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「あらフィリップ様。 申し訳ございませんが、今は予定が立て込んでおりますの……」
「……そうなのかい?」
「ええ。 ではまた後ほど」
「うん……」
どうあっても引く気がないと悟ったフィリップは大きく肩をすくめてレジアンナを見送ることにしたようだが、チラリと自分の家の護衛に視線を向けたので、その様子はしっかりと把握するつもりのようだ。
「――ビアンカ?」
「……メイドはついてくると思いますので……」
フィリップの側にいたパトリックがビアンカを止めるような声をかけ、ビアンカもそれに否定的な言葉で返したが――これはお互いにパフォーマンスのような会話だった。
パトリックはパトリックとして、フィリップの意向に沿うような言葉をかけ、ビアンカもビアンカでレジアンナを裏切るような言葉を口にはしない……
そんな、周りに聞かせるためだけの会話だった。
「リアーヌ……」
そして一番の最後尾をトボトボと歩いていくリアーヌに、困ったように眉を下げながら声をかけたのはゼクスだった。
今まで教室にいなかったにも関わらず、事情を把握しているのは護衛たちの耳打ちがあったからのようだ。
「止めていただけるのでしたら……!」
あまり乗り気ではなかったリアーヌは、キラキラと目を輝かせてゼクスを見つめる。
「――リアーヌ行きますわよ」
ゼクスが口を開くよりも早くビアンカが声をかける。
そしてゼクスはビアンカやレジアンナとリアーヌを見比べ、そっとリアーヌから視線を逸らしながら声をかけた。
「……気をつけて?」
「えぇー……」
ゼクスの言葉に不本意そうな声を上げたリアーヌだったが、再度ビアンカに「早くなさい?」声をかけられ、チラチラとゼクスを見つめながらもみんなの後に続いた。
(おかしい……私だけ止めてもらえないとか……)
それが面白くなくムッと唇を尖らせるように顔をしかめたリアーヌだったが、それでも友人たちと少しのズルい遊びに興じるというのは、ドキドキと心躍るものだったようですぐにその瞳はキラキラと輝き始める。
――そしてそれは生粋のお嬢様である友人たちも同じなようで……
クラリーチェを誘いに一学年の教室に着く頃には、みんながクスクスと楽しそうに笑い合い、感情の昂りを共有していた。
◇
(――おかしい……私のざっくりした予想では午後一の授業はおサボり申し上げて、バラ園でリフレッシュ! 清々しい気持ちで、二つ目の授業は普通に受ける! って感じだと思ってたのに……――みんなでキャッキャワイワイしてたら、午後の授業全てが終わっていたでゴザル……)
生粋のお嬢様方は、リアーヌが考えているよりもずっと、生粋のお嬢様方だった。
土いじりなど、したことはおろか間近で見たことすら数少ないお嬢様たち。
バラに寄ってきた蜂や蝶、かたつむりなど、様々な生き物のひとつひとつに悲鳴をあげ、しかしそれでも近くで見たい! と友人同士手を取り合い、身体を寄せ合いながらジリジリと近づいていく。
(どうして……。 結局、悲鳴を上げて離れるんだから元から近付かなきゃいいのに……)
態度には出さないように呆れるリアーヌだったが、バラ園での滞在時間が伸びた理由の一つにはリアーヌの言動も大きく関係していた――
リアーヌはちょっとしたそのイタズラ心から、興味深そうにバラの葉っぱにいたカタツムリをじっくりと観察しているビアンカに向かい「カタツムリは焼いて食べたら美味しいんだよ」と、ウソの情報をその耳元に囁いたのだ。
リアーヌとしては、その言葉を聞いたビアンカが顔をしかめるなり、目を丸くするなり、なんらかのリアクションが返ってくれば、そこで笑いながら「ウソー。 冗談だよー」と、ネタバラシするつもりだったのだが……
――なんとその言葉を聞いたビアンカは、大いに興味を示してしまい「後学の為……」と呟くと、そのカタツムリに手を伸ばしてしまったのだ。
これに目を丸くしたのはリアーヌのほうで、必死にビアンカを止めているメイドと共に「流石に生は無理かもよ⁉︎」などというトンチンカンな対応をして「加熱処理……」とビアンカが呟いだところでオリバーが「生の魚を食べたがるうちのお嬢様ですが、いくらなんでも虫やカタツムリは食べませんよ……」とネタバラシしたところ、リアーヌはビアンカ、そしてそのメイドにも思い切り睨みつけられた――
(……ちょっとからかっただけじゃん……――しかもその後は、みんな嬉々として「この花は食べられまして?」「その虫はどうやって食べるんですの?」とか聞いてきたから「あ、それは素揚げにして、そっちのはスープですね!」とか面白おかしく場を盛り上げていた自覚がありますよ? ……あれ? だからこんなに長引いてしまった……? ――けどさぁ……私は提案しただけで、実際「行く!」って言い張ったのはレジアンナ。 しかも大義名分としては最近塞ぎ込みがちなクラリーチェ様を楽しませたかったっていう、思い切り後付の理由があるわけでして……)
「――聞いているのですか、リアーヌ様!」
「はいっ申し訳ございませんっ!」
(……――どうして私がこの件の首謀者のような扱いで、お叱りを受けなければいけないのかと……)
リアーヌは背筋を伸ばし、少々乱れながらも及第点をもらえる程度のお辞儀を披露しながらキュッと唇を引き結ぶ。
――いついかなる時も顔をしかめてはいけない……この程度の作法ならばもはや完璧にこなせるようになっているようだった。




