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余裕たっぷりのゼクスの言葉にフィリップの視線がさらに鋭さを増し、口の弧は深さを増した。
「――そうですね……実に残念です……――ですが卒業まではまだまだ時間があります。 ……でしょう?」
意味ありげな微笑みをリアーヌに向けるフィリップ。
その態度にゼクスは一瞬笑顔をかき消した。
それを確認したフィリップは、ようやく頬を緩め満足そうにクスクスと笑い声を漏らす。
「――いくら時間があっても、すでに契約した以上、変更は難しいと思いますけどねー」
そうゼクスがフィリップに突っかかるように言い返した瞬間、ビアンカがリアーヌの腕をそっと引っ張り、ゆっくりと二人から距離をとった。
「……ほっといていいの?」
「巻き込まれるよりマシよ」
ほとんど声として聞き取れないほどの囁き声で話し合った二人は、素知らぬ顔をしてジリジリと廊下の窓際に移動した。 そしてジッと嵐が過ぎ去るのを待つ。
「そうは言っても未来は誰にも分からない――現に卒業までに後ろ盾を変えるギフト持ちは掃いて捨てるほどいるだろう? せっかくのギフトなんだ。 自分をより評価してくれる者の元にいる方が幸せだと思わないか?」
自分の方がよりよい条件で雇えると、意地の悪い笑みを浮かべながらフィリップが言うと、ゼクスはその言葉を鼻で笑って見せた。
「充分に高く評価してるからこその契約ですけどー? しかもこれからボスハウト家の執事も交えて細かい条件のすり合わせまでするんですけどー⁇」
「――へぇ? そのすり合わせとやらがムダな労力にならないことを祈っているよ」
バチバチと火花が散っているような幻が見えるほどの目力で、二人の視線がぶつかり合う。
ある程度の距離を保っていたリアーヌの口から「ひえ……」と小さな悲鳴が漏れるほどの、凄まじい迫力であった。
「……――あんたがちょっかい出さなきゃ平和に終わるさ」
「はっ! 平和を望むなら庇護下に入れてやろうか⁇」
この廊下には人気がないとは言え、どこで誰が見聞きしているか分からないというのに、そんなことはお構いなしとばかりに、眉を釣り上げ、歯を剥き出しにして睨み合う二人。
――お互いに、腹の中では、相手の家と明確に敵対する覚悟を決めているようだった。
「――今更、吐いた言葉は戻らないぞ……?」
「おや? もう怖気付いたのかな⁇」
「まさか。 ――受けてたってやるよ。 全力でな」
顔を突き合わせながらお互いに最大限の圧をかけながら言葉を交わし合う二人。
「――え、ヤバ怖なんだけど……?」
乙女ゲームでは絶対に出てきてはいけないほどの迫力で言い争いをする二人に、リアーヌはその恐怖心からビアンカの後ろにそっと身体を隠す。
「……そのへんになさっては? ――怯えておりましてよ」
肩をすくめながらそう言うと、チラリとリアーヌを振り返るビアンカ。
その言葉にほぼ同時に、ビクリと大きく反応したゼクスたちは、そっとお互いに視線を外す形で視線を逸らし合った。
そして未だにビアンカの背中からこちらを観察しているリアーヌに向かって、気まずそうに声をかけた。
「あー……その、すまなかったね?」
その言葉にリアーヌが反応するよりも早く、今度はゼクスがリアーヌに向かって言った。
「今のは完全にコイツが悪いんだよ? 俺たちは既に契約してるのに、ちょっかいかけるって宣言したんだから」
ゼクスの言葉に再びフィリップの眉間にシワが寄る。
「――言いがかりはやめてくれないかな? 私はそんな下品なことは一言も言っていない」
「はっ! 言ったも同然だろ? ――俺は契約主としてリアーヌ嬢を守る義務があるからね。 恐ろしい者だから救おうとしただけなんだよ⁇」
「そう、なんですか……?」
疑わしげなリアーヌにコクコクと大きく頷きながら、ゼクスはさりげなくその隣に移動した。
そしてニコリ……と蠱惑的に微笑んで自身の言動を正当化した。
「勝手なことを……――リアーヌ嬢、仕える者の人となりはよくよく観察することをお勧めするよ。 将来を左右する重要な契約はそんなに急ぐものでは無い」
フィリップはそこまで言うと一度言葉を切り、ゼクスにチラリと視線を投げつけてからリアーヌに向かい満面の笑みを作りながら口を開く。
「――君がその気なら手を貸すのもやぶさかでは無い……」
「――あははっ! ……フィリップ様ってば何言ってるんだろうね? 堅苦しくて良く分かんないねー⁇」
ゼクスはリアーヌの反応から、フィリップが伝えたかった言葉をほとんど理解していないと、すぐに確信した。
そしてそれを逆手に取り、ニヤリと笑いながらフィリップの言葉をうやむやにしてみせた。
心の中で(世間知らずのボンボンが! おとといきやがれ!)と、毒付きながら。
ゼクスの言葉で、リアーヌが自分が伝えたかった言葉を読み取っていないことを理解したフィリップは、チラリとビアンカに視線を流してから、気持ちを切り替えるように大きく息をついてから口を開いた。
「――私の言葉の意味が気になったならビアンカ嬢にたずねるといい……――では今日はこの辺で失礼するよ」
「――ごきげんよう」
立ち去ろうとするフィリップにビアンカが礼儀の一つとしめスカートを少し摘んで膝を曲げながら礼の姿勢をとった。
「……ごきげんよう」
「ごきげんよー」
それを見ていたリアーヌも慌てて同じ姿勢を取り、ゼクスはポケットに手を突っ込みながらやる気のない声を出した。
すでに歩き出していたフィリップはゼクスの声にピタリと足を止めたが、振り返ることも言い返すこともなく、再びまっすぐに前を見て歩き出した――
◇
あの後、リアーヌたちとも別れたゼクスは、諸々の報告のため家への帰路を急いでいた。
自分以外の誰もいない馬車の中というプライベートな空間こともあり、かなり行儀悪くネクタイを緩め、足も靴ごと前の座席に投げ出している。
そして頭を掻きむしり、自分の指や爪を齧り――彼の内心の苛立ちが相当大きいことを語っていた。
「……――うちとやり合うってことは、やっぱりあいつも知ってるってことだ……――冗談じゃない。 俺が先に手に入れた金の卵だぞ……誰が諦めるもんか……」
ゼクスはまるで目の前にフィリップの姿が見えているかのように虚空を睨みつけると、一段と低い声で唸るように言う。
そんなゼクスを乗せて馬車はラッフィナート家へと急ぐのだった――




