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人気の少ない騎士科の練習場近くの廊下とはいえ、人の目や耳が全くないわけではなく、そんな公の場所で、こんな大声でこんなにも分かりやすく暴言を向けられると思っていなかったリアーヌは付け直したはずの仮面を再び取りこぼし、ご令嬢らしからぬ声をあげていた。
(いやこれは失礼どころの騒ぎじゃなく……バカにされてますわぁ……――そうなると私も引けないわけだけど……)
リアーヌはげんなりしながらも気合を入れ直し、ベッティにキツい視線を向けながら口を開いた。
「ゼクス様はれっきとした男爵家の御当主です。 私などがその行動を制限できるはずはありません」
「――でもあなたは……!」
リアーヌの言葉にベッティがなおも噛みつこうと口を開いた時だった。
ひっそりと後ろで控えていたカチヤたちが、リアーヌを庇うようにベッティの前に体を滑り込ませながら口を開いた。
「お嬢様そろそろ……」
通常、このように使用人たちが主人の許可なく勝手に会話に割り込むなど、許されない行為だったが、ベッティとのやり取りに少しげんなりしていたリアーヌはこれ幸いと、カチヤたちの助けを借りることにした。
(下手に対応して「今いいって言いました⁉︎」とか言われたって困るし……――というか……やっぱりこの子は主人公のお助けキャラなんだなぁ……完全に私が悪役令嬢として扱われておる……)
リアーヌは内心で大きく肩を落としていたが、それを態度に出すことはなくカチヤの言葉におっとりと頷き返した。
そしてベッティに向い、にこやかな笑顔を浮かべながら片手でスカートを軽くつまみ、腰を下げて礼の姿勢をとる。
「――楽しい時間ではありましたが、私そろそろいかなくてはいけませんの……ごめんなさいね?」
そう言いながらリアーヌはベッティの返事を待たずに一方的に会話を終わらせると、あからさまにベッティから距離をとるように通り過ぎてながら、控え室に向かって歩き始めた。
「――権力を使って無理やり婚約したってそんなの本当の愛じゃないっ!」
「えええ……?」
背中にかけられたベッティの言葉にリアーヌは足を止めそうになるが、そっと背中に寄り添ってくれたカチヤたちに促され、そのまま歩き続ける。
(婚約に関しては私が被害者ですが……?)
「お相手にしませんよう……」
「えっと……――#一般的……私たちの事情を知らない人たちの間ではあれは普通の認識ですか……?」
ピタリと寄り添い、その背中を支えるように歩いているコリアンナに、リアーヌは声をひそめながらたずねた。
貴族の平凡な娘と商人の見目麗しい男がが婚約をしたならば、勝手にそう思われてしまうこともあるのだろうか……? と疑っていた。
「……当家ではそのようなウワサの存在すら認識しておりません」
「……あの小娘がどなたからの情報でああいう物言いをしているかまでは分かりませんが、男爵様がお嬢様との婚約を条件に叙爵を受けたのは有名な話……――それこそ王都から離れた田舎の子供たちですら知っている話ですわ」
「火のないところに煙を立てようとする、根も葉もない戯言にほかなりませんっ」
リアーヌの疑問にコリアンナとカチヤは交互に答え、最後には二人揃って大きく鼻を鳴らして見せた。
それはリアーヌの代わりに分かりやすく憤って見せ、その心を少しでも軽くしようとする彼女たちの気づかいだったのだが……その結果、リアーヌはさらに眉をひそめることになった。
(――つまり……あの子にその情報を渡したのはユリア……?)
顔をしかめ黙り込んでしまったリアーヌをどう思ったのか、カチヤたちはリアーヌの気分を軽くしようと言葉を重ねていく。
「ああいう輩は、こちらが幾度言葉を重ねようとも自分にとって都合のいいことしか信じようとしません」
「あれの対応は私たちが……――もちろん相応の対応は致しますので、もう二度とお嬢様を煩わせることなどありませんとも!」
「……ですか、ね?」
二人の言葉にリアーヌは曖昧に笑いながら首を傾げた。
(じゃあ、あの子はユリアのためにあんなこと言ってきたのか……それで完全シャットアウトはちょっと気の毒な気もするけど……――これでなんの対応も取らないの、なんだかとっても嫌な感じがするから、是非ともカチヤさんたちには頑張って欲しい……――ってか……そうか。 やっぱり私は悪役令嬢側であの子は敵なのかなぁ……)
リアーヌはゲームの中での一番の友達に敵視され、決して少なくはない心の痛みを感じていた。
そして、自分自身がそんなベッティに対して強い拒否感を感じていることに、驚いていた。
「――何かございましたか?」
リアーヌが俯き沈み込んでいると、いつのまにかオリバーが目の前に立っていた。
そのことに驚きチラリと周りを見渡すと、いつのまにかザームたちの待つ部屋の前まで来ていたことにようやく気がついた。
「あー……」
リアーヌが答えに困っていると、オリバーはカチヤたちに視線を流し、その視線を受けカチヤたちは控えめに目を伏せながら簡単に報告していく。
「お嬢様に絡む輩が……」
「――なるほど?」
「フォルステルに取り巻くレーレンの娘です。 ……ずいぶんと毒されておりました」
(敬称一切無しの激オコー……)
誰が聞いているか分からないような廊下でのこの物言いは、完全にボスハウト家がフォルステル家やその周辺を敵と見ないているという宣言にほかならなかった。




