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リアーヌがケジメをつけてから数日たった、朝の教室――
リアーヌは朝の挨拶もそこそこに「はああああっ」とわざとらしく、まるでこちらに聞かせるかのようなため息をついて見せたビアンカを怪訝そうに見つめる。
「えっと……「どうしたの?」って聞いたほうがいい?」
「――……ぜひ」
リアーヌの問いかけにピクリと肩を揺らしたビアンカは、ため息をもらした体勢のまま小さく頷きながら答えた。
「じゃあ……どうしたの? なんかあった⁇」
クスリと苦笑を浮かべながらそう言いつつ、席につきながらビアンカのほうにイスを寄せ、そちらに大きく体を傾ける。
「――この可能性は考えてもいなかったのよ……」
「え、なんの?」
「でもね? 確かに客観的に考えるなら、次はそうくるものなの」
(えっ……⁉︎ ろくな説明もされてないのに話が始まってしまいましたが⁉︎)
全てを理解できていないリアーヌを置き去りに、ビアンカはいつになく熱のこもった言葉で言い募っていく。
「私としたことが……どうして今まで気がつかなかったのかしら」
「……そう、なんだー?」
早々にビアンカからの説明を諦めたリアーヌは、少し澄ましたような顔を取り繕うと、適当な相槌を打って話の続きを促した。
「ちゃんと理解していればもっといい条件を引き出せたかもしれないのに……!」
「……だよねー?」
「――もはや定石と言っても過言ではない一手だったのに……気がつくのが遅れたわ」
「……あーね?」
リアーヌは相槌をうちながらビアンカの話を理解しようと努力するのだが、全く話が見えず、唯一分かったことは、この世界にも“定石”と呼ばれる一手があると言うことだけだった。
(確か囲碁が語源のはずで――……こりゃ絶対、困った時の西の果ての国案件だな……)
そんなことを考えつつ、見えるわけではないのに窓の外に視線を下向けた。
「……良いお話なのは分かってるのよ?」
「――あ、いい話なんだ?」
「そうよいいお話なの! だって研究学科への進学を認めてもらえて、家のことに触りがでない程度であるならば研究自体を続けることも許してもらえたわ?」
「――え、なにそれめっちゃ凄いじゃん⁉︎」
「――……ええ、そうね。 本当に凄いことなのよ……だって実家はすぐ隣の領で後ろ盾も大きくていらっしゃる――お人柄にだって文句はないわ」
(―― えっ? 実家にお人柄って……しかもさっきの条件……それってつまり……⁉︎)
「けど全てリアーヌのせいだと思っているわ」
スンッ……と一気に表情を無くしたビアンカにそう言われ、リアーヌは目を白黒させた。
「――ええ……? あの……婚約しました的な話じゃないの……?」
「――期待が重すぎるのよ……」
もっと良く話したかったリアーヌだったが、教室に人が多くなってきてしまったことや、その日の最初の授業が移動教室だったため、その準備や移動のこともあり、それ以上の話はできなかった。
――その日の昼休憩。
いつもの中庭にやってきたリアーヌたち。
最近のリアーヌたちは、カフェテラスでの混雑を避け、購買部でパンやフルーツを買い、このベンチで手軽に済ませていた。
――だというのに、その日は随分と早い時間にゼクスが中庭に現れる。
(あれ……? 今日やたらと早くない⁇ いつもならご飯食べ終わったぐらいの時間に来るのに……――しかもなんか……笑ってる……?)
リアーヌが気がついたように、こちらへ歩いてくるゼクスの口元はニヤニヤとだらしなく緩みっぱなしだった。
そして、その視線はリアーヌではなくビアンカに向けられているようだった。
リアーヌは首を傾げながらも、チラリとビアンカに視線を走らせる。
すると、ビアンカのほうも迎え撃つかのようにゼクスを見据え、ニコリと美しい笑顔を浮かべていた――
(あっ…… コレ、私お口チャックのヤツだ……)
ビアンカからから発せられる闘志溢れるオーラに、リアーヌはキュッと唇を引き結び、そして身を小さくする。
「――と言うわけで、このたび婚約いたしましたの」
上辺だけはにこやかなお話し合いが終わった途端、ビアンカはパトリック・エッケルトとの婚約が整ったことを、短い言葉で伝える。
「――ま、そうなりますよねー……」
リアーヌたちの前に立っていたゼクスはポケットに手を突っ込みながら、ため息を吐き、肩をすくめつつ少々お行儀悪く言い放った。
そんなゼクスに、ベンチに腰掛けたままのビアンカも同じように肩をすくめて見せる。
しかしリアーヌだけは、キョトキョトとゼクスとビアンカの顔を交互に見つめながら、顔を輝かせていた。
「やっぱり! 婚約だよね⁉︎ ――おめでとう!」
満面の笑みでそう伝えてくるリアーヌを見つめると、ビアンカは今までで一番美しい――つまりは今までで一番圧が強い微笑みを浮かべながら口を開いた。
「――リアーヌ、私たち友達……いいえ親友よね?」
「ぇ……――まぁ、そうだとは思うけど……」
急に親友だ、などと言われて照れたリアーヌは、ニヨニヨと歪みそうになる口元をごまかすように前髪をいじり始めた。
(この距離感はきっと“親友”って言えちゃうんだと思うけど……――いや、改めて言われるとテレるでしょー!)
「親友……」
リアーヌはボソリと噛み締めるように呟き、再びニヨニヨと歪みそうになる口元との格闘を再開させる。
「――私が嫁ぎ先で肩身が狭い思いをしていたら一緒に悲しんでくれる?」
「……当たり前じゃん⁉︎」
急にされた質問の内容が不穏すぎて、リアーヌは思わず自分のスカートをギュッとつかみながら応える。
しかしその言葉を発したビアンカ本人は、リアーヌの答えに満足そうに微笑むと、スッとゼクスに視線を移した。
「――だそうですので、ご配慮願いますわ?」
「――……わっかりましたぁー。 できる限りは配慮できるよう努力してみまーす」
ニヤリと笑ってビアンカの視線を受け止めたゼクスは、そのまま笑顔で言い切る。
それにピクリと眉を跳ね上げたビアンカは、再び大きなため息をこれみよがしについてリアーヌにチラチラと視線を送る。
「――え、あれおめでたい話……?」
「……もしかしたら今、めでたくない話に変わったかもしれないわ……」
大袈裟な仕草で悲しむ素振りを見せるビアンカ、そしてニコニコと笑っているゼクスを交互に見つめ――リアーヌは早々に白旗を上げた。
「――ごめんなさいビアンカ先生。 なんの話かサッパリです……」
たとえ呆れられたとしても、どうやら本気でなにか悩んでいる様子のビアンカから話を聞きたいと思ったからなのだが――
「……そこはね? 私だってどうしたらいいのかサッパリなのよ……」
ビアンカはやさぐれるように大きなため息をつきながら言った。
どうやら彼女には、グチを言う気はあっても、リアーヌに詳しい説明をする気は全くないようだった。
「えっと……確認なんだけど、婚約はおめでたい話――だよね……?」
どこかやさぐれているビアンカにチラチラと視線を送りながらリアーヌは確認する。
そんなリアーヌの質問にビアンカは特大のため息をつきながら空を見上げ――
「多分ね……?」
と、曖昧に頷いてみせた。
(――その言い方の“多分”はあんまり良い意味じゃなくない……? ――でもビアンカの結婚に対する第一希望って研究を続けてもいいって言ってくれる人だったんじゃ……? そもそも、朝はそこそこ納得してる空気だったのに⁉︎ 一体どういうことなの……⁇)
ビアンカのこの嘆きは、対ゼクス用だったため、巻き込まれてしまったリアーヌは大いに困惑し、仕切りに首を捻ることしかできなかった。




