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(――そうね。 ボスハウト家の考えも分かりますわ……平民としての生活が長いリアーヌが一般科にしか入れなかったとしたら、リアーヌを――ボスハウトを侮る連中は激増していたはずですもの……――それに学院で得る人脈は、いつか迎える社交界デビューでのリアーヌの力となる……そう考えると、これこそ、少ない時間で打てた最善の策だと思えますわね……――だいぶ諸刃ですけれど)
この策が最善であると思えるのは、リアーヌが無事に教養学科に合格しているからこそ、だった。
これでリアーヌが一般科にしか入れず、社交界デビューも見送っていたとなれば、リアーヌの令嬢としての価値はだいぶ低くなっていただろう……と、ビアンカは他人事ながら背筋が凍る感覚を味わう。
――ボスハウト家では【豪運】のスキルを持つ父、サージュの「教養学科で問題ねぇよ」と言う一言をひたすらに信じ続けていただけなのであったが――
「――それでビアンカ嬢はいつ頃お戻りに?」
もはや聞きなれたと言っても過言では無いゼクスの声が聞こえてくる。
「――あらラッフィナート様、立ち聞きなんて誉められた行為じゃありませんことよ?」
「はは。 たまたまお二人の会話が耳に入ってしまったんですよ」
ゼクスはビアンカにそう答えながら、リアーヌに視線を向けひらりと手を振った。
そんなゼクスにドギマギしながらもヘラリ……と手を振りかえすリアーヌ。
ビアンカはそんな二人のやりとりに目を細めて呆れた、ため息のような吐息とともに答えを吐き出す。
「……休暇が始まった日から二週間もおりませんけれど、それがなにか?」
「そうですか……――リアーヌ、子爵にはちゃんと許可をもらうから、社交シーズンが始まったら一緒にパーティー行こうね?」
「……え、私社交界デビューするんです……?」
「正式にデビューしてなくても俺の婚約者だからねぇ? 今回のシーズンで一度もリアーヌをエスコートしなかったとなったら、ウワサ好きの方々に何を言われるか……――貴族になっちゃったからお誘いも断りにくくなっちゃったしねー……」
「あー……」
困ったように肩をすくめるゼクスにリアーヌは(爵位だけ見るなら男爵だもんなぁ……)と、気の毒そうな視線を向ける。
「それにパーティーでビアンカ嬢と会えたらリアーヌも嬉しいし安心するだろ?」
「ビアンカと一緒……」
その会話にビアンカが指先をピクリと反応させる。
「正式デビューの様練習だと思ってさ? 俺もできる限りフォローするし。 ね? 行こ⁇」
「……練習でいいなら……?」
「よし決まり! ってわけでビアンカ嬢、あとで出席するパーティやお茶会教えてもらえます?」
「……高くつきましてよ?」
ビアンカは完璧な笑顔をゼクス向け、それを受けたゼクスもまた蠱惑的な微笑みを浮かべながら頷いた。
「――ご所望の本を三冊では?」
「……ギフトのほうでも構わなくてよ?」
「――ふむ……ではご所望の本を二十冊では?」
「にっ⁉︎」
ビアンカはゼクスの提案にギョッと目を剥き――なんとか気合いで表情を取り繕い、ゴクリと喉を鳴らしながら平静を装う。
そして心を落ち着けるように数回大きく深呼吸を繰り返したのち、リアーヌに向かって満面の笑みを向けた。
「リアーヌ、今年のパーティーは私に任せなさい?」
「……わーい。 ビアンカ優しいー。 好き――」
そう棒読みで言いながらリアーヌは大きく腕を広げた。
その脳内では(私二十冊もコピー取るのか……)というグチや(でも、ビアンカ先生がそばにいてくれるならきっとなんとかなる……!)と言う希望など、さまざまな想いが交錯していた。
そして(やっぱり本をコピーしなきゃ私を助けてくれないんだね……)と少しの寂しさも感じつつ、棒読みで感謝の気持ちを伝えながら、軽いハグを交わし合う――
「よかったねー? ――そうだ、休暇の後半にもなればビアンカ嬢にも余裕ができるだろうから、そうなったったら領地にお邪魔させてもらおうか? お礼の品を渡すのは早いほうがいいだろうし」
ビアンカが誘ってもいないうちから勝手に遊びに来ようとしているゼクスの非常識な発言に、顔をしかめるビアンカだったが“お礼の品”と言う単語が出た途端に、満面の笑みを作りリアーヌに向かって口を開く。
「両親に話は通しておくから、遠慮せずに遊びにいらっしゃい」
そう言ったビアンカの表情は、おいしいカモを見つけ、手ぐすねを引いている商人のようだった。
「――時間があるようなら私の用意した本もコピーしてくれる?」
「ええー? ちょっとは遊ぼうよー」
「本を複製する遊びなんてどう?」
クスリと笑いながら冗談めかして提案するビアンカだったが、その瞳は真剣そのもので、リアーヌが同意を返す瞬間を心待ちにしているようだった。
「――その遊び全然楽しくないよ……」
(本の複写なんて、私にとってはバイト以外のなにものでもないよ……)
リアーヌはそう言って「うぇぇ……」と何かを吐き出すような仕草をする。
そんなリアーヌの態度と、待っていた答えとは違った言葉を返されたビアンカは、ピクリと眉をはね上げると小さく鼻を鳴らした。
「複製を手伝ってくれたら――……新作のボンボンが食べられてよ?」
そして的確にリアーヌの心をくすぐるワードを口にする。
「――あの宝石みたいなボンボン⁉︎」
キラキラと瞳を輝かせて、目の前にぶら下げられたエサに迷うことなく、すぐさまかぶりつくリアーヌ。
そのそばではゼクスが肩をすくめながら呆れたように笑っていた。
「そう。 好きでしょ?」
「好き!」
「コピー頑張ってくれる?」
「めっちゃ頑張る‼︎」
「まぁ、嬉しい」
うふふーと、笑いながら口元を押さえたビアンカ。
その隠した口元はニンマリと引き上がり、まるで三日月の様だった――
「仲が良くて何よりだねー……」
ゼクスはそう言いながら、欲望に忠実なある意味では似たもの同士な二人から視線を背けながら、ドッと襲ってきた疲れを和らげるように、大きく伸びをした。




