21
(タダでコピーしてあげたのにものすごい見捨てられた感……)
ビアンカの背中を追いながら辿り着いた教室。
席につき次の授業の準備をしながら、リアーヌは口を尖らせながら内心でグチを吐く。
教科書をぱらりとめくり、あとは教師がくるのを待つだけ――となった時、隣の席のビアンカが少しだけ身体を倒し、声をひそめて放課後の予定をたずねる。
「放課後……?」
「――約束ですもの。 お茶会の面倒を見てあげるわよ」
ビアンカはそう言って、リアーヌをジェネラーレ邸へ招待した。
(放課後もお茶会の練習……)と内心げんなりしていたリアーヌだったが、そこで開催されたお茶会は使用人を一切排除した、ごくごくプライベートなものだった。
そして、たとえ失敗をしてもビアンカからの厳しい指摘が飛ぶことも無く――リアーヌはようやくこのお茶が練習などではなく、ビアンカなりの気づかい……お礼、感謝の印なのだということに気がついた。
「このお菓子美味しい……それにとっても綺麗っ!」
テーブルの上でキラキラと輝く宝石のような菓子に瞳を輝かせるリアーヌ。
(見た目は琥珀糖ってのに似てるけど、味は全然違う! カシュンッて周りの硬いのが割れると中からとろーって水飴みたいなシロップが出てくる‼︎ しかも色によって味が全然違うっ‼︎ 形もバラの花とか宝石の形とかすっごい細かいし……)
「――あっ、なんか自分の口からとてもいい匂いがする……」
「ふふっそこまで喜んでもらえて嬉しいわ。 これ我が家のとっておきのお菓子でね? 王妃様にも献上させて頂いてるの」
「ご献上品‼︎」
貴族のことに少々疎いリアーヌですら知っていたご献上品。
文字通り王族に献上する品のことなのだが、ただ献上しているわけではなく“王族からの要望に応じて”献上する品物のことを指す。
つまりは「我が領、我が家のこの品は、王族がわざわざ必要とするほど優れているのだ!」と、ほかの家にアピールできる自慢の一品ということだ。
なのでどの家も、安売りすることを好まず、その殆どがごくごく限られた数しか世の中に出回らない一品ばかりなのだ。
「――私何個も食べちゃったけど……平気……?」
「用意させておいて何個も食べちゃいけないなんてこと言わないわよ」
ビアンカはそう言うとコロコロと笑いながら、少し離れた場所にあるテーブルの上に置かれた、リアーヌがコピーした紙の束を見つめながら口を開いた。
「それに……私にとってはあの本の方が数倍素晴らしい物だもの」
「えー……絶対このお菓子だよー」
「褒めてもらえて嬉しいけれど、聞き捨てならないわね……?」
リアーヌの言葉にビアンカは芝居がかった様子で腕を組み、顔をしかめて見せた。
そして二人顔を見合わせ――どちらともなくプッと吹き出すとケラケラと声を上げて笑い出す。
それはほんの少しの時間だけではあったが、二人は周りの目や耳を気にすることなく、楽しい会話とおいしいお菓子を楽しむ。
(――こんなおもてなしが待ってるなら、これから何冊でもコピーしちゃお……)
帰りの馬車の中。
「少しだけれど、ご家族で楽しんで」と、渡されたあの美しい菓子――ビアンカはボンボンと呼んでいた――を、大事そうに抱えたリアーヌは、心の中でそんなことを決めていたのだった――
◇
「――……本当になんのいやがらせも起こらなかった……だと……?」
その日の全ての授業が終わり、クラスメイトが帰りの挨拶を交わし始めた頃、リアーヌは自分の席に着きながらポソリと呟いた。
「だから大丈夫だと言ったでしょう? ――あとイタズラよ。 あくまでもお遊び、間違えないで」
隣の席からピシャリと言われ、リアーヌはキュッと唇を窄る。
「ふぁーい……」
(イジメは受けた側がイジメだと認識していたら、絶対にイジメだと認められるべきなんだよなぁ……? ――そんなん言っていやがらせ再開されたってヤだから言わないけどー。 ……今朝、馬車降りた時一緒になったビアンカが「きっともうイタズラされないわよ、良かったわね?」って話しかけてきた時は(んなわけ無いじゃん……)って思ってたのに……本当だった。 ――え? 中庭で会話したの昨日で今朝で、なのにはみんなは私がラッフィナート家の派閥に入ったって知っている……? ――貴族の情報網こっわ… …… でもラッフィナート家の派閥に入った私にはもう関係ない話かも……? ――悪意を向けられない学園生活最高! なんの変哲もない平穏な日々おかえりなさいっ‼︎)
「ラッフィナート様様やで……」
リアーヌは何事もなかった一日を噛み締めながら、しみじみとそう呟く。
そんな彼女に呆れを含んだ、笑ったような声がかけられた。
「喜んでもらえて嬉しいけど、俺のことはラッフィナート殿かゼクス様でお願いできるー?」
いつのまにか教室の中にはゼクスがいて、困ったようにうなじあたりにかかる髪をいじりながら小さく肩をすくめた。
(噂をすればご本人‼︎ ――え、殿……?)
「……雇い主に“殿”って変じゃありません?」
「あー……じゃ、ゼクス様で」
ゼクスの言葉にリアーヌは少し考えたあと、ビアンカに視線を送りつつ首を傾げた。
「……名前を呼ぶの平気?」
(教えて! ビアンカ先生‼︎)
「……この場合に限って言えば、相手から許可が出ているのだから問題はないわ。 ――だからくれぐれも、いい? くれぐれも! 家名に様をつけて読んではダメよ⁇」
思いの外、真剣な表情のビアンカに念を押され、リアーヌは気圧されたようにコクコクと何度も頷いた。
「うん……そこは本当に徹底しようね……?」
ゼクスも少々疲れたようように大きくため息をつきながら言った。
どれほどの財力をもってしても、あくまでもラッフィナート家の身分は平民でしかない。
その平民階級にある者が、子爵家のご令嬢令嬢にラッフィナート様と呼ばせているなどという噂話が出回ってしまうと、ラッフィナート側の不手際、落ち度という扱いになってしまうことが充分に考えられた。
そのため、ゼクスは神経質なほどにその呼び名を避けていて、ビアンカも問題になることが分かっていたために、リアーヌに忠告をしたのだった。
――やはり今回もリアーヌだけは、よく理解していなかったが。
「分かりました……?」
(私としてはゼクス呼びのが慣れてるから願ったり叶ったりだね!)
「本当頼むよ……――あ、お礼持ってきたんだけど……今からちょっと時間もらえるかな?」
「あ、はい! 大丈夫ですよ!」
ゼクスの言葉に、リアーヌは満面の笑みで答えた。
「――君って分かりやすくていいよね……?」
思わず……といった様子でゼクスがそう口にした。
それを聞いていたビアンカは、ぷふっと小さく吹き出した――のだが、すぐに咳払いをして誤魔化すと「では私はそろそろ……ごきげんよう」と言って完璧な礼を披露する。
「お気をつけて」
ゼクスはそう言いながら軽い会釈をし、ビアンカはそれに優雅に一礼して教室を後にした。
「ごきげんよう! またねー」
立ち去ろうとしているビアンカの背中に声をかけたリアーヌは、ビアンカがチラリと振り返ったのを確認すると満面の笑みで大きく手を振った。
そんなリアーヌにビアンカは曖昧に微笑みながら教室を後にして、ゼクスは何も見えなかったかのように、鼻の頭をかきながら窓の外を眺めていた。




