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「おや、早かったね?」
フィリップは思いの外サロンに早く帰ってきたイザークに向かって、意外そうに言った。
「ご報告が」
イザークはそう言うと、フィリップに向かいスッと頭をさげる。
その仕草でおおよその事態を理解したフィリップはスッと目を細め支配者の顔付きになると、それまでよりも一段低い声で短く命じた。
「――続けろ」
その言葉に同意するようにさらに頭をさげるイザーク。
報告のために身体を起こすと、胸ポケットからハンカチに包まれた“なにか”をフィリップに向かい差し出しながら、ハラリ……とその包みをめくりながら口を開いた。
「リアーヌ嬢がこちらを」
その包みの中に小さな氷のかけら程度のものを見たフィリップ、そしてそれを見ていたパトリックやラルフも、その事実に言葉を失い目を見開く。
「これは――……つまり見事に隠されてしまった……と?」
それが氷であることを理解したフィリップ
は眉間に皺を刻むと、不愉快そうに言った。
「……こちらを出す直前まで、リアーヌ嬢に自覚は無かったように見えました。 ギフトが発動した際の言動は酷く混乱していて、その言葉にはなんのウソもありませんでした」
「……つまりなんらかのきっかけがあり、突然使えるようになったーーか?」
「私の耳にはそう聞こえました。」
“耳”と答えたイザークだったが、それはつまり「ギフトを使い確認したので間違いはない」という発言にほかならなかった。
「……どんな様子で使えるように?」
今度はパトリックがイザークに質問を投げかける。
「……ビアンカ嬢と冗談を言い合っている最中に「コピーが出来ればよかった。 そしたらその背中に氷を入れてやる」というような会話をしている最中でした」
イザークはパトリックにも軽く頭を下げて簡潔に答える。
先程のお茶会での様子とは違い、そこには明確な身分差があるように見えた。
イザークとラルフはどちらもベルグング家の養子である。
――より詳しくいうのならば、ベルグング家というもの自体が、パラディール公爵家が各地から集めてきたギフト持つ恵まれない子供たちを養育するための家だ。
公爵家としては幼い頃から教育し、よりよい人材に育て上げることができ、集められた子供たちにとっても貧しい生活から抜け出すきっかけとなり、時間を気にすることなく好きなだけ学べるという、互いに理のあるシステムになっていた。
――つまり、ラルフとイザークはベルグング男爵家の人間という肩書きを持ってはいるものの、フィリップやパトリックとの間には決して埋められない身分の差があったのだった。
「……ではその『願い』がきっかけで?」
「そこまでは……」
パトリックからの質問に、イザークは言葉を濁しながら「分からない」と首を振る。
「しかし……あの脳天気な虫も殺さないようなご令嬢が、氷を使うことを願うとは……」
そう言いながらフィリップは少々乱暴な仕草で用意されていた焼き菓子を口の中に放り込む。
「――お見せしたのが氷の花だったからでしょうか……?」
それまで静かに話を聞いていたラルフがオズオズと意見を口にした。
「ああ、見せたのは花だったか……自分でも――か?」
そう言いながらフィリップはイザークに「どうなんだ?」と視線で疑問を投げかけた。
「それは……」
イザークは少しの間、どう答えるべきか迷う。
直前の会話では「背中に氷を押し込んでやる!」と言った会話をしていたが、本気とウソの感情が入り混じったものでおそらくは冗談の類であることが理解できた。
そして、その前に話していた「かき氷食べ放題!」という言葉には何のウソも感じなかった――それはつまり(そちらの方こそが本心であったということなのではないか?)と、考えたからなのだが――
そして、その考えを答えるのを戸惑ってしまったのは、幼い頃から共に育った兄弟のようなラルフが目の前にいたからだ。
幼い頃より互いにギフトを磨きあってきたラルフ。 そんな彼にリアーヌのなんとも能天気な考えを聞いたらどんな反応を見せるのか、少しの不安と好奇心の間で揺れ動いていた。
イザークの視線をライルはどう受け取ったのか、真っ直ぐにイザークを見つめ返し、コクリと小さく頷きながら答える。
「僕のことは気にしないでくれ」
そのどこか場違いな真剣さに、イザークは思わず緩みそうになった口元を引き締めるように唇を噛みしめると、深呼吸をするように息を吐きながらゆっくり口を開いた。
(――どのみち、彼女に攻撃性はまったく感じられなかったからな……)
「――その能力があれば、かき氷が食べ放題だ、と……」
そのイザークの報告に、部屋の中から一切の音が消える。
窓の外で囀る小鳥の声がこんなにもはっきりと聞こえるのは初めてのことだった。
「――かき氷……?」
しばらく続いた沈黙を破ったのはライルだった。
ポカン……と口を開けたまま呆然としている。
そして、また少しの沈黙ののち「ぷっ……」と言う吹き出す音を皮切りに、クスクスという忍び笑いの音がどんどん大きくなっていく。
やがて最後にはハハハッというはっきりとした笑い声が、サロン内に響いていた。
「――なんとも……野心のない方だな」
「ふふっかき氷……――夏場は忙しくなりそうですね?」
フィリップが呆れたように首を横に振り、パトリックはクスクスと笑いながらライルを揶揄うように声をかけた。
「――ご入用の際はご遠慮なく。 ……その口いっぱいに放り込んで差し上げますー」
ライルはムッとしたように唇を尖らせながらそう答え、イザークはそんな二人のやりとりにクツクツと笑い声を漏らす。
その様子は、まるで本当の友人同士のやり取りのように見えた。
――どのような立場に生まれた者たちであっても、幼き頃より時間を共にすれば友となり、煩わしい周りの目がなければ、砕けた態度にもなるのだろう。




