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ボスハウト家そのものの守りを手薄にすることは出来ず、かと言ってここまでボスハウト家に尽力してくれた子爵の守りを手薄にすることも出来ない……
しかし――二年の、しかも教養学科に通うリアーヌに侍女の一人も付いていないというのはあまりにも外分が悪く、加えてボスハウト家の跡取りであるザームも入学を控えている――もはや、飛ぶ鳥を落とす勢いでその財産を増やし、来年にでも伯爵への#陞爵__しょうしゃく__#が決まるのでは? と注目を集めるボスハウト家嫡男が、単身入学するのだ。
それに群がる害虫を蹴散らすためには、リアーヌに護衛をつけ一年かけて人脈作りの下地を作っておくべきなのだが……――それに割くだけの使用人がいない現状だった。
眉間に皺を寄せ、ムッツリと黙り込んでしまったヴァルムに、オリバーは静かに声をかけた。
「……リアーヌ様専属の護衛も早急に育てるべきかと……」
その言葉に反応したのはトビアスだった。
「――それはなぜだ? ……少々自由すぎるご様子だが、ご本人の危機管理能力は決して低いものでは無いだろう⁇」
トビアスにたずねられたオリバーは、そちらに体を向き直してから説明を始める。
「私も当初はそのように感じておりましたが……――お父上お母上に大切に守り育たれたご様子……――あのお二方はその力にこそ違いがありますが“自分にとっての最良の結果”を選び取ることが出来るものです。 ――そんなお二人の元健やかにお育ちになったリアーヌ様……――あのご姉弟から見たこの国は、とても幸せで穏やかなものなんだろうな……と」
そう言ってオリバーは目を伏せた。
「――しかし……警戒心は十分であると思われるが……」
トビアスは、オリバーが話すリアーヌと、自分が報告書などから想像していたリアーヌの性格が一致せずに大きく首を傾げた。
オリバーは一度伏せた視線を、再びヴァルムやトビアスに向けると、確信を持っている様子で話し始める。
「リアーヌ様は幼い頃から聡いお子様であられたと聞き及んでおりますので、 ご両親や周りの大人たちから言い含められたこと、見聞きした話から学習されたことも多いとは考えられます。 ――が、おそらくリアーヌ様の身に災厄らしい災厄は一度も降りかかっていないのでは?」
「つまり……」
ヴァルムは背中に嫌な汗をかいているのを自覚しながら話の続きを促した。
「リアーヌ様ご自身に向けられた悪意、殊更その悪意を隠して近寄るものたちについて、とても鈍感でいらっしゃるのでは無いかと愚考いたします」
オリバーの答えにヴァルムたちは揃って顔を歪めた。
「……もしかしたら、そんな者がこの世に存在していると、心の底からは理解してはいらっしゃらないのやも……」
「――王家にお生まれになったお子様方の中にも、そのようにお育ちになるお方が現れますが……――やはり血筋は争えませんねぇ……」
トビアスは困ったようにそう呟くと、ため息と共にヴァルムを見据えた。
「ヴァルム、まずは人を育てると思って、ボスハウト家ではなく王家の血筋に忠誠を誓う者で妥協すべきだ。 人も時間も足らなすぎる……――それに行動力だけで幸せを勝ち取った、あのマルガレータ様のお孫だぞ? ……私にはある程度は動ける侍女をつけるべきだと思うけれどね? ――それに……学園に通う生徒の中にも悪質な者が混じることがあると、知らないわけでは無いだろう⁇」
トビアスの言葉にヴァルムはスッと目を細め、ギリリと手を握りしめながら短く答える。
「……二度も煮湯は飲みません」
明らかに不機嫌になり、怒りを堪えている様子のヴァルムに気をつかいながらも、オリバーが疑問を投げかける。
「――あの家のやり方って、結局どんなものだったんですか?」
「……あの小僧が全く同じ手口を使ったのかどうかは不明ですが、ラッフィナートのやり口は、領収書に白紙を混ぜるようですね」
苦虫を噛み潰したかのように、これでもかというほど顔をしかめたヴァルムがため息混じりに答える。
「……領収書、ですか?」
「契約書を交わす時、なにかしらの理由をつけて金銭を手渡す。 そして無事に契約を交わし終わった後、先ほどの金銭を受領したというサインが欲しい、サインがあれば経費に回せる――などと言いくるめる……その領収書に白紙の紙が混ぜられているようです」
ヴァルムの言葉に、オリバーも眉間の皺を深く刻み込む。
「サインする相手は契約に注意が向いていて、その契約が無事に結ばれた後――……そりゃ気も緩みますよねぇ……?」
オリバーの言葉に大きく頷きながらトビアスも言葉をつなげる。
「裁判になった時のことも考えているのだろうな? 訴えられたところで、被害者の疑いは契約書にしか無い……――それには間違いなく細工していないのだから胸を張って答えられる」
「きっと裁判まで行かないように根回しとかもしてるんでしょうねー……」
オリバーは鼻を鳴らしながら、忌々しそうに呟く。
甘い言葉で騙し合い、言質を取り合う貴族の会話を聞き馴染んでいるオリバーだったからこそ、その騙し討ちで詐欺の手口のような手段でリアーヌが掠め取られたことが、心底面白くないようだった。




