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そんな二人のやり取りをゼクスは笑いを噛み殺しながら眺めている。
ゼクスとしては、どう贔屓目に見てもパトリック側な彼女に『ラッフィナートは決してそちらの言いなりになどならない』という、姿勢を見せるためのほんの少しの釘刺しだったようだ。
(……そもそもこっちだって、ビアンカ嬢との仲が拗れると、進学が危うるなる婚約者殿だって理解してるからねー……簡単な配慮くらいするさ……)
こちらを観察しながら笑いを噛み殺しているゼクスに気がつき、ビアンカは瞬時にゼクスの考えを見抜いた。
そしてキリッと眉を吊り上げると、その苛立ちを隠そうともせずにギリッ奥歯を噛み締め、身体ごとリアーヌに向き直った。
「――リアーヌ、私たち大親友だったわね?」
「え? あの……そう、ですね⁇」
(たった数秒の間に謎のランクアップ⁉︎)
「私が幸せな結婚生活を送れるよう力を貸してくれる?」
「――まかせて!」
リアーヌはゼクスが静止の言葉をかける間も無く満面の笑みで即答していた。
その答えを聞き勝ち誇ったような笑みをゼクスに向けるビアンカ。
苦笑しながらも、軽いため息をついたゼクスは軽く頭を振りながら肩をすくめる。
そしてビアンカの視線を辿り、きょとんとした顔でゼクスを見上げたをしたリアーヌと目が合うと、困ったように肩をすくめてからゆっくりと口を開いた。
「……はいはい、分りましたよ。 できうる限り配慮させていただきますぅー……あくまでビアンカ嬢にはですけどね?」
「……――よろしいんではなくて? あちらだって、そこまで欲深いことはおっしゃらないでしょう?」
「おっしゃられたって、どうもしませんけどー」
そう言いながら両手を振り上げて大きく伸びをするゼクス。
その振り上げられた手につられるように上を、空を見上げると雲ひとつない美しい青空が広がっていて、リアーヌは少しだけ得した気持ちになった。
「――むしろありがたいことですわ」
その言葉に隣に座るビアンカを見ると、先ほどまでの態度とは一変して、いつも通りの美しい圧強めの笑顔を浮かべた大親友の姿がそこにあった。
その姿にホッとすると共に、リアーヌは唯一の友のために必死に頭を回転させる。
そして――ビアンカの悩みが解消されたのはゼクスが『配慮する』と口にしてから――つまり、ビアンカはラッフィナートの力を当てにしていた……⁉︎ ――と、当たらずとも遠からずな答えを導き出していた。
「……――ビアンカが助けてって言ったら、すぐにゼクス様に伝えるからね! それですぐに助けてもらうから!」
「……あら、それは心強いわね?」
リアーヌの少々トンチンカンな言葉に、戸惑うビアンカだったが、すぐさまその勘違いを逆手に取り、ゼクスに向かって微笑んでみせる。
――言葉にするならば『言質は取りましたわよ?』と、言ったところだろうか。
それはゼクスにも正しく伝わったようで、ゼクスの顔つきがほんの一瞬だけ小さく歪んだ。
瞬間的に険悪なムードになった空気だったが、リアーヌが大きく伸びをしながら空を見上げることで大きく中和される。
あまりに気持ちよさそうに伸びをするリアーヌに、ビアンカもチラリと上を見上げ、真上にある木々から漏れる木漏れ日を楽しみ、ゼクスも、しょうがないなぁ……と言ったように息をつきながら空を見上げた。
青空を見上げたまま、ビアンカのほうに体を倒して「綺麗だね?」とたずね。
クスリ……と笑う気配がすぐそばでしたことで、ビアンカも自分のほうに身体を寄せているんだと理解したリアーヌは、それが嬉しくも恥ずかしくて、くすぐったそう首をすくめたながらクスクスと笑い声を上げる。
「……そういえばビアンカにだけで良かったの?」
ひとしきり笑い合うと、ふと思い出したようにリアーヌはビアンカに向き直ってたずねた。
「え?」
「さっきの。 ……出来うる限りの配慮、とかいうやつ。 ……今からゴネたら旦那さんの分もくれるかもよ?」
「リアーヌぅ?」
とんでもないことを言い出したリアーヌにゼクスはハッキリと眉間にシワをよせながら、嗜めるようにその名前を呼んだ。
しかし、ゼクスが拒絶の言葉を口にする前に、ビアンカが肩をすくめながらあっさりと辞退する。
「――いいのよ。 いっそ不要だもの」
「えっ⁉︎ なんで?」
「私にしか配慮されないってことは、わたしの価値が上がるってことと同義でしょ?」
「――……ねー?」
ビアンカの言っている意味がよく理解できなかったリアーヌは再び曖昧な返事でその場をやり過ごそうとする。
――と、目の前でそのやりとりを見ていたゼクスが、ブッハッと盛大に吹き出して「リアーヌ全然分かってないじゃん……」と、笑い混じりに暴露した。
もっとも暴露されたと思っているのはリアーヌだけで、ビアンカもリアーヌがたいして理解していないことぐらい、ちゃんと分かっていたのだが――
ビアンカは姿勢を正すと、軽くため息を吐きながらリアーヌに向きなおる。
ビアンカのため息にいち早く反応したリアーヌはそれにならうようにさっさと姿勢を元に戻した。
――そんな2人のやりとりを見ていたゼクスは、クスクスと忍び笑いをもらしながらも、それを押さえつけようと自分で自分の口元を押さえつける。
「――いいこと? 来年の教養学科の入学試験に個人面談が組み込まれたのは貴女のせいですからね?」
「いきなりなんの話⁉︎」
(さっきの会話のどこに、そんな話に繋がる要素があったの⁉︎)
リアーヌの疑問ももっともだったが、ビアンカにとっては、今の会話の意味すら理解できない者と机を並べているという事実が苛立ちの対象でしかなく、その原因に一言言ってやりたいと言う欲を抑えきれなくなっただけのことだった。
「あなたは察しが悪い、と言う話よ。 まさか試験官の皆様だって、カーテンに隠れて試験をやり過ごす――なんて奇行に走る子爵令嬢が存在するとは想像すらしなかったんでしょう?」
「――え、待って。 リアーヌそんなことしたの⁉︎」
ビアンカの突然の暴露に慌てるリアーヌと、目を見開いて驚くゼクス。
「さ、さすがに中には隠れてませんよ⁉︎ ただほら……学園のカーテンって分厚くってとっても長いから、纏めてあるだけで随分なボリュームになるわけで……――その隙間にコッソリ……?」
自分を見つめているゼクスの視線から逃れるように視線をうろつかせながら、リアーヌは言い訳するように答えた。
「いや、それはもう中……?」
髪をかき上げるような動作で頭を押さえたゼクスが、乾いた笑いをもらしながら呟く。
ゼクスとしてはなぜそんな奇行に走ったのか? というよりも、どうしてそれで合格してしまったのか⁇ ということのほうが気になっていた。
「それに加えて、採点方法を減点式から加点式に戻すべきでは? なんて意見まで出てるのよ?」
「――あー……なるほど。 そりゃ見つけられなかったら減点の対象にも……――え、ならないのか? 見つかった段階で一発アウト……?」
「――見つけた試験官だってどうやって減点すべきか迷ったと思いますわ。 試験項目は多岐にわたっておりますけれど『カーテンに隠れてやり過ごさないこと』だなんて項目は無いでしょうし……」
「――積極性に欠ける……とかでしょうかね?」
「……そうなりますと、まるで少々引っ込み思案な性格のご令嬢のようですわね……?」
「……だからこその合格……?」
「――世の中不公平ですわ」
ビアンカとゼクスのやりとりに、居た堪れなくなったリアーヌはしょんぼりと肩を落としながらボソボソと言い訳を口にする。
「決して悪気があったわけでは……ただ私、どうしても合格したくって……」
「気持ちが分からなくはないけどさぁ……」
ペソペソと喋るリアーヌに呆れたように肩をすくめるゼクス。
微妙なラインの貴族階級にある者たちにとって、教養学科になるか一般学科になるか――その差は天と地ほどの違いがある。
貴族は教養学科に通うもの――貴族階級にあるにも関わらず、一般学科に通っている者たちはその出生か資質に問題を抱えた“落ちこぼれ”――そんな暗黙の了解が貴族たちの間に蔓延しているのは、紛れもない事実だった。




