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婚約凍結を公表して数日、サージュが太鼓判を押していたので、多くの者たちはなんの心配もしてはいなかったのだが――
やはり、その予想通りにラッフィナート商会に対する攻撃的なウワサはみるみるうちにかき消えていった。
――しかしそれと同時期、ラッフィナート商会のウワサと反比例するかのようにある一つのウワサが学院内、そして王都中を駆け巡り始めた――
『ラッフィナート商会とボスハウト子爵家の婚約が解消された』
全くの事実無根なウワサではあったが、詳しい事情を知る立場にある者たちでさえ、面白おかしく好き勝手な憶測を交えて話題にあげ、婚約の凍結と解消の違いすら知らない者たちは、真実であるのだと信じ込んでその話題を口にする。
――国で一番の商会というだけあってラッフィナート商会の知名度は高く、悪いウワサが流れた直後ににそんなウワサが流れてくれば、多くの者たちが勝手な解釈をしてしまうものなのかもしれないが……
◇
――そんなウワサが浸透しはじめ、しかしリアーヌたちの周囲では、悪意あるウワサが聞こえなくなり、ある程度の落ち着いてきた頃――
リアーヌはビアンカに誘われ、パラディール家主催のお茶会に参加していた。
――凍結中であるため当然ではあるが、今回のゼクスの同行は無かった。
参加者はフィリップとレジアンナ、パトリックたち、そしてレオンとクラリーチェ。
みな、リアーヌに気を使っているのか、事前にそういう取り決めがあったのか、ウワサやゼクスのことは一切話題に上げず、リアーヌが好みそうな話題ばかりで盛り上がっている。
強張った笑顔を貼り付け、どんな話題を振られても口を滑らせてはいけない……! と気を張っていたリアーヌにも、普通の笑顔が戻り始めた頃、フィリップが冗談めかした口調で口を開いた。
「……いっそのことパラディール家に就職するなんて未来も考えてみないかい?」
「……えっと?」
いきなりの提案に首を傾げるリアーヌ。
フィリップはクスリと小さく笑うと、肩をすくめながら提案を口にする。
「――凍結の先に幸せが待っているのならばそれで構わないだろうが……――いついかなる時も、より良い未来を選ぶ努力はするべきだと思わないかい?」
ニコリと同意を求められたリアーヌが愛想笑いでごまかそうとした時、足元からゾクリ……という嫌なものが這い上がってくるような感覚に襲われる。
(ん⁉︎ これダメなヤーツなの⁉︎ こんな時になに仕掛けてくれてんだお前⁉︎)
リアーヌはヒクリと頬をひきつらせながら、慎重に答えるべき言葉を吟味し始める。
「……一度持ち帰って検討いたしますわ……?」
そう答えた瞬間、嫌な予感はじわじわと薄まっていき、リアーヌはフィリップからのちょっかいを無事に躱せたことに胸を撫で下ろしていた。
「……いつだって自分の身の振り方は考えておかなくてはいけないのよ?」
「えっと……?」
フィリップの隣に座るレジアンナに少し怒ったように言われリアーヌは首を傾げる。
リアーヌに見つめられレジアンナは怯んだように視線をは迷わせるが、それでも手を握り締めながら真剣な表情でリアーヌを見つめかえし、さらに言葉を重ねる。
「――私だってこんなこと言いたいわけじゃないけど……でも万が一が起こってしまったら……!」
憤るように言葉をぶつけるレジアンナに、リアーヌは困ったように眉を下げながら「あー……」と迷うように言葉を濁す。
レジアンナが心から自分を心配してくれているのは理解出来たが、だからと言って先ほどの嫌な予感をガンガンに感じる申し出を受けれることは不可能に近かった。
「――ウワサではラッフィナートはボスハウトの後釜となる家を探し回っている……とか?」
そんな動揺を知ってかしらずか、フィリップはたっぷりと含みを持たせながら言葉を紡いだ。
そんなフィリップの言葉にリアーヌの身体がピクリと反応する。
――ラッフィナート商会が今現在、精力的に探している“後釜”は、この騒動で敵と認定した商店や取引先たちであり、決して新たな婚約相手などでは無かったのだが……リアーヌに揺さぶりをかけるにはそれで十分だったのだ。
数多の情報を取得し選別することに長けている貴族、そしてその中でもより多くの情報が入ってくる大貴族――その嫡男であるフィリップが、こんな簡単なウワサの審議が付かないわけがない――
つまり、フィリップにはそのウワサが偽りであると気がついていたのだが、リアーヌへ――引いてはその後ろに今もなおいるであろうゼクスへ『そちらの事情くらい把握しているぞ』と伝えるために、リアーヌへ言葉をかけていた。
――しかし、ここでフィリップは一つの大きな思い違いをしていた。
ラッフィナート商会へのウワサ出た直後、ボスハウト子爵夫妻がラッフィナート商会へ足を運んだことはすでに把握していた。
そしてその直後に婚約の凍結が発表された――
つまり、ラッフィナートとボスハウトがなんらかの話し合いや取引を交わし、通常であれば凍結などにはならないところを、あえて凍結という手段を用いてウワサの収集にあたったのだ――と考えていたのだ。




