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「――付けてくれたのかい?」
「せっかくの贈り物ですもの……」
知らせを受け、こちらへの声掛けもおざなりに、いそいそと入口までレジアンナを迎えに行ったフィリップ。
このサロンの入り口と部屋の間には緞帳のような重厚な布が吊るされていて、リアーヌたちから二人の姿は見えなかった。
しかし、その声はしっかりとリアーヌたちの耳に届いていて――さらには、その声がやたらと甘かったことすら聞き取れていたのだった。
「よく似合っているよ私のスカーレット。 その香りは君にこそ相応しい」
「フィリップ様……」
布の向こう側のは甘ったるい空気に反比例するように、残った者たちは気恥ずかしい、居心地の悪い空気を感じていた。
リアーヌなどはポカンと口を開けっぱなしにして突然聞こえてきた、恋人同士のような甘いささやき声にポツリと小さな呟きを漏らす。
「――私のスカーレット……?」
「――おだまり」
静かにカップに口をつけていたビアンカが、短く静かにたしなめる。
しかしその態度からはどこか投げやりな様子が見え、ビアンカも聞こえてくる会話に呆れているようだった。
「はぁーい……」
返事を返しながらリアーヌもビアンカにならいカップに手を伸ばす。
胸に込み上げるなにかを飲み下すように、紅茶を飲み込むのだった。
(……ちょっと待って? あの男ってレジアンナに恋愛感情は抱いてなかったって話では……? なのにあの会話はなに⁇ え、あいつってばとんでもないシスコン野郎だった……?)
「紹介させて欲しい。 こちらは私の婚約者、ミストラル公爵がご長女レジアンナ・ミストラル嬢だ」
初めはニヤニヤと顔を見合わせあっていたフィリップのは友人たちまでもが、気まずそうに前髪や首筋を撫で付け始めた頃、ようやくサロン内に二人が入ってきた。
レジアンナをエスコートするフィリップは、少し恥ずかしそうに……けれども誇らしそうに胸を張りながらレジアンナを紹介すると、今度は部屋の中にいた全員をレジアンナに紹介していく。
招いた客人たちを婚約者に紹介しているフィリップとされているレジアンナだったが、その視線はほぼほぼお互いに固定されていて、紹介される側の者たちは一段と居心地の悪さを感じながら、なかなか目の合わない相手に向かいあいさつの言葉を口にしていた――
(……どう控えめに言っても、これってラブラブですよね? レジアンナもフィリップも幸せそうにお互いを見つめちゃって……その視線はとろけ落ちるぐらいに優しいし、ほっぺなんかほんのり染めちゃってさ! 誰がどう見たってラブラブで――どうしよう……。 これは……フィリップルートもしっちゃかめっちゃかのお知らせなのでは……⁇)
どれだけの者がまともに聞いていたのかは不明だが、各々が挨拶を終え再び席に着くと、フィリップがリアーヌに向かって口を開いた。
「先日の助言のおかげで、彼女を傷付けてしまっていたのだとようやく気がつけてね……」
レジアンナにチラリと視線を送りながらフィリップは自重気味に眉を下げた。
そんなフィリップにいち早く声をかけたのは、話しかけられているはずのリアーヌではなかった。
「フィリップ様は悪くありませんわ! ――私が勝手に……」
「そうさせてしまったのは私だよ」
「あなたのせいじゃ……」
「――許されるならばどうかもう一度私にチャンスを……」
「フィリップ様……」
「レジアンナ……」
(――……あれ? 急に劇でも始まったのか……⁇)
手に手を取り合い、熱い視線を交わし合う恋人たちの様子に、しっかりと置き去りにされる外野たち。
互いに無言で視線を交わし合い、手持ち無沙汰をごまかそうと、紅茶や菓子に手を伸ばす。
「……――あとは若いお二人で……――黙りまぁす……!」
甘っくるしい空気に耐えかねたリアーヌが軽口を言うが――その瞬間、足先に痛みが走り、リアーヌは身を捩りながら大先生に向かい謝罪の言葉を口にした。
(小粋なチャチャで、少しでもこの居た堪れない空気が散ってくれれば良いと思っただけなんです……! 多分レジアンナがグランツァのポプリ持ってるみたいで、このサロン内の香りまで一気に甘々なのよっ!)
匂いだけで胸焼けしそうな感覚になっている外野たちは、新しい紅茶を注いでもらうと、砂糖も入れず香りを楽しむこともなく、淡々と口に運んだ。
(――これって勘違いでもなんでもなく、うまく丸っと収まるところに収まっている状況ですよね……? 妹としか見られてなかったらレジアンナがこんなに大人しいわけないもんね⁇ ――大体、『君しか目に入らない……』『貴方以外見えないの……』な態度見せつけておいて、恋愛感情じゃなくて――とか、あの主人公であっても信じないって……――なんだよこのバカップル……こんなでろ甘なフィリップとか見たことないよ。 お前ゲームじゃクール担当だったはずなのに……)
「――こちらミストラル家ご令嬢レジアンナ様より贈られました、オレンジを添えたチョコレートケーキでございます」
侍従たちはワゴンを引いてやって来ると、そう声をかけながらチョコレートケーキをテーブルの上に並べていく。
それは濃厚なブラウニーのようなケーキに輪切りのオレンジが鮮やかに映える、とても美味しそうなチョコレートケーキだった。




