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――実際のところこうなってしまったのは、単なる伝達ミスや知識の不足にならなかったのだが……
結果だけ見てしまえば、このフィリップの考えは、実に的を射ている現実味があるものになっていて……――フィリップがこの思い違いに気がつける要素はあまりに少なかった。
……そしてこの時、もう一つの不幸がフィリップに降りかかっていた。
それはこの場にゼクスがいないこと。
ゼクスであればフィリップの考え違いにすぐさま気がつけ、イヤミたっぷりに鼻で笑い飛ばす程度のことはしたはずだったのだが、ここにいるのは『大人たちの都合により婚約を凍結せざるを得なかった』と考えていたリアーヌのみ――
そしてそんなリアーヌに、フィリップは『――ウワサではラッフィナートはボスハウト家の後釜となる家を探し回っている……とか?』なという、寝耳に水な言葉を向けてしまった――これが今の状況だった。
「え……?」
目を見開いて驚き、動揺したように揺れる瞳で自分を見つめ返すリアーヌの姿に、フィリップは内心で感心したように驚きながら(表情を隠されるのがお上手になられた……)などと考えていたが……
リアーヌは本心から動揺し、表情などなに一つ隠してはいなかった。
不安になり周囲を見回すリアーヌ。
しかしほとんどの者たちはフィリップのやりたいことを理解しているので、フォローのような言葉をかける者は現れない。
唯一、レジアンナだけはプリプリと目尻を吊り上げながら「だからパラディールに就職しなさいな! そうしたら、もっとちゃんとした婚約者を見繕って差し上げますわ?」と豪語していた――
フィリップはここで初めてレジアンナの言動に違和感を覚えた。
確かにその提案をしたのは自分なのだが……レジアンナの言葉からは冗談や軽口という色が感じられないと――
鼻息も荒くそう言い放ったレジアンナにチラリと視線を流し、その表情から愛しい婚約者が本気であることを察知したフィリップは、笑顔の下で大いに慌てながら、どう対処すべきか考えを巡らせていた。
(待ってくれレジアンナ……! こんな状況下で新しい婚約者の斡旋だなどと口にしたら、ラッフィナートはともかくボスハウト家と争うことにもなりかねないが⁉︎)
リアーヌがどんなに大切にされ大事に育てられているのかを一度大きく見誤っているフィリップ――
二度目の失態は避けなくてはならなかった。
しかし、どこからどんな情報をもたらされたのか、レジアンナは本気で『ラッフィナートがすでに新しい婚約者を探している』というウワサを真実だと信じ切っているようで、完全なる善意からゼクスに憤り、そんな非道な行いからリアーヌを守ろうとしているようだった。
(……君のその素直な所は愛おしむべき点だと思うが――もう少し、周囲からもたらされる情報を精査して欲しかったりするよ……)
レジアンナは多少わがままを言ったり、我を押し通す場合も多かったが、多くの場合において、周囲の意見をよく聞く少女だった。
――つまり……言い換えてしまえば、周囲の者たちが面白おかしく聞かせるウワサ話の数々を信じ込んでしまう場合が多々見受けられたのだ。
フィリップが脳内でそんなことを考えている頃、レジアンナの言葉を誰も笑い飛ばしてくれないことに、リアーヌは不安そうな顔つきで、視線をキョトキョトと忙しなく動かしていた。
そして縋り付くように隣に座るビアンカに小声で小さくたずねた。
「……え? 私婚約破棄されるの……? 凍結しちゃったから……?」
リアーヌは極力冗談めかした声色でたずねようとするが、その声にはハッキリ戸惑いや困惑の色が乗っていた。
そんなリアーヌの様子にビアンカは小さく肩をすくめながらレジアンナにもきちんと聞こえるように少し大きめの声で答える。
「……“婚約”なんですもの。 破棄される可能性も解消される可能性もあるに決まってるでしょう?」
「……婚約、だから?」
「実際に結婚するまではどんな可能性だって考えられるでしょ。 しかもあなた凍結してるじゃない、それを心配するのは当たり前でしょ? だってよその家の私たちには両家でどんな取り決めが交わされたのか? なんて分りっこないんだから」
しれっと返すビアンカだったが、その答えにテーブルの向かいに座っていたレジアンナは大きく目を見開き、ようやく両家間で取り決めを交わしたのちの凍結という可能性に気がついたようだった。
――ちなみにその隣では、そんな婚約者の変化にホッとしたように細く長く息を吐き出すフィリップがいた。
そんなフィリップの仕草が目に入り、ビアンカは表情を取り繕いながらも、呆れたように視線を伏せる。
「ーー……ぇ、今のそういう話……?」
「……これはあくまでも一般論だけれどね? 事実として凍結した婚約は解消されることが多いのよ……私もレジアンナもそれは知ってるわ? だから力になれることがあるなら力を貸すわってあにたを励ましてるんじゃない」
「一般論……――婚約破棄が普通?」
「……解消する場合が多い、が正解ね。 ――ちなみに破棄と解消じゃ雲泥の差だから言い間違えには気をつけなさい?」
「うぃ……」
ピシャリと言われ、リアーヌはいつものように首をすくめながら返事を返す。
そんないつもの行動がリアーヌの心に余裕を生んだのか、照れくさそうに笑いながら肩の力を抜いて、目の前に用意されたティーカップに手を伸ばす。




