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「リアーヌ様がとても素直な方で、こちらまで肩の力が抜けて、今日のお食事はとても楽しかったわ?」
この言葉は夫人の本心だった。
貴族の社交界は国を変えても似たようなもので、腹の探り合い足の引っ張り合いを繰り広げるものだった。
そんなことをして神経をすり減らすよりは、細心の注意を払って準備した料理を「美味しい美味しい」とたくさん食べてくれるリアーヌを眺めているほうが気が楽だった。
――情報交換、情報収集といった面から見るならば、なんの収穫も得られなかったのだったが。
「……私も楽しかったです」
控えめにリアーヌが答えると、ゼクスの口からため息じみた吐息が漏れて、その肩をビクリと震わせる。
(役立たずでごめんよ……)
「あらそんなに責めないで差し上げて? 私リアーヌ様には次もたくさん食べていただきたいわ? ――リアーヌ様が喋れなくなってしまうほど美味しいちらし寿司を用意するからね?」
「――美味しいちらし寿司……」
夫人の言葉にリアーヌはゴクリと自然に溢れてきた唾を飲み込んだ。
「……リアーヌ?」
「ぁっ! いやその……す、少しで……はい……」
笑顔のゼクスに圧をかけられ、身体を小さくするリアーヌ。
その背後ではアンナたちの瞳が不愉快そうに細められたが、リアーヌの態度が態度だっただけに、それ以上行動に出ることはないようだったが。
そんな中、ゼクスを嗜めたのはタカツカサ伯爵だった。
「男爵、あんまり婚約者をいじめてはいけないよ?」
「そうね、こんなに可愛らしい方の笑顔を奪ってはいけないわ?」
夫妻からの言葉に、ゼクスは少し迷うようなそぶりで「あー……」と言葉を濁したあと、肩をすくめながら口を開いた。
「では……お言葉に甘えて、次回も心ゆくまで名門タカツカサ伯爵家の料理を堪能させていただきます」
「楽しみだわ! 次もとびきり美味しいお米を送ってもらいますからね⁉︎」
「嬉しいです……!」
リアーヌは反射的にそう答えながらも、すぐに不安そうにゼクスに小声でたずねる。
「……え、本当に食べてもいい……?」
「――次は事前にある程度食べてからお邪魔するから……」
(……たらふく食わせてから食事会に臨めってことですね、分かります……――そう言えば成長期真っ盛りの時、外食行く前は必ず、コンビニでおにぎり食べてからだったような……)
本来ならば、このような場所で、ヒソヒソと会話することは褒められた行為ではないのだが……――今回は、その会話内容が丸聞こえだったため、その無作法に眉をひそめる者はいなかった。
「――じゃあ次は……食後のデザートにとびきりのものを準備させようかしら?」
二人の会話が聞こえていた夫人はイタズラっぽくそう微笑む。
「――ぜひとも堪能させていただきます!」
「リアーヌ……?」
「あっ……――その、次こそは奥様とのお話も楽しみながら、美味しく堪能できればと……」
「あははっ やっぱりリアーヌ様は大物でいらっしゃる!」
リアーヌからデザートを諦める気配を全く感じなかった伯爵は、思わず吹き出しながらリアーヌを褒めそやす。
「あら、レディに大物だなんて……――リアーヌ様は天真爛漫なのよね?」
「――天真爛漫のほうでいければと……」
「これは失礼。 そうだね、実に天真爛漫でいらっしゃる」
女性陣の会話に、伯爵はクスクスと笑いながら同意した。
「それにお肌もプルプルで……若いっていいわねぇー……」
今日の食事会のためにピカピカに磨かれたリアーヌの肌を見つめ、夫人は簡単のため息を漏らした。
(――分かるぅ。 自分で見ても今日の私のお肌ってばツルスベふわふわだもの……)
「きっとそれは若さのおかげではなく、うちの使用人と『スパ』のおかげだと思います」
ゼクスが運営するスパ施設がもうすぐオープンを迎えるということで、リアーヌはこの夏、その宣伝に余念が無かった。
どこに行くにも好きあらばその話を差し込みスパ施設の宣伝を行なっていた結果なのか、その言葉は思いの外するりとリアーヌ口から飛び出していた。
「――スパ……?」
ことさら優しく甘い声色で夫人が首を傾げる。
(……あれ? なんだろう今この人の目、ギラって……? 気のせい?)
「あらいやだ! 私としたことが男爵にお茶もお出ししないで! ――どうぞお座りになって?」
「……えっと?」
帰りの挨拶をするタイミングを窺っていたゼクスは、急な話の方向転換に困惑気味に答えを探しながら伯爵を見つめた。
「お茶の一杯くらいよろしいでしょう? ――ね、あなた?」
ゼクスの困惑を感じ取り自分の妻を宥めようとしていた伯爵だったが、美しい笑顔で呼びかけられた瞬間ピクリと身体を震わせ、ニコリとゼクスに向き直り口を開いた。
「――それもそうだ。 これでお別れというのも忍びない……どうぞ? うちはお茶も絶品だよ?」
「……では、遠慮なく?」
笑顔の夫妻に、ゼクスは困ったように小さく肩をすくめながらリアーヌの隣に腰を下ろした。
(あ、これ気のせいじゃないね? なんかロックオンされてますよね……?)
リアーヌはキョドキョドと戸惑いながらも、ゼクスの隣でちょこりと座り直した。
「――それでスパというものはどんなものなのかしら?」
人数分のお茶が用意されると、夫人がにこやかに話を切り出した。
しかしその顔は捕食者のようにギラギラと輝いていて、リアーヌはヒクリと頬を引きつらせた。




