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「払えると払うは違うし!」
「だな。 触らなきゃ汚れないんだから、触らなきゃいいだけの話だ。 そんな無駄な金は払わなくていい」
「次の子爵様はしっかりしてんなぁ……? こりゃ将来は安泰だ」
そう言いながら店主がケラケラと笑っていると、裏口のドアがガチャリと開いた。
「おー? お嬢バイトかぁ?」
「……ヨッヘムさんだ。 こんにちはー」
「こんちわ」
「おー! 坊もか! 久しぶりだなぁ?」
裏口からひょっこりと顔を出していたのはボスハウト家お抱えの雑貨屋の店主、ヨッヘム・アルホフだった。
陽気に笑い、片手を挙げながら店に入ってくる。
「なんだよ? またサボりか?」
ニヤニヤとからかうように笑いながら、手を上げ返す店主。
「ちげぇわ! 配達だ。 ほらよ。 ――頼まれてたモンわざわざ持ってきてやったってのによー、その言い草はキズつくぜ……」
店主に紙袋を手渡したヨッヘムは、大袈裟な仕草で嘆いて見せる。
「へーへーありがとよ。 ……で? この後どこいくんだよ?」
「……まぁ、そこら辺で一杯?」
(サボりじゃねぇか……――ってか昼からお酒とか――人生楽しそう……)
リアーヌはザームと視線を交わし合いながら小さく肩をすくめて見せる。
それにふふ……と笑い返すザーム。
この辺りの住人、特に店をやっている者たちは仲間意識が強くとても仲が良い。
こんなやりとりは子供の頃から幾度となく見てきた光景だった。
「良いご身分だねぇ?」
「こうも毎日暑いと涼みたくもなるだろー?」
「……それはそうなんだがな?」
「――どうだ、お前もいくか?」
ヨッヘムの言葉に店主の目が迷うように左右に揺れる。
そして少しの葛藤ののち、ザームに向けて口を開いた。
「坊、あそこの荷物……配達頼めるか?」
「――その分はずめよ?」
ニヤリと笑いながら答えたザームに、店主はニヤリと笑いながらパシリと自分の太ももを叩いた。
「よし決まりだ! おいちょっくら待っとけ。 二人のバイト代持ってくっから」
ヨッヘムにそう言いながら店の方に向かった店主の背中に、からかうようなリアーヌとザームの声がかけられる。
「昼間から飲む気だー」
「大人ってずりー」
すぐに戻ってきた店主はバイト代が入った布袋を渡しながら、先ほどの言葉に返事を返す。
「庶民の俺たちは避暑地になんか行けねぇから、その辺の店で涼むのが精一杯の贅沢なんだよ」
「別に避暑地ってわけじゃ……」
「そう、だよ……?」
バイト代を受け取りながら気まずそうに言葉を濁す姉弟。
名目上、避暑地への旅行などでは無かったのだが、一般的に船旅は避暑旅行であり、ザームたちが向かうネルリンガ領もこの国では有名な避暑地の一つであった。
「おー? 坊も旅行行くのか? 良いねぇー」
「……まぁ、行くけど」
ヨッヘムの質問に、鼻をかきながら気まずそうに答えるザーム。
家族であればこれが照れ隠しだということを見抜いたかもしれないが、ヨッヘムは気がつかず、首を傾げながら質問を重ねた。
「なんだ乗り気じゃねぇのか? どこ行くんだよ?」
「……――ネルリンガ領」
「ネルリンガって、確か坊の……」
キョトンとした表情でそこまで言ったヨッヘムは次第にニヤニヤと人の悪い笑顔を浮かべ始める。
ようやくザームの態度が照れ隠しだということに気がついたようだ。
「――上手いことやってこいよ?」
「……別にそんなんじゃねぇし」
「なに言ってんだ。 しっかり捕まえておかねぇと、どこぞの男に掻っ攫われちまうぞ?」
「ちゃんと! ――その、捕まえてるし……」
咄嗟に言い返そうとしたザームだったが、すぐそばに姉の存在気がついたのか、ゴニョゴニョと言葉を濁しながら答えた。
「ひゃひゃひゃ 甘酸っぱいねぇ? あー良いよなぁ? 一番楽しい時じゃねぇかよー」
クネクネと身体を揺すりながら、楽しそうにしているヨッヘムだったが、弟から少しの不機嫌さを感じ取り始めた姉は、話題を変えようと口を開いた。
「ヨッヘムさんトコは今でもラブラブでしょ?」
「――まぁなぁ? うちのかぁちゃんが一番の美人だから、それはしゃーねぇ!」
リアーヌの思惑通り、ヨッヘムは自慢するように自分の妻を褒めそやし始める。
この夫婦は、ヨッヘムの猛アタックによって成立した夫婦で、ヨッヘムは今でも妻にベタ惚れ状態であることは有名な話だった。
「――その女房ほっぽって昼間から飲み屋とはなぁ?」
「それとこれとは別の話しだろうが……――大体お前も同罪だろー?」
「そ、れは……――うちは今バタバタしてっから、俺は外で飯済ましたほうが良いんだよ!」
店主は頭を捻り、どうにかそれらしい理由を見つけたようだった。
「――冷てぇ酒もついてくるしなぁ?」
「……それはデケェ」
しかし、誰もその言葉を信じていないと理解すると、ヨッヘムの言葉を素直に認め、二人は顔を見合わせてケラケラと笑い出した。
「――職人ら倒れちまったって?」
「おん。 意識はハッキリしてんだが、それでも起きて動き回るのはまだ無理だからなぁ……一人もんも多い。 飯持っていってやったり、具合見に行ったりな?」
「――夏は気ぃ付けねぇとなぁ……?」
しみじみと呟いたヨッヘムの言葉に店主だけではなく、リアーヌたちも神妙な顔つきで大きく頷いた。




