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「お帰りなさいませ、お嬢様――災難でございましたねぇ……」
ボスハウト邸、玄関。
リアーヌの迎えに出たヴァルムが、労うように優しい口調で言った。
「ヴァルムさぁぁぁん!」
その言葉に大きな安心感を覚えたリアーヌは、甘えてまとわりつく子犬のようにヴァルムに駆け寄る。
ベッティにギフトを奪われそうになった恐怖は、思っていた以上にストレスだったようで、リアーヌは鼻の奥をツン……と、させながらヴァルムに甘える。
そんなリアーヌの肩や腕をさすりながら、労わるように声をかけた。
「ええ、ええ、このヴァルムが付いておりますとも。 大丈夫でございますよ」
そんな優しい言葉にリアーヌはうるうると瞳を潤ませるが――
その直後、お土産の出迎えに出てきたザームがリアーヌの横を通り抜けながらチャチャを入れた。
「……姉ちゃん、コピーするために行ったのにしないで帰ってきたんだろ? 何にもしてねぇじゃん」
ザームはオリバーが持っていたワッフルサンドが詰まった箱に手を伸ばしながら、茶化すような顔つきで言った。
そんな弟をジロリと睨みながら、リアーヌは頬を膨らませながらヴァルムに訴える。
「ザームがイジワル言います」
「おい、言いつけ魔やめろよ」
「本当のこと言ってるだけですけどー⁉︎」
「言いつけ魔は言いつけ魔だろ」
玄関先で言い争うを始めた姉弟に、ヴァルムの笑みが濃くなり、スッと目が細められた時だった――
リアーヌはその背中に立っていられないほどの悪寒と、吐き気を催すほどの不快感を感じる。
急にガクガクと震えながら、自分を抱きしめるようにして前に倒れ込むリアーヌを咄嗟に抱き止めたのはゼクスだった。
「っリアーヌ⁉︎」
そんなゼクスの声と「お嬢様⁉︎」と目を丸くするヴァルムやオリバー、そしてザームの「姉ちゃん⁉︎」と言う声――そして、ボスハウト邸の内部から響き渡った、父サージュの怒鳴り声は同時だった。
「――お前ら今すぐ家を出ろっ!」
倒れ込んだリアーヌを気づかいながら、背後から聞こえてきたサージュの言葉に困惑するヴァルムたちだったが、メイドが開け放った玄関から、険しい顔つきで母リエンヌの手を引きながら、ズンズンと足早に歩くサージュのことを見つめた瞬間、ヴァルムの表情がキュッと引き締められた。
そして、リアーヌを気づかいながらも立ち上がると、周りでオロオロしている使用人たちへ号令をかける。
「――旦那様のご命令ですっ!」
その言葉にハッとした使用人たちはグッと背筋を伸ばし、サージュたちやリアーヌたちに一礼すると、キビキビとした動作で屋敷の中に駆け込んで行った。
そしてヴァルムは玄関先まで出てきているサージュに向かい頭を下げると「すぐにご準備いたします」と、告げた。
「準備なんてどうでもいい! 今すぐ全員ここから逃げろ!」
「あの……貴方、私も力を使ってみるから……」
サージュに手を掴まれたまま、引っ張られるように歩くリエンヌが夫に声をかけるが、サージュは一言「後にしてくれ」と言うだけで足を止めようとはしなかった。
そして玄関先で蹲るリアーヌたちを確認すると、歩みを遅めながらザームに向かって口を開いた。
「ザーム姉ちゃんを運べ。 男爵、馬車に乗せてもらうがいいな?」
そうたずねながらも、ザームに向かい、さっさとしろとジェスチャーで伝えている。
促されたザームがリアーヌの腕を持ち、引っ張りあげようとした時、ようやくゼクスが正気に戻り、サージュに向かって声を上げた。
「――馬車は自由に使って下さい。 ……それとリアーヌは俺が」
「早く連れ出してくれりゃ誰が運んだっていい――リアーヌ覚えとけ、そんぐらいすげぇのは、今すぐにその場を離れなきゃダメだってことだ」
「……りょ」
リアーヌはガタガタ震えながらも、カクカクと頷きながら理解したことを伝える。
(理解はしたけど、二度と体験したくないッス……――え、これで馬車とか本気? ……リバースの危険性をはらんでおりますが⁉︎ いや、これが無くなるなら多少のリバースぐらい構わない気もしてるけど……!)
リアーヌがゼクスの手を借りながらも立ち上がったことを確認すると、サージュはリエンヌの手を連れながらラッフィーナート家の馬車に近づいていく。
そんなサージュへヴァルムの声がかかる。
「旦那様、何日程度の避難になるかは分かりますか?」
「分からんし、そんな準備なんぞどうでもいい!」
「……かしこまりました。 ――アンナ。 お前だけ同行しなさい。 男爵、申し訳ありませんが、どこかの宿へ送り届けていただきたく――」
ヴァルムがそう言葉にした瞬間、リアーヌが感じていた悪寒が、さらにひどくなるのを感じる。
「絶対ダメ! それ無理! 宿屋絶対嫌!」
そんなリアーヌの言葉に同意するようにサージュも頷く。
「だな。 ……ラッフィーナート家はダメか? なんならどっかの支店の倉庫や屋根裏でもいい」
「それは……」
ゼクスが口ごもるのに被せるようにヴァルムが口を開く。




