156
リアーヌはそう考えながらも、心当たりが全く無いわけでもなかった。
(……いや、散歩の途中でじーちゃんばーちゃんが困ってたら助けたりはしたけど――まさかそれだけでこんなに大量の物資が……?)
リアーヌは再び馬車に積み込まれていく大量の荷物に視線を移し、大きく首を傾げる。
(――あとは……畑や庭の果物や野菜の収穫手伝ったりすることもあったけど、あの時のはその場で、採れたて新鮮な収穫物をお礼にもらってるからノーカンだと思うし、お菓子やジャムのアドバイスしてくれってお願いされた時だって、私は好き勝手飲み食いして、好き勝手なことを言っただけで……――腰や膝が痛いって言ってた人に回復のギフト使ったのはありがたがってもらえたけど……でも私のギフトの使い方がアレなもんだから何回もかけるハメになっちゃったのに……)
そこまで考え、リアーヌは改めてハッキリと首を捻った。
アンナの言った「手を差し伸べた」という状況がどれのことなはっきりしなかったためだったが――
今リアーヌが考えていたこそが、まさに正解だった。
大前提として、リアーヌはまだ婚約者の段階だ。
貴族同士の婚約は契約と同等であり、破棄されることはほとんどないが、現段階で、この村とリアーヌの関係性は無いにも等しいと、村人たちもよく分かっていた。
最初こそ、この村に同行してきたリアーヌのことを、訝しんでいた村人たちだったが、自分たちと大差ない格好で村を闊歩し、年寄りの手伝いをして泥に塗れる“ご令嬢”に、村人たちの警戒心はあっさりと溶けて消えていた。
そして自分たちの相談事にイヤな顔ひとつせずアドバイスをくれる少女にいつのまにか好意を抱いていた。
――そしてなにより、医者のいないこの村で【回復】のギフトはとても貴重であり、村を練り歩きながら些細な体の不調を治してくれるリアーヌは、村人たちの目には聖者のように映っていた。
だからこそ村人たちは、ゼクスの婚約者であるリアーヌになんとかこの村をより一層気に入ってもらい、少しでも早く再訪してもらおうと、自慢の果物や野菜を持ってきていたのだった。
(そもそも村の人たちに返しきれないほど教えてもらったのは私のほうだったりするんだよなぁ……?)
リアーヌは内心で苦笑いを浮かべながら小さく肩をすくめた。
(蛍がたくさん見れる川辺に、満点の星空が独り占めできる丘――それにお酢リンスの正しいやり方や保湿クリーム代わりになるものの存在まで教えてもらっちゃってさぁ……――保湿クリームに至っては光の速さでアンナさんに買い漁っていただいた……――お酢リンスで髪はうるツヤ、パールパックと保湿クリームでお肌はぷるぷる……――ここに来られて本当に良かった……――ここに来なかったら、前世でお酢リンス試してたアイドルと和解できないところだった……。 まさか、私が考えてた以上に薄めて、長く漬け込むものだったとは……匂いが残りそうでさっさと洗い流してたのが良くなかったんだなぁ……ヤラセか仕込みだと決めつけてゴメンよアイドル……)
そんなことを考えながら、リアーヌは我ながら手触り滑らかになった髪を一つなでつけ、満足そうな笑顔を浮かべる。
(しかしあの保湿クリームは盲点だったなぁ……――いや確かに生クリーム代わりに使えるなら油分たっぷりだから保湿剤になるし、天然素材だから肌にも優しいし……――惜しむべきは、この保湿クリームをたくさん作ろうと思ったら生クリーム分が減ってしまうってことだよ……――もう生クリームにはならないほど水分が抜けたものらしいんだけど……味はどうなんだろう? ……――あとでこっそり食べてみよ……! 当然のように、ボスハウト家御用達の美容品に加わってたし、ゼクスとアンナさんがしばらくお話し合いをした後、固い握手を交わしあっていたから、多分ボスハウト家の独占品扱いにも成功してるんじゃないかな……? どんどんうちの美容関係が充実していく……――ビアンカんトコ遊びに行く時持ってったら喜ぶかな? ……――どう考えても本のほうが喜んでくれそうだけど、美容品が嫌いってわけじゃないだろうし……――どっちも持ってくか。 保険はかけておくものだって先生にもビアンカにも言われてるし!)
リアーヌがそんなことを考えていると、ようやく全ての荷物を運び入れ、出発の準備が整ったことを知らされる。
「それでは、どうか道中お気をつけて行ってらっしゃいませ。 ――お早いお戻りをお待ちしております」
村を代表し――改めて村長の役職に就任したディーターがゼクスに向かって深々と一礼しながら言った。
これは領民が領主にかける伝統的な――お決まりのような挨拶だった。
「――行ってくるよ」
大きく頷きながら満足そうに返すゼクスに、リアーヌの口元がニヨニヨと歪む。
(……ダメだ。 メイド喫茶のやりとりにしか聞こえない……)
リアーヌは口の内側を噛み締め、弧を描きそうになる口元を必死に押さえつけていた。
そんなリアーヌと顔を上げたディーターの視線が絡み合い――リアーヌがニコリと笑いかける前に、ディーターは再び頭を下げ口を開いた。
「――お早いお戻りを心から願っております」
(ディーターさん……――間違ってますよ……! それって領主だけなんです‼︎ ――しかし今の私はちゃんとフォローの入れられる女! お茶会のレッスンたくさんしたからねっ‼︎ 言い間違いのフォローなんかお茶の子さいさいなんだからっ)
「行ってまいりますね」
(リアーヌ知ってる! 口角あげときゃなんとかなる‼︎ ――ディーターさん、大丈夫だよ! 貴族だって結構間違える人いるから! ゼクスも私も気になんかしないよっ‼︎)
口角をあげ続けながらディーターに視線を送っているリアーヌの耳に、クスリとした小さな笑い声が届いた。
それはゼクスの声で――不思議に思ったリアーヌがチラリとそちらに視線を送ると、ゼクスが困ったように笑いながら小さく言った。
「……リアーヌちゃんと分かってる?」
「――こういう時は見て見ぬ振りしてあげるんですよ……!」
(そしてお茶会が終わったら、「あそこが違いましてよ」ってこっそり教えてもらうもんなんだからっ!)
リアーヌはゼクスに咎めるような視線を向けながら小声で言い返すが、そんなリアーヌの態度に、ゼクスは呆れたように肩をすくめて見せる。
「彼の名誉のために言っておくけど、言い間違いとか勘違いとかじゃないよ?」
「……え?」
ゼクスの言葉にリアーヌは確認するようにチラリとディーターに視線を送った。
その視線を受け、ディーターは照れ臭そうな笑顔をリアーヌに向けた。
(――……えっ? この照れ笑いは「間違っちゃったぜ、へへへ……」って意味じゃないの⁉︎ え、でもあの言葉って領主以外に向けられることなんか無いんだから、絶対間違いじゃん⁉︎ ――……この辺では同行者にも言ったりするのか……? ――はっ⁉︎ 前の領主は飛んだクズ野郎だったんだから、訳わかんない持論を展開してこうなった可能性⁉︎ ――ゼロでは無いな……?)
思っていることがほぼ全て表情に表れているリアーヌを楽しそうに眺めていたゼクスだったが、アンナの笑顔が凍り始めたことに気がつくと、素早い動作でリアーヌの背中に手を添え馬車へと促しながら、会話のアシストをする。
「この視察旅行は楽しめた?」
「――とっても!」
「じゃあ、お許しがもらえたら、また一緒に来ようね?」
「はい!」
元気よく頷き返したリアーヌの答えを聞いていた、ディーターを始めとした見送りに駆けつけていた村人たちの顔が一気に緩み、互いに顔を見合わせながら喜びを分かち合っている。
沢山の村人たちに見送られながら、リアーヌたちはサンドバル村を出発し――
その数日後、リアーヌはじめての視察旅行がその幕を閉じたのだった――