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「――やぁ、ラッフィナート殿。 ずいぶんと楽しそうですね?」
人気が無いと思っていた廊下だったが、いきなりかけられた言葉に驚き、パッとそちらを振り返るリアーヌたち。
その視線の先にいたのは……――フィリップ・パラディール、その人だった。
「――これは次期パラディール公爵様ではありませんか」
ゼクスはそう言いながら顔を歪ませるかのような笑顔を貼り付けると、その視線から守るように、さりげなくフィリップとリアーヌの間に身体を滑り込ませた。
「どうも。 ――そういえば午後からの授業で姿を見なかったが……――もしかしてサロンで話し込み過ぎてしまったのかな?」
フィリップはニコニコと笑いながらそう言って、最後にチラリとビアンカに視線を投げつけた。
「っ……!」
その視線に、フィリップの不興を買ってしまったのだと理解したビアンカは、その肩をビクリ! と大きく跳ね上げる。
「――あははー。 お恥ずかしながらそうなんですよー。 リアーヌ嬢とは契約して間もないですから、少しでも仲良くなろうと頑張っちゃって……――ビアンカ嬢もゴメンね? 無理にサロン貸してもらっちゃってさ。 あ、でも約束通りまたいい本借りてくるからさっ!」
ヘラヘラと笑いながらそう言ったゼクス。
最後の言葉だけは手で口元を隠しながらビアンカに向かい声をひそめたが、その言葉自体はフィリップに聴かせるためのものであった。
ビアンカがサロンを貸したのは、自分が無理を言ったせいと希少な本に釣られてのこと――と、フィリップとビアンカの関係性にヒビが入ることを、なるべく最低限で済むように手助けしたのだ。
その意図に気がついたビアンカは少し目を見開いて驚いた表情を見せたが、すぐにニコリと表情を取り繕うと、ゼクスに向かい口を開いた。
「サロンを貸したのはリアーヌが不安そうにしていたからですわ。 ――安心できて良かったわね?」
そういうと、ビアンカはリアーヌにとってとても馴染み深い笑顔を浮かべて首をかしげる。
その瞬間、反射的にリアーヌの背筋がスッと伸び、言葉を発していた。
「――はい!」
(この笑顔でなにかたずねられたときは「はい」一択! リアーヌちゃんと学習してるよっ!)
そんなリアーヌにビアンカは満足そうに微笑むと、ゼクスを見つめ、フッ……と一瞬悪戯っぽく口元を歪ませると、先程のゼクスをマネるように手で口を隠し、声をひそめる。
「――もちろんいい本があれば、いつでもお借りいたしましてよ?」
そんなビアンカの言葉に、ゼクスは本心から面白がり、ケラケラと笑い声を上げながら何度も頷いて了承の意思を示した。
「――……ずいぶんと仲良くなったのですね……?」
そんな二人のやり取りに、絶対零度の微笑みを浮かべたフィリップが優雅に話しかけた。
フィリップの中でビアンカは自分の派閥の人間だった。
明確に庇護下には入っていなかったが、他の家――それも大商家とは言え平民階級なんぞにシッポを振られるとは夢にも思っていなかったのだ。
「あー……仲良くと言いますか……利害の一致――なんでしょうかね?」
「そう……言えなくもありませんわね?」
「利害の一致……――差し支えなければお教え願っても?」
だいぶ剥がれかけている笑顔の仮面をかろうじて貼り付けながらフィリップがたずねる。
「……リアーヌ嬢は少々社交が苦手でして……」
少々芝居がかった動作で思い切り眉をしかめ肩を下げたゼクスから言いにくそうに紡がれた言葉に、リアーヌの口から「ふぬぅっ……」と言ううめき声が漏れ出た。
「――ビアンカ嬢はそんなリアーヌの手助けをしてくれてるんです……ね?」
「――ビアンカ先生無しではまともに授業を受けられません……」
なんのプライドも引っかかりもなく肯定して見せるリアーヌに、フィリップの頬は別の意味でさらに引きつった。
しかしフィリップとて、難関と言われるこの学院の試験を突破しておいて、茶の一杯もまともに飲めないリアーヌの噂を知らないわけではない――
ここでようやくフィリップはこの会話の意味に気がついた。
なぜラッフィナートが手を貸しているのかは不明だが、この二人――三人は、ビアンカの有用性について示しているのだ、と。
この先、リアーヌを絡め取ろうと思った場合、ビアンカがいればその難易度は簡単になり、いなければ難しくなるのだぞ――と……
そのことに気がついたフィリップは、ビアンカがゼクスの力になったことよりも、ゼクスが策を弄して、自分の考えすら制して見せたことに、言いようのない不快感と強い怒りを感じていた。
――そう言った意味でも、ゼクスが仕掛けたことは大成功を収めたと言っても過言ではなかったのだが。
「ーしかし……リアーヌ嬢は入学して間もないと言うのに――御自身の進路です。 そんなに急いで決めなくても良かったのでは?」
不快感を隠して笑顔を浮かべてみせたフィリップは怒りを吐き出すように挑発的な言葉をゼクスに向かって言い放った。
「――リアーヌ嬢はギフト持ちですからねぇ? 有能な能力者は早い者勝ちでしょう⁇」
フィリップの分かりやすい嫌味にゼクスは面白そうに笑みを深くしながら答えた。
この程度の嫌味など、ゼクスにとっては日常茶飯事であり、躱すことなど造作もないことだった。




