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「――ずっと気持ち悪りぃよりずっといいだろ? どのみち食いもんは腹に詰め込むしかねぇんだし……」
「それはそうなんだけど……」
ゼクスは迷うように背後を振り返り、目の前にある扉の向こうにいるリアーヌを想った。
「――リアーヌ少しだけ外に出てみない? 風に当たると気分が良くなる人も多いんだ」
ソファーの上、ぐったりしながらも思案顔を浮かべたリアーヌは、少しの時間をおいて首を縦に振った。
「……ゼクス様はなんで平気なんですか?」
ゼクスの手を借りながらソファーから立ち上がったリアーヌは、少しだけ不満げな顔をゼクスに向けながらたずねた。
ゼクスはリアーヌの腰に手を添え……――半分抱えるように腕を回しながら、リアーヌを甲板まで運びながら答える。
「んー? それこそ子供……まともに歩けないほど小さい時から船には乗ってたからなぁ……気がついた時には、船はでっかい遊び場だった」
「遊んでると酔わない……?」
「――慣れ、のほうかな?」
「ズルいぃ……」
「はいはい、ほら捕まってて?」
ゼクスはそう言うと、細い階段をリアーヌを抱き抱えながら登って行った。
「あれ? 坊見学ッスか?」
甲板の出入り口付近で作業をしていた船乗りの一人がゼクスに気がつき声をかける。
それを合図に多くの船乗りがそちらに視線を送る。
「見学も兼ねて風にあたろうと思ってね」
その言葉にチラリとリアーヌに視線を走らせる船員たち。
長年船に乗っている彼らはその顔色だけでリアーヌの状況を理解したようだった。
「ありゃ……ダメでしたかー」
「船初めてだったから……」
気を使うように言ったゼクスに対し、リアーヌは潮風を胸いっぱいに吸い込み、見渡す限りの海を見つめながら、少しだけスッキリしたような顔で答えた。
「部屋よりこっちの方が気持ちいいです」
その言葉を聴いていた船乗りたちは、嬉しそうに顔を綻ばせながら自分たちの作業に戻っていく。
潮風にあたり、気分が良くなる者は船酔いに慣れやすい――そんな昔から言われている言葉を思い出しながら。
ゼクスもまた、その言葉を思い出しながら(本当に早く慣れればいいんだけど……)と願うように思っていた。
そんなリアーヌたちに早足で近づいてくる男が一人。
会話は聞こえていたのか、苦笑いを浮かべながら被っていた帽子を軽く上げながらゼクスに合図を送るように挨拶をした。
「外のが良いならいくらだっていてくださっていいんですが……運がいいのか悪いのか……」
その言葉にゼクスが眉をひそめながらたずね返す。
「何があった?」
「残念ながら何も無いほうですわ。 凪――ほぼ無風です」
「あちゃー……」
ゼクスは顔をしかめながら空を仰ぎ見る。
「……風がないのは問題なんですか?」
そんなゼクスに、リアーヌは不安そうに首を傾げる。
「うーん……風が無い時は船の揺れも少なくなる」
「――ステキ」
「……でも船で海だ。 全く揺れないなんてことはないし……――風が無きゃ船旅は長くなる一方だ」
「――あちゃぁ……」
ゼクスの説明で事態を理解したリアーヌは、同じように顔をしかめながら呟いた。
「……どのぐらい伸びそう?」
「航海士の話じゃ明日も今日と同じような天気になるって話なんで……三日は伸びるかと……」
男の答えにリアーヌは「えええ……」と情けない声をあげ、ゼクスは労るようにポンポンと背中を叩いた。
「今回、風持ちってどのぐらいいたっけ?」
「俺入れて六人ですが……一日中は無理ですよ。 だったらオールで漕いだほうがまだ進む」
「……尽きちゃうのはマズいかぁ……」
「……マズいんですか?」
リアーヌは、風魔法で船を進めようという話だけは理解出来たものの、それで力を使い果たすことになんのデメリットがあるのか理解出来ずに首を傾げた。
「マズいねぇ……――いくら大きい船だからって自然には勝てないし、自然なんか完璧に読み切れるものじゃない。 風持ちが全員力を使い切った後に、突然嵐に見舞われたり、突風に襲われるかもしれない――そしたらこの船はバランスを崩して倒れるかも――倒れないにしても積荷がメチャクチャになったら大損だ」
「あー……でも明日まで無風だって……?」
「海の上で天候を予測するのは難しいんだ。 なにしろ自分たちも移動し続けるからね」
「あー……場所が変われば……?」
「そう。 今みたいにほぼ無風ならほとんど動いていないから明日の天気までだって予測できるけど、これで移動を始めたら変わって当たり前なんだよ」
「難しいですねぇ……」
そう言って眉を寄せたリアーヌだったが、ゼクスはそんなリアーヌを見ていて気がついたことがあった。
(ーーずいぶんと船酔いが改善されてる……? そういえば最初の頃もなんともなかったな……――なにか別のものに注意が向いていれば、酔わない……のか?)
そう考えたゼクスは、さらに少し思案したあと、リアーヌに向かって口を開いた。
「――リアーヌちょっと力使ってみる?」
「……今使うってことは……?」
「風魔法」
「……良いんですか?」
リアーヌはチラリと男に視線を向けながら曖昧に首を傾げる。
それは「人前でその話をしても構わないんですか?」という意味だったのだが、それを正しく理解したゼクスは困惑したような顔をリアーヌに向けた。




