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「――そうか」
サージュはずっと感じていた不快感が消えていくのを感じながら答え、ホッと息を漏らす。
「――平気そう?」
そんな夫の反応に、リエンヌも表情を明るくしながら念のための確認を入れた。
「ああ。 きっと上手くい――ー信じろ」
リエンヌの瞳の奥に、微かに残る不安を見たサージュはニカッと笑うと大袈裟な仕草でドンッと自分の胸を叩いてみせた。
「……信じていますとも」
サージュの心づかいにリエンヌはふふっと頬を染め、花が綻ぶかのような微笑みを浮かべた。
両親のそんな姿にリアーヌたちは気まずそうに視線を送り合い、鼻の頭を掻いたり前髪を払って見せる。
そんな気まずそうな姉弟にクスリと笑みをこぼしたゼクスに再び近寄る影が一つ。
「お話が上手くまとまり大変喜ばしい限りですが……人の心というものは曖昧なもの――ここはどうかこの老いぼれを安心させると思って誓っていただければと……」
そう言いながら深々と頭を下げるヴァルム。
その言葉にゼクスの頬が再び引きつった。
誓いの言葉を言う前に二人の世界を作った子爵夫妻に、ほんの一瞬「これは誓わずとも有耶無耶にしてしまえるのでは……?」と、希望を見たゼクスだったが、ヴァルムがこんな好機を見逃すわけもなく――頭を下げる直前、挑発するような視線をゼクスに投げつけていた。
それにより、ゼクスは決して少なくない怒りを感じて、のらりくらりと逃げるという選択肢を選びにくくなっている自分に気がついていた。
(――ま、ここまで来て逃げるとか……速攻即決を掲げるラッフィナートの看板に泥を塗るような真似、したくもないんだけどねー……)
ふぅ……と一つ息をつくと、いまだにイチャイチャしている子爵夫妻のに向かい、胸に手を当てて軽くお辞儀をした。
子爵夫妻の関心がこちらに向くのを待ってから、かろうじての去勢を張って不敵に微笑みながら口を開いた。
「――ボスハウト家、皆様のお力をお借りできるのであれば、例え国王陛下相手であろうとも、リアーヌ様を渡したりなどいたしません。 必ず――幸せにいたします」
「――よぅし! 任したっ‼︎」
ゼクスの言葉にサージュも上機嫌で答え、その喜びの声に掻き消えるような小さな声で「まぁ、よろしいでしょう……」と、ぼやくように言ったヴァルムがいたのだった。
「――姉ちゃん、王様とも結婚するって話だったのか?」
「ええ⁉︎ まさか、絶対ムリだよ⁉︎」
「けど、王様から姉ちゃんを守るって……」
「――えっ、この私に陛下との結婚話が……?」
(お茶会でお茶の一杯もまともに飲めた試しがないのに……⁉︎)
胸を張って堂々と誓いの言葉を言ったゼクスだったが、そんな姉弟の会話とともに段々とその肩を落としていく。
そして気まずそうにチラリとヴァルムに視線を投げかけると、ポソポソと弱々しい声で話し出した。
「……幸せに出来たら良いな、と考えております……」
「――ラッフィナート男爵ともあろうお方が、一度口にしたことを違えることなど無いと心得ておりますとも」
弱音を吐くゼクスに、今更逃げることは許さないと圧をかけるヴァルム。
そんなヴァルムにはっきりと顔をしかめたゼクスは、少々投げやりな態度で肩をすくめため息混じりに答えた。
「……頑張りまぁーす」
「ーーなんとかなるさ」
「そうよね。 大丈夫大丈夫」
この部屋の中――どころかこの世の中で真っ先に、この姉弟の教育の遅さを真剣に受け止めなくてはいけないはずの子爵夫妻は、顔を突き合わせ仲良く話している姉弟をニコニコと見つめながら、あはは、うふふと、微笑み合っている。
もしかしたらその能力でこの道こそ正解であると分かっているためなのかも知れないが、そのギフトが使えないゼクスやヴァルムには実際のところは分からない。
分からないからこそ、その一瞬でその二人に奇妙な絆のようなものが芽生えていた。
『ちゃんと教育してくれるんですよね⁉︎』
『――そちらもしっかりとフォローをしてくださいますな?』
『婚約者が出来ることなんてたかが知れてますからね⁉︎』
『この一年はあなたが頼り……しかとその役目果たされよ』
無言で見つめ合った二人、そんなギフトなど持ちわせていないというのに、互いの心の声をはっきりと聞いた気がしていた――
「――あれ?」
その場の空気から、話し合いが完了したような空気を感じ取ったリアーヌは、ようやく肝心なところに気がつき、キョトンと首を傾げる。
「どした?」
そんな姉に、同じように首を傾げながらザームがたずねた。
「……いつのまにか結婚することになってない⁉︎」
「……え、最初からそういう話してたんじゃねぇの……?」
「え、最初⁉︎ いつのまに⁉︎」
それまで、ボスハウト邸のリビングでは、長女リアーヌの婚約話という、非常に重要な話題について話し合っていた。
そしてそれが終わり、どことなく穏やかな空気が流れ始めた時に響き渡った、トンチンカンな姉弟の会話――
(聞こえなかったことにしてもう、お暇しちゃおっかな……?)
などと考えてしまったゼクスの傍らにはヴァルムが当然のように立っていて、圧の強い笑顔をゼクスへと向けていた。
ヴァルムをチラリと確認し、引く気はないと分かってしまったゼクスは、ほんの少しため息をついてから、いまだに混乱しているリアーヌに近付いて声をかけた。
「そりゃ最初からに決まってるだろー? 俺が持ってきたの婚姻承諾書だからねー?」
「ぇっ……あ、いやあの……そう、なんですけど――さぎ……?」
なにかを言いかけたリアーヌだったが、ゼクスの笑顔から圧を感じて、おどおどとその言葉を飲み込んだ。
そして動揺するように視線を動かし続けるリアーヌにゼクスは肩をすくめる。
「――こっちとしても予定外の展開ではあるんだけど……でも最大の目的は達成できたし……結果は上々かな」
ゼクスはわざと核心には触れないような言葉を選び、ニコニコとリアーヌに話しかけた。
「――それは、良かったですね……?」
ゼクスの思惑通り、リアーヌは深く考えずに曖昧な相槌を打つ。
「……そう思ってくれるかい?」
予想通りの答えにニンマリと笑いながら、心の奥底から聞こえる「おい、こんな誘導尋問に引っ掛かる娘を守るって言ったのか俺……?」と言う声にフタをした。
ちなみに今の会話の意味はこうだ。
『予想外なことも起こったけれど、君と結婚の約束をできて嬉しい』
『良かったですね』
『君も嬉しいと感じてくれるのかい?』
という、恋人同士の会話にならないこともない――くらいの曖昧な会話だったが、ここに婚姻承諾書が加わるならば、この婚姻はなんの障害もなく結ばれた――と言えてしまう程度のワナは潜んでいた。
「――これからよろしくね、婚約者殿?」
「――婚約者……?」
(なんだかよく分からないままに始まったお話し合い。 よく分からないまま終わったと思ったら、私がゼクスの婚約者……⁉︎)




