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話し合いをするということで、人もまばらな廊下のベンチに移動した2人。
あらぬ疑いをかけられないよう、充分に距離をとって腰掛けた。
(――気分はソーシャルディスタンス。 ここってば異性同士が隣同士で座ってるだけで(あんなに体を密着させて!)って言われちゃう世界なんだぜ……)
にも関わらず、二人がこんな人気のない場所に来たのには理由があった。
通常の貴族たちは――特に貴族階級の女性たちは、労働で金銭を稼ぐという行為を“外聞が悪い”と考えていた。
その考えの根底には「自分の家は労働などしなくても、十分な財力がある!」というプライドやほかの家に対するアピールが根本にある。
そのため、家を守る役割である女性が労働をすることは、その家の財政が厳しいと世間に言って回るようなものだと考えられていた。
だからこそゼクスはリアーヌの外聞を慮って、人気のまばらなこの場所を選んだのだ。
(昨日帰って「就職が決まったかも⁉︎」って言ったら父さんたちは普通に喜んでくれたのに、ヴァルムさんたちは微妙そうな顔してた。 ――でも、正式に契約交わすときに“給料”じゃなくて、奉仕作業に対する“礼金”ってことにして貰えば問題ないって言われたから、多分就職自体は大丈夫! あ、お手伝いすることは大丈夫。 ……やること変わんないのに面倒くさいねー。 だけど私だってそろそろ貴族にとっての建前と外聞は超重要ってことぐらい理解できてるからね! 文句なんて言わないよっ)
「――うわ。 ゼクス様本気で太っ腹!」
「これお礼ねー」という声と共に渡された皮袋の中身を見たリアーヌは目を丸くしながら何度も、ゼクスと中身の金貨を交互に見つめながら驚愕の声を上げた。
「あはは。 ありがとー」
(渡されたとき、銀貨だと思い込んで(こんなもんか……)とか思ってごめんね⁉︎ まさかあの一回で金貨が5枚も出てくると思ってなかったからさ⁉︎ ……お金持ちって、すっごい)
「あ、それとこれ雇用契約書。 内容に不満がなければサインしてもらえる?」
「え、もう……ですか……?」
ゼクスが追加で差し出してきた書類の束に、リアーヌは少し困惑し眉をよせる。
「うん。 確かにちょっと早いんだけど……リアーヌ嬢、色んなトコから声かかってるでしょ? 素早い決断は商人の基本――ってね?」
冗談めかしてヘラヘラと笑うゼクスに釣られ、リアーヌも「あー……?」と、愛想笑いを返した。
(え、どうしよう。 まずは給料じゃなくて礼金って形にしてくださいってお願いから始めようと思ってたのに、すでに契約書にサインを求められている……――今からそんなこと言い出したら、ゼクス様怒っちゃうかなぁ……? 「契約書作り直すのめんどいからやっぱやーめた」とか言われたら……)
リアーヌは手渡された契約書に視線を落とし、グルグルとまとまらない考えを必死にまとめようと頑張っていた。
「……どうかした?」
契約書の表紙を眺めるばかりで、開こうともしないリアーヌを不審に思ったゼクスが気づかうようにたずねる。
「あ、の……実は……」
リアーヌはゼクスの質問に視線を左右に揺らしながら迷っていたが、やがて覚悟を決めギュッと一度キツく目をつぶると、大きく息を吸い込み、そのまま一気に言い放った。
「給料じゃなくて礼金に変えてくださいっ‼︎」
「……――礼金に、なってると思うけど……?」
リアーヌの声の大きさにビクリと身体を震わせたゼクスは、戸惑った顔つきで首を傾げながらリアーヌの質問に答えた。
「え……?」
「……リアーヌは子爵家のご令嬢だから、そうした方がいいと思って、ちゃんとそういう風に書いてもらったよ? 確認、してみて……⁇」
ゼクスはそう言いながら、視線や仕草でリアーヌに渡した契約書を見るように促した。
「あ、えっと……」と、挙動不審になりながらも、リアーヌはようやく渡された契約書の表紙を開いた。
(――あ、本当だ。 ちゃんと礼金になってる…… え、ゼクスってば有能すぎ……)
「――神じゃん……ありがとうゼクス様……」
契約書がそのまま使えるならば、ゼクスの機嫌を損ねることもないと、胸を撫で下ろしたリアーヌは、少々のよいしょも込めつつ前世のノリで、ゼクスに向かい両手を組んで頭を下げるという、この世界でのお祈りのポーズをとって見せた。
「うん。 それもやめよう」
ゼクスはいつもの笑顔を貼り付けることも忘れてらリアーヌの頭を上げさせ、組んだ両手を強引に下げさせた。
「……あ、違くてですね? これは神のように素晴らしい人ですねってことの揶揄でして――」
「うん分かったよ。 分かってるから止めようね?」
ゼクスがこの言い回しについて理解できていないのだと察したリアーヌが詳しい説明をし始めたが、その説明にも不穏な単語を聞き取ったゼクスは、リアーヌの言葉を遮り、言い聞かせるようにリアーヌがそれ以上喋ることを止めた。
『ギフト』は神からの贈り物――
その考えが当たり前のこの世界では、神とは唯一無二の絶対神である。
神以外の者にお祈りのポーズをとり「神である」などと口していたと噂になってしまえば、言ったほうだけでは無く言われたほうも、無傷ではいられないだろう。
そのことが容易に想像できてしまえるほどには、この国での神の地位――教会の地位は高かったのだ。
「はぁ……」
日本での感覚のみで会話をしているリアーヌは全く理解できず、少しゼクスを不審に思いつつ、曖昧に頷いてみせる。
(なんか変な反応……――もしかして、自分は女の子に「まるで女神のようだ」とか「君が俺の女神さ」とか甘い言葉かけてるくせに、自分が言われるのは恥ずかしかったり⁉︎ ――待って? もしかして神とか女神って、そっち系男女のあれこれ的な話にしか使わないのか……⁉︎ これは……やっちまいましたね……?)
独自の考えによって、その思考に至ったリアーヌは、申し訳なさそうに背中を丸め身体を小さくしながら口を開いた。
「ごめんなさいゼクス様……あの、これからは気をつけます……」
反省している様子のリアーヌにゼクスは呆れたようなため息を吐くと、ようやくいつもの笑みを貼り付けて「これからは気をつけようねー?」と、返した。
本質的なことは何も理解していないリアーヌだったが、軽々しく口に出して言ってはいけない言葉である。 と認識している今となっては、問題らしい問題は起こることはないのだろう――




