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ゲンナリと言い放ったリアーヌの言葉にゼクスはクツクツと笑いながら大きく頷く。
「俺もそう思う。 ……本当、なるもんじゃないよ、堅っ苦しいことばっかだもん」
「……毎日毎日覚えることばっかりで」
「マナーや立ち振る舞いなんて、六〇点キープぐらいでいいよね?」
「ですっ! どの先生も最後には「お相手を不愉快にさせなければ正解ですからね」とか付け加えるのに、全然正解にしてくれないんです!」
「分かるー。 それなりに出来てる人の粗探して、あてこするとか、絶対そいつが一番のマナー違反じゃん?」
「ですです! 人のことジロジロ見るのもマナー違反なのに、自分のことは棚に上げて本当に性格悪いっ!」
レジアンナやクラリーチェとも親交のあるリアーヌにそんな態度を取る者は居なかったが、授業といえども教師の目が届かないようなところでは、そんな態度をとっている生徒の姿を見ることは決して少なくないことだった。
ぎゅうっと顔に力を込め、シワを寄せているリアーヌの様子にゼクスはふふふっと肩を震わせながら「そうだよね?」と同意して見せる。
「――なんでそんなに笑うんですか……?」
「……だって、リアーヌ今――ものすごいシワ作ってたよ?」
「――そ、れは……記憶から削除していただいて……」
リアーヌは
前髪をいじりながら恥ずかしそうにモゴモゴ呟く。
そんなリアーヌにニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべたゼクスは、わざととぼけたような口調で答えた。
「……えー? どうしよっかなー? バッチリ見ちゃったしなぁー?」
「――今のゼクス様も性格悪いですよ! マナー違反です!」
「いやいやでもはっきり見ちゃったからー……」
「イジワル良くないです!」
そう言いながら不本意そうに唇を尖らせるリアーヌの姿に、ゼクスはクスリと笑みを漏らした。
そしてなにかを企んでいるかのような声で話しかけた。
「じゃあ……こういうのはどう?」
「……なんですか?」
ゼクスを警戒しながらなにを言われるのかと身構えているリアーヌ。
ゼクスは「あのね……?」と声をひそめながらリアーヌに顔を寄せ、リアーヌがちゃんと聞き取ろうと耳を傾けた瞬間――
チュッ。
と小さなリップ音が聞こえ、リアーヌはその頬になにか柔らかいものが触れた感触を覚えた。
「――これで忘れてあげる」
そう言いながらパチリとウインクを披露するゼクスにリアーヌはハクハクと口を開閉させながらその頬を真っ赤に染め上げていった。
「うぁ……な……ぇ?」
「よく言うだろ? 口止め料って」
そう言いながら色っぽい流し目まで披露し始めたゼクスにリアーヌの心臓は、これ以上ないほどに早く大きく暴れ回った。
「ほぁ……⁉︎」
「――あ、でも一回じゃ少ないかなぁ……?」
そんなゼクスの発言にリアーヌは抗議するように大きく目を見開く。
しかしその瞳がとらえたゼクスの瞳は赤く輝いていて――
「ちょ……なん、いま⁉︎」
途切れ途切れに抗議の声を上げているリアーヌにズイッと身体を密着させたゼクスが、その耳元で囁いた。
「――ね? もっかいしよ……?」
(だから! 色気を引っ込めろお色気担当っ!)
リアーヌが声にならない悲鳴を上げていると、再びその耳にゼクスのクスクスと笑う声が聞こえ、リアーヌは動きを止めた。
「……リアーヌ、目閉じて?」
「ちょ……」
「黙って……」
「ぁ……」
ゼクスの赤い瞳がリアーヌに段々と近づいていき、それから逃れるように瞳を閉じるリアーヌ。
――そして二人の間の距離がもう間もなく無くなる、その瞬間――
ガチャリ。
と、音がして馬車のドアが開け放たれた。
「――おかえりなさいませお嬢様」
そう声をかけたのはヴァルムで……
「――ひょわあぁぁぁっ⁉︎」
リアーヌはそんな奇声と共に、ゼクスの身体を全力で突き飛ばしていた。
「ゥグッ⁉︎」
いきなり突き飛ばされ、馬車の反対側の壁に叩きつけられるゼクス。
「――あ、ごめんなさ……」
ゼクスの呻き声に、自分の行動を自覚したのか、オロオロとゼクスに手を伸ばすリアーヌだったが、そんなリアーヌの手を掴みながらヴァルムが誇らしそうに口を開く。
「――お見事にございます、お嬢様。 さ、お早くこちらに……」
「ぇや、でも……」
そんなヴァルムと向かい側の座席の上でうめいているゼクスを交互に見つめながら、リアーヌは戸惑いの声をあげる。
「……遠回りさせるべきだったな」
そんな苦々しいゼクスの声が聞こえてきて、ヴァルムは不愉快そうに眉を顰め、リアーヌは(あ、意外に元気そう……)と安堵の表情を浮かべた。
「――次回からは当家の馬車にてお送り頂きますよう」
ヴァルムは、そう冷たい視線でゼクスに言いながら、リアーヌを手を優しく引いた。
「いやいや、婚約者のエスコートをそちらの馬車でするのは……」
ようやく痛みが引いたのか、ゼクスは笑顔を浮かべながら衣服の乱れを治し始める。
「――エスコート……? 男爵のそれは私の認識とは大きく異なるようですが……?」
ヴァルムはそう答えながらリアーヌを安心させるように優しい笑顔を向ける。
「……普通、もう少しくらい待ってくれたって……」
「――なにか?」
「いいえ、なんでも?」
そう答えながらゼクスは馬車を降りようとしているリアーヌの腕を引いて、自分が先に出ようとした。
――しかし外にいたヴァルムが、文字通り目の前に立ち塞がりそれを阻止する。




