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それはいつもと何も変わらない朝、いつもと変わらない登校をして、いつもと変わらない教室に入る。
ゼクスとの話し合いから数日、まだボスハウト家に細かい内容を記した契約書は届けられていないが、ゼクスは毎日のように契約書の進捗をリアーヌに教えてくれていた。
リアーヌは今日も報告があるのか、それともそろそろ出来上がる頃なのだろうか? などと考えながら教室に入り、いつものようにビアンカと周りの席の生徒に挨拶をしながら、席に鞄を置いた。
――いつもとは違った、周囲からの探るような視線を全てスルリと交わして支度を始めるリアーヌ。
「――まったく……なんて友達がいの無い……」
そんなリアーヌに向けられたこれみよがしなそのビアンカのため息。
「えっ?」
その声の不機嫌さや言葉の内容にリアーヌは驚きに目を丸くしながら声の主を見る。
しかしビアンカもまた面白くなさそうに目を細めながらリアーヌをジッと見つめている。
「――知っていたんでしょう? 少しくらい教えてくれても良かったんじゃなくて?」
「……え、ごめん。 なんの話?」
ビアンカがなぜこんなにも不機嫌なのかまったく理解できなかったリアーヌは、キョドキョドと視線を揺らしながら思い当たることを探すが、全くもってなんの心当たりも無かった。
「――どうせラッフィナート殿になにか伝えられて……――無さそうね……?」
そんなリアーヌの反応からビアンカも自分の勘違いに気がついたらしく、その表情から不機嫌さが消え、その代わりに困惑が色濃く反映される。
「……ゼクス様? ――昨日、中庭で会ったのが最後だけど……ビアンカも一緒だったじゃん?」
リアーヌのその言葉にビアンカが自分の口に指を添えながら「あらまあ……」と、呆れの声を漏らした。
そしてリアーヌたちの会話を素知らぬ顔で盗み聞きしていた周りの生徒も、言葉には出さず、少し目を見開いたり少しジェスチャーを交わし合って友人たちと驚きを表していた。
リアーヌはそんな周り様子にも気が付かないままビアンカに質問を重ねる。
「ゼクス様、なにかやったの?」
「……まぁ、やったと言えばやったわね」
同じように小さく肩をすくめたビアンカが椅子に座りながら、リアーヌの席の方にグッと身体を傾けた。
それを見てリアーヌもグッとビアンカの方に身を傾け、顔を近づけて小声で会話し始める。
「――爵位をお受けになったそうよ」
「……はっ⁉︎」
「あくまでもゼクス・ラッフィナート様が個人的に受けただけで、ラッフィナート商会は叙爵を免れたらしいわ――……免れたは言い過ぎたわね……?」
「……まぁ、本心からそう思ってるだろうし……――え、つまり実家は平民だけど自分は貴族……? なんでそんなややこしいことに?」
「そこまで複雑なことではないわ。 受けた爵位は男爵で一代限りという制限が付いているらしいの」
「――つまり、ゼクス様の子供はまた平民に戻る……?」
「……まぁ、あわよくばこのまま……と考える人は……多いでしょうけどね?」
そこまでビアンカと話し合い、リアーヌはとある事実にギョッと目を見開いた。
(――待って……? え⁇ ゼクスが爵位を受けた……⁉︎)
「陛下の期待も高いのか、この度めでたく領土も賜ることまで決まっているともっぱらのウワサよ?」
言外に「本当に知らないの?」という言葉をにじませながら、ビアンカは探るようにリアーヌを見つめた。
――しかし、軽くパニックになっているリアーヌはそんな視線にも気がつけなかった。
(待って待って待って⁉︎ えっ⁉︎ アイツなにやってんの⁉︎ ――絶対今じゃ無いよね⁉︎ そもそもアイツ一人で男爵ってどういうこと⁉︎)
リアーヌが混乱している原因は、主人公がゼクスルートだった場合のストーリーがほぼ破綻してしまっていることに気がついたからだ。
――ゼクスというキャラクターを攻略する際の最大の障害は身分差だった。
主人公はこの学院に来る前に伯爵家の養子に入っている。
伯爵令嬢と平民という関係性が、二人の前に最大の障害となって立ちはだかる――はずだった。
そして、その解決方法こそがラッフィナート家の叙勲だった。
ストーリーが進むにつれて親密になっていく二人。
しかし親しくなれば親しくなるほど、主人公のギフトの有用性と自身の身分が釣り合っていないことを感じてしまうゼクス。
悩み抜いた彼は一度は、主人公の安全を優先すると決め、彼女から身を引く決意をする。
しかし、ラッフィナート家が主人公からの離れた事により、主人公のギフトを欲した権力者たちが、彼女の意思を無視して争いを一気に激化させた。
その争いに巻き込まれた主人公、最後には心労で倒れてしまい……
――そんな報告を受けたゼクスは、主人公がカケラも安全でも幸せでないことにようやく気がつき、自分こそが彼女を守るのだと心に誓い、そこから自分の家族や陛下とまで取引をして爵位を賜り、主人公の元に馳せ参じ――
(そして、むりやり関係を迫られて、事実婚に持ち込まれそうになっていた主人公の前に颯爽登場! ――あのスチル好きだったなーっ! 重厚そうなでっかい扉をバーンッて開け放ったお貴族の豪華なキラキラ衣装身にまとったゼクス――ゼクス史上1番格好良かった……――たった今、そのスチルが存在しない世界線になったけどねっ⁉︎)
リアーヌは机の上に肘をつくと両手で頭を抱えた。
「――ちょっと……大丈夫なの……?」
明らかに挙動のおかしいリアーヌにビアンカが心配そうに眉を寄せる。
(――正直なところ、あんまり大丈夫ではありませぬ……)
リアーヌはそんな本心を隠し顔を上げると、「あー……」と言葉を濁しながら曖昧な笑顔を浮かべてごまかした。
(……――まぁでも……現在私は単なるモブっ子なわけだから、どう頑張っても見られないんですけどねー。 いやでも待って⁉︎ 今のゼクスってば男爵なわけじゃん⁉︎ ――つまりこれからはずっとキラキラ衣装を付けることになるわけで、私は部下なんだから見られる機会もきっと多いわけで……? ――ヤダ……ゼクス様、グッジョブが過ぎるじゃん……!)
リアーヌはそう結論付けると顔を上げ、未だに心配そうに自分を見ているビアンカに向かってグッとサムズアップをして見せる。
そんなリアーヌの子爵令嬢らしからぬ態度に、ビアンカの眉間には盛大な皺が寄ったのだった。




