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「――ずいぶん安く見られたものですね……?」
しかしながら、その程度でこの一件を水に流す気などさらさら無かった。
侍女も付けずに婚約者を密室に閉じ込めておいて、ギフトの一つや二つコピーさせたからなんだというのか。
――そして、リアーヌに対するこの攻撃は、ゼクス本人としてだけでなくラッフィナート商会の跡継ぎとしても見過ごすことはできないものだった。
下手をすればラッフィナート商会の未来が、その足がかりごと完全消滅するところだった。
この婚約を、2人の婚姻を絶対条件として動いている以上、それらをふいにするようなヤツらを、いくらすぐに非を認めていようとも、この場で簡単に決められるような条件ごときで許せるはずが無かった。
「――ならばシールドもつけよう」
「……あなたにしてはやけに譲りますね……?」
この言葉はフィリップとゼクスのこれまでの関係性だけを示唆するものではなかった。
例えゼクスが婚約者とはいえ、この場でボスハウト家がフィリップを許す条件など提示出来るわけがない。
――つまりこのやりとりは、婚約者を奪われそうになったラッフィナート男爵家への詫び――ケジメのようなものだけの話しであり、であるならば、ゼクスはフィリップがラッフィナート商会相手ではなく、ゼクス個人に対して、なんの躊躇もなくここまで譲歩して見せるフィリップの態度が、どうにも理解できなかった。
「……信じてもらえるかは分からないが、我々はリアーヌ嬢と敵対するつもりは無かったんだ。 むしろ良好な関係でありたいとさえ願っている」
「……うっそだぁ」
真っ先に反応したのはリアーヌだった。
盛大に顔をしかめながら不信感たっぷりの視線をフィリップに向けている。
――しかし、フィリップのこの言葉はある意味ではウソではなかった。
……そう思い始めたのが今というだけで、フィリップたちは現在、本心からリアーヌとの関係修復を願っていた。
たとえそれが自分勝手な言い分であっても、言葉自体はウソではなかった。
「……本人が疑ってますけど?」
「仕方がないと思っている。 我々は……決して紳士的とは言えないことをしてしまった自覚があるからね」
「――へぇ?」
フィリップたちがなにかを仕掛けてくる気なのかと勘ぐり、ゼクスは警戒を深めながら曖昧な返事を返す。
「けれど本心から、リアーヌ嬢とはこれからも敵対するつもりはないんだ……レジアンナのこともある……――個人的には私もレオンも恩があると自覚している……――まぁ、あくまでも個人として、なんだけれど……」
フィリップの「恩がある」という言葉に、リアーヌはピクリと反応する。
言質を取られまいとしたフィリップは、咄嗟にあくまでも個人の話だと念を押したが、リアーヌの疑問を感じたのはそこでは無かった。
(フィリップの恩は分かる。 きっとレジアンナの心情を暴露したことだと思う。 ……レオンの恩ってなに? 会話の流れからいったて、絶対に私がなにか言ったかやったことに対しての恩だと思うけど……)
戸惑うように首を傾けたリアーヌに、ゼクスその考えをすぐに理解して、助け舟を出すようにフィリップに話しかけた。
「恩……そういえばこの学園に入学してからのレオン様とクラリーチェ様はずいぶんと仲睦まじく……とても政略結婚とは思えないほどですね? ――ウワサでは……少し前から流行りだした、スクラップブックのおかげらしいって話も聞いたんですが、それが事実だった、ということでしょうか?」
フィリップに問いかけてはいるが、リアーヌに聞かせるためだけの言葉。
「その話は私も聞いているよ」というフィリップからの肯定の言葉を聴きながら、リアーヌは、(ああ……あの流行きっかけで仲良くなったんだ)と、納得していた。
が、続けられたゼクスの言葉にリアーヌの瞳は、パチクリと丸くなる。
「だってさ、良かったねリアーヌ? あの時、エミーリエ嬢の相談に親身になって答えたからこそ、だね?」
「……エミーリエ様?」
クラリーチェと行動を共にしている女生徒の名前を急に出されて、目を瞬かせるリアーヌに、ゼクスはクスクスと笑いながらネタバラシのように事情を説明していく。
「ほら、レジアンナ嬢やお友達を招いたお茶会でどなた様かの相談に乗ってあげた、って言ってただろ?」
(……それがスクラップブックの話しで――どなた様か……? そうだ確か、エミーリエ様の話だと思ってたら違う人の話で……――エミーリエ様はずっとクラリーチェ様の側にいる人で……――レオンの恩……?)
「良かったねぇ?」
「……そう、ですね?」
ニコニコと笑いかけてくるゼクスに曖昧に頷きながら、リアーヌは自分の頬が引きつっていくのを抑えることができなかった。
(――私またシナリオ破壊してますが⁉︎ ……でも無自覚だったし? もうやっちゃってるし⁇ わざとじゃないんだからしょうがないっていうか……――別に法律に違反もしてなければ人の道に反することもしていないわけで……――これ、ユリアの中身が成り代わり系主人公で、このことがバレたら……私、もしかして刺されたりするんじゃないかな……)
そこまで考えを巡らせたリアーヌは、少しの後悔と共に大きなため息を吐き出した。
それをどう取ったのか、ゼクスはニヤリと顔を歪めると、大袈裟に眉を下げ気の毒そうにリアーヌに話しかける。
「……ああ、そうだよねぇ? あんなに一生懸命考えたのに、その相手がそんな仕打ちしてきたんだもんねぇ⁇」
リアーヌの思考は、ほとんど理解していないゼクスだったが、ガッカリしているかのようなその態度を大いに利用してフィリップを口撃していく。
――今回の一件は、お互いにとってどうあろうとも表沙汰には出来ない事実だった。
であるならば、些細な事実でも当てこすって、少しでも溜飲を下げておきたいようだ。




