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「出来ればリアーヌの旅行と同じタイミングにしたい。 日程の調整は出来そうか?」
「もちろんでございます」
「頼む」
その言葉に、一斉に「はっ!」と答えた使用人たちは、ヴァルムと数名のメイドだけを残して部屋を出ていった。
――思ってもいなかった急な予定変更にボスハウト家の使用人たちは、目をギラギラと輝かせながら対応に当たる。
主人たちからの無理難題、無茶振りに答えてこその使用人――
自分たちの実力を主人たちに存分に披露できる数少ないチャンスが巡ってきたも同然――と、ボスハウト家の使用人たちはやる気に満ち溢れていたのだった――
「――今の様になってたよな?」
使用人たちがテキパキと部屋を出ていくのを眺めていたサージュはリエンヌのほうに身体を傾けながらコソコソと話し始める。
「なってたなってた! 私も大奥様っぽかったわよね⁉︎」
それに答えるリエンヌも声をひそめながら、はしゃぐように答える。
「どっからどうみたって貴族の奥様だったぞ!」
「あなたも貴族だったわ!」
少しだけ声が大きくなってきた二人に対し、ヴァルムはたしなめるように小さく咳払いをする。
――すると、ビクリッと身体を震わせた家族全員が、シャキッと背筋を伸ばして見せた。
条件反射のように背筋を伸ばしたリアーヌたち姉弟に、部屋に残った数少ないメイドたちは、困ったように口元を隠すのだった――
◇
「いやーお嬢、助かった! ありがとうな?」
「ギリギリセーフだったね。 今日は明日のために身体を休める日だったから、予定もなかったし」
「本当に恩に着る……」
「あはは。 おっちゃんとこはうちのお抱えでしょ? 助けますってぇー」
リアーヌのアウレラ出発を翌日に控えた日――
予備日としていたその日に、ボスハウト家お抱えの食器店の店主が屋敷に駆け込んできた。
店主の話は、急ぎ仕上げて欲しいと、割増料金で請け負った仕事の絵付け職人たちが集団食中毒にかかってしまい、このままでは違約金が発生してしまう! とのことだった。
そこでリアーヌたち姉弟が、自由に使えるこずかい欲しさと息抜きも兼ねて、二人仲良くバイトにやってきた。
――身体強化持ちのザームは、どこの店でも荷運び要因として重宝される。
(……職人さんたちがまとめて食中毒ってことは、やる気出してもらうために料理かなんか振る舞ったんだろうなぁ……――夏場は気をつけなきゃあかんて……)
「――不幸中の幸いってやつだなー」
出された菓子を口に放り込みながらザームが肩をすくめる。
「お⁉︎ 坊頭良さそうなこと言うじゃねぇか! やっぱり学院に通うともなると変わるもんだねぇ?」
ボスハウト家にやってきた頃からの知り合いのこの店主は、親戚のような眼差しをザームに向けながら言う。
「――普通に通うだけじゃダメだ。 ……ヴァルムさんがいねぇと」
「……そりゃ出来も良くなりそうだ」
「すげー良くなる……――本当良くなる……」
遠い目をしながら答えたザームに、少しだけ同情的な表情を浮かべた店主は「頑張ったんだな……?」としみじみ答えた。
その言葉に大きく頷くリアーヌ。
(……正直、ザームは私なんかよりずっと頑張ってると思う。 だって私はある程度の勉強を終わらせてからのやり直し、試験だって受験だって経験済み――そしてなにより、ここでサボったら将来苦労する! ってことを知識として知ってる。 ――でもザームは違う。 ある程度の年齢まで、必要最低限の勉強しかしてこなかったのに、将来は子爵家の当主様だ……もちろんみんな助けてくれるんだろうけどーーその助けにだって限界がある。 だから今必死に知識を身につけさせている……――そうしなきゃ辛い思いをするのはザームだとみんな知ってるから……――それに四苦八苦しながらも必死に答えようとしてる私の弟は、本気でめちゃくちゃスゴいの!)
「本当頑張ったよねぇ……?」
しみじみと呟いたリアーヌに、ザームは唇を尖らせながらガリガリと菓子を噛み砕いた。
「……姉ちゃんはもっとすげぇじゃん」
「いや、私はほら……小さい頃から本はたくさん見てたし!」
リアーヌはここ数年で幾度となく使ってきた、それらしい答えを弟相手に披露する。
「あー……だよなぁ? 写本が欲しいなんて、バカ高ぇ学術書とかになるもんなぁ?」
姉弟の会話を聞いていた店主が大きく頷きながら相槌を打った。
その言葉に頷きながらリアーヌは説明を続ける。
「今は見ただけで1ページごとササっとコピー出来るけど、初めの頃は一文字づつとか、一行ずつだったでしょ? だから結構覚えてることもあったんだよねー」
(――これはちょっとだけ本当。 ……本当に一文字づつとか一行ずつコピーしてはいたんだけど……読書してるような感覚ではなかった……むしろあの時は文字が模様かなにかのように見えてた……)
「――そっか。 それで姉ちゃんは元から頭いいのか……」
「全然読んでない子よりは、ちょっとだけね?」
「……俺も一緒に読んどけば良かった」
「――高い本には触っちゃいけません」
「……さすがにもう大丈夫だろ?」
「えー? 絶対デザート抜きにされるよ?」
「――それはダメだ」
「でしょ?」
「……いや、流石に本の一冊ぐらい払えるだろ……?」
神妙な顔つきで頷き合う姉弟に、肩をすくめながら店主が言う。




