

「一回、止まろう。ここで動き続けるのは危ない」

 足音が順に止まり、全員が近づく気配がした。霧の壁の向こうから、息の音だけが集まってくる。

「……さっきの“前回セッション”の話、ちゃんと共有したほうがいい」

 門脇が静かに言う。

「今までは燈が断片的に教えてくれただけだったけど、実物を見られるなら見たい。危険でも、見ないままでいるほうが今は怖い」

 燈は頷き、リュックからルールブックを取り出した。湿気のせいか、紙は少し重くなっている。

 表紙をめくる。いつもの条文。所有者の名前。弾薬数。

 弾薬数の表示が、思っていた数字と違っていて、一瞬だけ目が止まった。

〈弾薬数 九〉

(九?)

 前に確認したときの数字は七だった。熊を撃たなかったことによる「消費」で減り、その後、罪の競売で何も撃っていないのに弾が増えた様子はなかった。

 いつの間にか、どこかで「観測された罪」が弾に変換されたのだろう。ページを開いていないあいだにも、装置は勝手に計算している。

「どうしたの?」

 春野が覗き込もうとする。燈は首を横に振り、先に表紙の裏側へ指を滑らせた。

 沢で感じた、もう一枚分の厚みを探る。指先に、かすかな抵抗が触れた。

 そこに、影のようなページが現れる。

〈前回セッションの記録〉

「……出た」

 思わず声が漏れた。霧の冷気が、その声をすぐに薄める。

「見える?」

 門脇が眼鏡を上げる。燈は頷き、躊躇したあとで言った。

「今度は、みんなにも見えるかもしれない。ページ、回すから」

 輪の中にルールブックを差し出す。霧のせいで表情ははっきり見えないが、全員の視線が紙に集まっているのが分かった。

 門脇が両手で受け取り、表紙の裏を見る。

「……あ」

 彼女の喉から、短い声が漏れた。

「見えた?」

「うん。黒地に白字で、『前回セッション』って。参加者一覧も」

 春野と久我、佐間も身を乗り出す。

「ほんとだ……」

 春野の声が震える。

 霧の中、ルールブックの影ページには十三の名前が並んでいた。

 霧島那由多。

 その名前も、その中にある。

「他にも、見覚えのある名前がいくつか……」

 門脇が指で追いかける。

「久我透。日高燈。春野香澄。佐間怜……」

「ちょっと待て」

 久我の声が低くなる。

「俺たちの名前が前のセッションにもあるってことは、どういう……」

「分からない。でも、書いてある」

 門脇は先へ目を走らせた。

「霧島那由多 二十歳 大学生/クライミングサークル所属」

「春野香澄 二十四歳 臨時講師/事故対応訓練参加者」

「久我透 二十七歳 自衛隊普通科/山岳訓練」

「日高燈 十七歳 高校生/山岳部」

「佐間怜 二十一歳 医学生/ボランティアスタッフ」

 それぞれの名前の横に、稼働時の役割のようなものが書かれている。

「……四年前、だ」

 久我がかすれ声で言った。

「俺がこの山域で訓練に入った年だ」

「私も、その頃は臨時講師の仕事で、避難訓練の引率をした記憶がある」

 春野がゆっくりと頷く。

「場所は違う山だったはずだけど……」

「燈は?」

「高校二年の夏。部活で別の山に行ってた」

 口に出してみても、どれも「別々」の記憶としか結び付かない。

 なのに、ページはそれらを一本の線として繋ぎ、「前回セッション」と名前をつけている。

 門脇がさらに下を指で追った。

「霧島那由多の項目……あった」

 そこには簡単なメモが続いていた。

〈霧島那由多 前回セッション参加者〉

〈役割 登攀リーダー〉

〈結果 行方不明〉

〈備考 十四人目の存在を示唆〉

「十四人目……」

 稲葉が小さく繰り返す。

 燈は、沢沿いの遺棄テントで見た写真を思い出した。霧島那由多の笑顔と、その横に並ぶ十三人。ただの集合写真だと思っていたそこにも、「一人増えた」噂話が付いて回っていた。

「……待って」

 春野が、急に顔を上げた。霧の向こうで、その表情までは見えない。それでも声の色は分かる。何か思い出しかけている人間の声だった。

「那由多、って名前……」

「春野さん?」

「昔、担任をしていたクラスに、那由多ってあだ名の子がいた。漢字までは覚えてないけど、苗字は違った。

 でも、雰囲気が、あの写真の子に似てる気がする。背も、笑い方も」

「気のせいじゃないかもしれない」

 門脇が静かに言う。

「ここに書かれているプロファイルには、本名って書いてない。『前回セッション時の識別名』って注釈がある」

 ページの端には、たしかに小さくそう書かれていた。

 霧島那由多という名前が、本物かどうかは分からない。けれど、春野の記憶の中の“那由多”と、この山で噂されている霧島那由多の影が、少しずつ重なっていく。

「……置き去り事故、って」

 佐間が言葉を探るように口を開いた。

「春野先生の“教え子の置き去り事故”と、この山の『十四人目が消えた話』が、もしかして繋がってる?」

 春野は、霧の中でぎゅっと手を握りしめた。

「事故の日、私は点呼を間違えた。標高の高い林道で休憩したとき、人数確認をして……ひとり足りないことに気づいた。

 でも、その子は別のグループに紛れていて、結局無事だったって報告を受けた。

 それで終わった、はずだった。

 なのに、そのあとも、何度点呼をしても、頭の中の名簿の“最後の一人”が、誰なのか、はっきりしなくなった」

 霧が、彼女の声を余計に震わせる。

「那由多って子は、転校も多くて、途中からクラスに来た子で。あだ名で呼ばれてたから、苗字を忘れてしまって。

 今、ここに“霧島那由多”って書かれてるのを見て……全部が繋がりかけているのに、届かない感じがする」

「つまり」

 阿久津がまとめるように言った。

「先生の“置き去り事故”と、この山の“十四人目の噂”と、このルールブックの“前回セッション”の記録が、一本に繋がってる可能性があるってこと?」

 門脇は頷き、ページのさらに奥に浮かんだ新しい行を指さした。

 そこには、さっきまではなかった文が追加されていた。

〈十四人目の存在を確認〉

〈記録は十四人分で閉じる〉

「……閉じる?」

 燈が思わず聞き返す。

「どういう意味だ、それは」

 久我が険しい顔でページを覗き込む。

 続きの小さな文字が、霧の中でじわじわと濃くなっていく。

〈現在セッション 参加者 十三〉

〈最終的に十四となった時点で記録を確定〉

〈十四人目の登録が完了するまで、ゲームは終了しない〉

 誰かが息を呑む音が、はっきりと聞こえた。

「……今、ここにいるのは十三人」

 寺内が指を折って数える。

「燈、久我さん、門脇さん、春野先生、佐間さん、阿久津、稲葉、穂高、寺内、他のメンバーも合わせて十三。

 足りない一人は、どこにいるの?」

「どこかから新しく誰かが来る、って意味か。登山者か、救助隊か」

 久我の声は慎重だ。

「それとも――」

 門脇が、言葉を区切って続ける。

「“見えない誰か”か、“装置そのもの”か」

 燈は、口の中が乾くのを感じた。

「装置そのもの?」

「このルールブック自体を、プレイヤーとしてカウントする。

 あるいは、この山に組まれた監視システム、アルゴリズムの塊を“十四人目”として扱う。

 それなら、『十四人分で閉じる』って言葉も、数字上の帳尻合わせとして説明できる」

「そんなの、ゲームとして汚すぎません?」

 阿久津が笑う。だが、それは半分本気の怒りだった。

「プレイヤーだと思ってたら、実は運営垢が混じってました、みたいな」

「運営垢?」

「例えるならの話。

 ……いや、むしろ、最高じゃない?」

 急に、彼の声が明るくなる。

「最高?」

 燈は嫌な予感しか感じなかった。

「だってさ、“見えない十四人目”とか、“実はゲームそのものが十四人目でした”とか、完全に真相編のネタじゃん。

 前半で十三人の人間ドラマをしっかり描いておいて、後半で『本当の参加者は別にいた』ってひっくり返すやつ。

 これ、そのまま未公開の真相編として売れるよ。前回セッションと今回セッションを合わせて、『那由多編』としてさ」

 阿久津は、指を折って数え始めた。

「配信企画にしてもいいし、ドキュメンタリー風の映像作品にしてもいい。視聴者参加型で、『あなたは十四人目かもしれない』って煽れば――」

「やめろ」

 久我が短く遮った。その声には、いつになく鋭い警戒があった。

「その発想自体が、向こう側の仕掛けに近い。

 『真相編として売れる』って思わせる構造を、あらかじめ組んでいる可能性が高い。そう思った時点で、すでに誘導されてる」

「誘導、ね」

 阿久津は肩をすくめる。

「でもさ、俺ら今さら“ゲームに参加するつもりなんてなかった”って顔できないでしょ。

 ここまでルール読んで、弾数数えて、罪の競売までやって。完全にノってるじゃん」

「ノらざるを得ない状況に追い込まれた、というほうが正しい」

 門脇が言う。

「それでも、『これは面白いコンテンツになる』って言葉は慎重に扱ったほうがいい。

 その視点は、常に誰かの生死の上に立ってる」

 春野は、黙ったままページの「十四人目」の文字を見つめていた。霧で髪が湿り、頬に張り付いている。

「……那由多は」

 小さな声で言う。

「この“十四人目”になって、どこかでまだ、記録の中に閉じ込められてるのかな」

 誰も、すぐには答えられなかった。

 霧がさらに濃くなる。足元の感覚がぼんやりしてきた。燈は、ここでこれ以上立ち話を続けるのはまずいと判断した。

「とにかく、山小屋まで行こう。十四人目が誰かを考えるのは、そのあとでもできる」

「そうだな」

 久我が頷く。

「霧でルートを外すほうが先に死ぬ。今は、生きて歩を進めるほうを優先だ」

 ルールブックはリュックに戻された。影ページは見えなくなる。それでも、「十四人目」の文字は、もう頭から消せない。

 *

 山小屋が見えたのは、それから一時間近く歩いた頃だった。

 霧の向こうに、四角い影が浮かび上がる。屋根の形。壁の輪郭。近づくにつれ、古びた木の匂いと、誰かが以前焚いた煙草の残り香のようなものが鼻をかすめた。

「無人小屋だな」

 久我が判断する。扉は閉じているが、鍵はかかっていない。窓から中を覗くと、古い毛布が数枚と、テーブル代わりの板が見えた。

「ここで一晩をやり過ごす」

 ドアを開けると、古い木の軋む音が響く。

 中は狭いが、十三人がどうにか座るスペースはある。壁には過去の登山者が記念に残した落書きが幾つも刻まれていた。

「なんか、普通に怖いんですけど」

 寺内が肩をすくめる。

「落書きに“ようこそ十四人目”とか書いてあったら、即帰るわ」

「やめてください」

 笑いながらも、全員がさりげなく壁の文字を確認する。古い日付や名前、簡単な感想が書かれているだけで、不気味なメッセージはない。

「今のところはな」

 阿久津がこっそり付け足す。

 濡れた服を少しでも乾かすため、小さなランタンと固形燃料で簡易的な暖を取る。風の音は、木の壁を通して鈍く聞こえた。

「……十四人目、ね」

 少し落ち着いた空気の中で、再びその言葉が出てくる。

 門脇はテーブル代わりの板にルールブックを置き、静かに開いた。

「弾薬数、九のままか」

 久我が確認する。

「さっきから増えても減ってもない。

 『十四人目が登録されたら記録を閉じる』ってことは、その時点で弾薬の扱いにも何か変化が出るはずだ」

「十四人目って、具体的にどういう状態になったら『登録された』ってみなされるんだろうね」

 燈が言う。

「この山に入ってきた時点か、ルールブックに名前が載った時点か。

 あるいは……ここにいる誰かの中に、“十四人目”が生まれたタイミングかもしれない」

「生まれた?」

 春野が顔を上げる。

「例えば、今まで一度も撃つ気がなかった人間が、本気で『撃ってもいい』って思った瞬間とか。

 装置がそういう心理の変化を“新規登録”として扱う可能性もある」

 燈は、自分で言いながら背筋が冷たくなるのを感じた。

 第九話で久我が「撃てば静かになる」と言い、腕を掴んだときの感覚。その瞬間、もしかしたら“十四人目”の枠がひとつ埋まりかけていたのかもしれない。

「でも」

 佐間が静かに口を開く。

「今、ここにいる十三人以外に、この山に人がいる気配は……」

 その言葉は、最後まで言い切られなかった。

 外で、何かが軋む音がしたからだ。

 ギ、と短く。

 扉の蝶番が風で揺れたのかと思ったが、風の音とは違うリズムだった。

「……今の、聞こえた?」

 稲葉が囁く。全員の視線が扉へ向いた。

 久我は立ち上がり、拳銃を握る。銃口を下げたまま、扉から少しだけ距離を取る。

「風かもしれない」

 寺内が自分に言い聞かせるように言う。

 だが、次の音は、もっとはっきりとした。

 木の板を踏む音。

 人間の足音だ。重い靴底が、一歩、また一歩と、山小屋の外の土を踏みしめる。

「……マジで言ってる?」

 阿久津の声が掠れる。

 春野は、思わず自分の口元を押さえた。佐間も立ち上がりかけて、すぐに腰を落とす。

 足音は、ゆっくりと近づいてきている。

 外の霧の向こうから、何者かがこの小屋を目指して歩いてくる音だ。

「十三人、全員ここにいるか、もう一度確認」

 久我が短く命じる。

「春野、佐間、阿久津、寺内、稲葉、穂高……」

 名前を呼ばれた者たちが、小さく返事をする。

 燈も「いる」と答えた。

「十三、いる」

 門脇が数を合わせる。

「じゃあ、外の足音は……」

「十四人目、ってこと?」

 阿久津が、乾いた笑いとともに言う。

 足音は、扉のすぐ外で止まった。

 静寂。風も、霧も、沢の音も、この瞬間だけは聞こえない気がする。

 ルールブックのページが、勝手にめくれた。

 テーブル代わりの板の上で、黒い文字が踊る。

〈新規接近者〉

〈識別中〉

〈弾薬数 九〉

 誰も、まだ撃っていない。

 誰も、まだ開けていない。

 扉の向こうで、ノックの音がした。

 コン、コン、と。

 人間が、訪問の礼儀として叩くような、控えめなノックだった。

「……どうする」

 久我が低く問う。銃口は扉のほうへ向けられているが、トリガーにはまだ触れていない。

 燈は、喉の奥で唾を飲み込んだ。

 十四人目。

 扉の向こうの足音は、それが人間なのか、装置そのものなのか、霧島那由多なのか、それとも――

 ルールブックの隅で、小さな注記が光った。

〈十四人目の登録条件 扉の開放〉

 弾は、九発。

 撃つか、撃たないか。

 開けるか、閉じたままか。

 夜の山小屋の中で、十三人の呼吸と、扉の向こうからの静かな気配だけが、世界のすべてになっていた。

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