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「……お散歩とかでも?」
「おーいいね!」
そっとたずねたリアーヌに、ゼクスは少々大袈裟な態度で賛成してみせる。
散歩がてら、自分の目でこの村を確認するのもいい案だと考えたようだった。
「――この村を登っていった先には崖があり、そこからは見える海に沈む夕日がとても美しいのだとか……」
アンナはゼクスに向かって軽く頭を下げながら控えめに提案する。
セハの港でリアーヌが海に沈む夕日を好んでいたのをしっかり覚えていたようだった。
「夕日!」
「見にいこっか?」
(珍しく食べ物以外の単語でリアーヌの瞳が輝いたな……?)
などと失礼なことを考えながら、ゼクスはニコリと笑いながらリアーヌを誘う。
「――……ご案内は必要でしょうか?」
リアーヌでもはっきり分かるほどに、面倒臭そうに、しかし自分たちの落ち度にならないよう、渋々……といった態度でディーターは質問を口にした。
ほんの一瞬だけ、ただただディーターへの嫌がらせのためだけに案内を頼んでやろうか……と心をささくれ立たせたゼクスだったが、これ以上こちら側の印象を下げても、なんの得にもならないか……と思い直し、ニコリと笑顔を貼り付けると拒絶の言葉を口にする。
「いりませんよ。 適当にその辺を散歩するだけだからね」
「……さようでございますか」
そう答え、再び無表情のまま頭を下げたディーターだったが、その後ろに控える村人たちはその瞳に宿した敵意を隠すこともなく、リアーヌたち――主にゼクスに向けられていた――
◇
「なんかごめんねー?」
ゼクスはだいぶ動きやすそうな格好になったリアーヌの手を引き、獣道とも呼べそうなほどのワイルドな山道を進みながら、申し訳なさそうにそう言った。
「謝られるほどのことでは……」
リアーヌはゼクスの手を借りながらも、みなの想像以上に軽い足取りで山道を登っていく。
山道ということで歩きやすい服装――ただでさえ、お忍び旅行として慎ましい服装だったのだが、山を登るということで、さらに動きやすい……――もはやこの村の住人の服装とも見分けがつかないほどのレベルの質素さのものに着替えていた。
はっきりと足首の見えているスカートは、コルセットを使わず紐でウエストを締め上げるだけの簡易なもので、ブラウスは飾りも刺繍もない実にシンプルなもの。
さらには汚れてもかまわないようにと、スカートがすっぽりと隠れるほど長いエプロンをつけていて――
誰がどこからどう見ても、立派な村娘の姿だった。
(――最初こそコルセット外して外出てもいいの⁉︎ とか思ってたけど、やっぱりコルセットなんて不要なんだよ。 なんなら紐でウエストをギュギュッて閉め上げるのですら不要にすべきなのよ……――はー。 めっちゃ楽)
「あんなに嫌われちゃって、男爵ってば何やらかしたんですー?」
リアーヌの後ろにいたオリバーが、ゼクスに向かって、冗談めかしてたずねた。
その少々失礼な物言いにリアーヌだけではなく、ほとんどの同行者たちが引っ掛かりを覚えオリバーに視線を流す。
しかしオリバーの視線はゼクスのほうを向いておらず、護衛対象であるリアーヌを意識しながらもチラチラと後ろを振り返っているので、本来の目的はなにかをゼクスに伝えることのようだった。
オリバーの視線の先を辿ると、そこには肩を大きく上下させながら周囲の木や草に手を伸ばし、必死に山道を登ろうとするアンナの姿があった。
――使用人とはいえ、生まれた時から貴族の屋敷で暮らしていたアンナにとって、このような本格的な山登りは本日が初めてであり、同時に自分の体力のなさを痛感した日にもなったようだった。
(……いや、むしろ草掴んでも進もうとする根性だけで充分だろ……――普通、貴族のご令嬢どころか、都会育ちの街娘だってこんな山道、ひょいひょい歩けるもんじゃないぞ……?)
オリバーはリアーヌの周囲に気を配りながらも、フラフラになり必死の形相で山を登るアンナの身体を心配してした。
「あー……ちょっと休憩しよっか?」
「村出るまでも結構かかりましたもんね……?」
ゼクスはリアーヌを基準に歩みを進めてしまったことに後悔しつつ、リアーヌは昔よく行っていた森で自分の足腰が鍛えられていたということを今更ながらに自覚しながら言葉を交わし合う。
「わ、わた……大丈、ぶ……先」
「相手の中に婚約者がいようが、れっきとしたご令嬢だろ? 女一人は流石にまずいだろー⁇」
オリバーは息も絶え絶えに、自分のことは放って、先に行ってくれと伝えているアンナに向かい肩をすくめながら言い放つ。
未婚の貴族女性はその純潔を疑われること自体が汚点となりえる。
リアーヌのことは子供として扱うと決めているオリバーだったが、だからと言ってそこは疎かには出来ない問題だった。
さらに言えば、今回はラッフィナート側の護衛も同行していて、ゼクスたちの先で後ろを気にしつつ周囲を警戒しているものが一人、アンナの後ろで困ったように苦笑を浮かべているものが一人いる。
この者たちはあくまでもラッフィナート家の従業員。
ボスハウト家に仇なさないとは言い切れるわけもなく――ましてや、騙し討ちのように婚約をもぎ取った相手の手駒だというならば、慎重に行動することに無駄などないと考えた。
「――申し訳……」
ゼェハァと荒い息を繰り返すアンナがリアーヌたちに向かい謝罪の言葉を口にしようとする。
その姿を見てリアーヌはとっさに口を開いていた。