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◇
ボスハウト邸、ダイニング。
早朝から叩き起こされたリアーヌは、数人の使用人に囲まれ、空の皿を前に、うんざりした空気を漂わせつつも食事のマナーを、徹底的に復習していた。
(今日はゼクスに招かれ、ラッフィナート家で夕飯をいただく日なわけですが……――なんだって私は朝も早よから、ディナーの時のマナーと立ち振る舞いを延々と繰り返さなくてはいけないのかと……)
「――お嬢様、食事中に髪に触れてはいけません」
「す、すみません……」
(――全然出来てないからですよね? 分かります。 ――でももう限界なんです……延々と空のお皿相手に食べる真似とか……頭おかしくなりそう……)
受験対策のマナーレッスンの時以上に熱の入った指導に辟易するリアーヌ。
この状況には、ボスハウト、ラッフィナート両家の思惑が大きく関係していた。
当初の予定では、すぐにでも食事会が行われるはずだったのだが、ここで両家の思惑同士がうまく一致してしまったのだ。
それは『食事会の日取りを少しでも先延ばしにしたい』というものだった。
ボスハウト家としては、マナー等を確認する時間を必要とし、ラッフィナート家は貴族一家を招くための準備期間を必要としていた。
――しかしディナーに招待され、招き返し、実際に食事をすることが決まったにも関わらず、日程を先送りするという行為は褒められたものではなかった。
両家共にその事実を公表するつもりなどなかったのだが……お互いの家を信用できるほど付き合いがあるわけでもなく――
苦肉の策として『リアーヌをゼクスが食事に招く』という、間違いなく時間稼ぎのためだけの食事会が開催されることになったのだった。
(ただでさえ食事のマナーとか不安しかないのに、一人で行かなきゃいけないとか不安が過ぎる……――でももう空のお皿は見たくない……)
リアーヌが大きくため息を吐き、メイドコレットがそれを注意しようと口を開いた時だった。
一人の使用人が足早にダイニングに入ってきて、コレットに何事かを耳打ちした。
「――本日はこれまでにいたしましょう」
「本当⁉︎」
コレットの言葉に満面の笑みで返したリアーヌは、嗜めるような視線を返されキュッと唇を引き結ぶ。
しかし、辛かった時間からようやく解放されたという喜びが、リアーヌの唇を自然と綻ばせていた。
もはや自分ではどうにもならない口元に、リアーヌはチラチラとコレットたちの顔を伺いながら、なんとかごまかそうとその前髪や鼻をしきりに何度も何度も触ってごまかすのだった――
「お嬢様、先程先触れが到着しまして、ラフィナート様が少々早めにお越しになるとの伝言と、お嬢様宛の贈り物が届きました」
「贈り物……?」
前髪をいじっていたリアーヌはゆっくりと手を下げながら首を傾げる。
「はい。 本日、ぜひ着用してほしいとメッセージの添えられた、ワンピースだと聞いております」
「――……えっ?」
コレットの言葉に、目を見開き驚愕の表情を浮かべるリアーヌ。
「――お二人は婚約していらっしゃるのですから、なにも可笑しいことはございませんよ……?」
そんなリアーヌの反応をどう思ったのか、コレットは安心させるように笑顔を作っていったのだが――
リアーヌは瞳を揺らしながら不安そうに答える。
今のリアーヌが問題視しているのは、そんなことではなかったからだ。
「……――え、万が一にも入らなかったらどうするんです……?」
(お腹とか二の腕とか……パツンパツンだったりしたら死にたくたるんですけど……?)
「――……当家のメイドは優秀でございますれば……」
リアーヌの言葉にグッと言葉を飲み込んだコレットは、スッと頭を下げながら答えた。
「あー……ね?」
(なんだろう……変に『きっと大丈夫ですよ!』とか気休めを言われるよりは好感が持てるけど……言外に『入らなくっても何とかするから心配無いよ!』って言われるのも、メンタルに響くもんなんだな……?)
リアーヌは唇の周りをシワだらけにしながら口を窄めると、納得がいかないような恨めしげな顔つきで、コレットの方をチラチラと盗み見た。
「――ご支度をお急ぎ下さい」
リアーヌの視線には気がついていたコレットだったが、ここで言葉を重ねたところでリアーヌの機嫌を治すことはできないだろう、と判断し、深々と頭を下げながらリアーヌを自室へと促すのだった。
「……はぁい」
そう答えたリアーヌは、再び唇の周りをシワだらけにしながら自室へと戻って行く。
その後ろ姿を見送り、ほかのメイドたちと困ったように苦笑を浮かべ合っていると、廊下からヴァルムの咳払いが聞こえてきた。
そのタイミングの悪さに、あちゃぁ……と頭を抱え、お互い顔を見合わせるメイドたち。
誰かがプッと小さく噴き出すと、やがて全員がクスクスと肩を震わせ始め――
いまだに廊下からこちらを見ているヴァルムに気がつき、サッと表情を消すと視線を交わし合うこともなくテキパキとダイニングの片づけ作業を始めるのだった。
◇
自室でリアーヌの到着を待っていたワンピースは、カスタードクリームのような優しい黄色と、ミルクチョコレートのような明るい茶色のストライプ柄で、控えめなフリルと艶やかなボタン、そして――
パフスリーブにウエストをリボンで締めるという、とてもお優しいデザインだった。
そのため、リアーヌが心配していたような事態にはならなかった。
ならなかったのだが――
そのワンピースをデザインを一目見たリアーヌは、ホッとする気持ちと同時に、やはりどこか釈然としない思いを抱えることになったのだった――




