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ヴァルムの一存で護衛にと決まったこのオリバーだったのだが、やってきたこの男は、着崩した服装に派手な装飾品と――およそ貴族のご令嬢の護衛に付くとは思えない格好だった。
その理由がお忍びであるから――ということは皆が理解していたのだが、ヴァルムは万が一にもリアーヌの名誉に傷が付かないように……と、念には念を入れてオリバーにそう命を出していたのだったが――
(――あの時は、そりゃそうだよなぁーって納得したんだけどさぁ……――こんなトンチキなお姫さんだとは聞いてないんだよなぁ……? ――ご令嬢相手の対処法より三歳児相手の対処法が適切な気がしてきたな……?)
「はいよー。 そういうわけなんで移動しますよー」
オリバーはそう声をかけながら、だいぶ乱暴な手つきでゼクスからリアーヌを奪うと、そのまま肩に担ぎ、スタスタと足早に歩き出す。
「――……あーっ! 私のご飯っ!」
自分になにが起こったのか、把握するまでに少々の時間を要したリアーヌだったが、今から食べようとしていた料理が自分から遠ざかっていることにいち早く気が付くと、両手を伸ばしながら大声で叫んだ。
そしてその距離をなんとかしようと、すぐそばにあった、店の細い柱を握りしめて抵抗を試みる。
この店はとても簡素な作りで、運動会などで関係者席に張られるようなテントに壁をつけた程度の作りだった。
当然、柱もそこまで頑丈なわけではない。
そんな柱をリアーヌが掴んでしまったことに、オリバーはギョッと目を剥いた。
「ちょっとお嬢、なにしてるんです⁉︎ 危ないじゃないですか‼︎」
(どんだけあの生魚が食いたいんだよ⁉︎)
「もう終わり! まだお腹空いてるなら、宿で作ってもらおう! ね⁉︎」
そう言いながらリアーヌたちに駆け寄ったゼクスは、リアーヌが掴んでいる柱からその指を一本一本引き剥がしていく。
その対応はまごうことなき、ぐずる三歳児に対する対処法であった……
「私は寿司が食べたいんですうぅぅぅ」
『持ってくかぁ?』
『持ってく‼︎』
リアーヌの必死な叫び声に、アンナ自身やその両手に持った沢山の荷物によって進路を妨害されていた三人組が、酔っぱらいとは思えないほど軽いフットワークでアンナを交わすと、リアーヌに向かって再び料理を差し出した。
リアーヌも嬉々としてその料理に手を伸ばし――
「――離れたな、行くぞ」
「――あっ……」
リアーヌが柱から手を離したこと確認したオリバーにより、リアーヌは一足先にその店を離脱することになった。
『行っちまった……』
『なぁあんた、あの娘にこれやってくれよぉ……』
店の中に残された三人組は残念そうに肩を落としながら顔を見合わせると、ソロリ……と、アンナの様子を伺いながら料理を差し出した。
「――勝手ににものを与えないでくださいまし⁉︎」
店の中に響き渡ったアンナのその言葉に、ことの成り行きを見物していた他の客たちが笑い始め、早朝にもかかわらず店の中は楽しそうな笑い声で満たされたのだった――
そしてこの大騒動はリアーヌたちにも少しの幸運を運んでいた。
この騒ぎを見ていた客の全員が(あの娘“お嬢”とか“お嬢様”とか呼ばれてたけど、きっとメイドを雇えるほど裕福な家の子なだけで、貴族とかじゃないな……絶対)という結論に至っていた。
それは結果的に、リアーヌの、そしてボスハウト家の名誉を守ることになったのかもしれない。
(この店はアウセレで暮らしてた腕のいい料理人が働いてるから、おすすめなんだぞ! って教えてもらったのに! 久々のお寿司だったのにっ‼︎ なんで皆して邪魔するの⁉︎)
宿に戻されたリアーヌは、その苛立ちをぶつけるかのように、用意してもらった朝食にかぶりつくのだった――
◇
「いい匂いがする……」
ガタゴトと舗装されていない道をゆっくり進む馬車の中。
外から香ってきた匂いにリアーヌは馬車の窓、その少しの隙間に鼻を近づけ、クンクンと鼻を鳴らした。
セハの港を出発してから数日、リアーヌたちはサンドバルの村に向けて順調に旅を続けていた。
一日中馬車に揺られ夜は野宿という、通常の貴族令嬢であれば心を病んでしまいそうな旅路だったが、リアーヌ自身はゆったりと進む馬車の中でゼクスとの会話を楽しんだり、読書に集中したり、夜はキャンプのようだとワクワクしながら焚き火を見つめ、テントで就寝する――
そんな充実した毎日を過ごしていた。
――どちらかというと、生まれてからずっとボスハウトの屋敷で育ったアンナのほうがこの旅に対する不満は多いようだったが、なんでも楽しむリアーヌの様子に、どこか吹っ切れたような表情を浮かべることも増えてきていた。
「リアーヌお腹空いちゃった?」
鼻をひくひくさせて匂いを嗅ぐその仕草が小動物を連想させて、ゼクスはクスクスと笑いながらからかうようにたずねる。
「違いますぅー! 外から……こう、フルーツみたいないい匂いがするんです」
「――ああ……してるね?」
唇を尖らせながらムキになるリアーヌに、その笑みを深くしたゼクスは肩をすくめながらも軽く頷いて同意する。
リアーヌに言われた通り、匂いに集中すれば、確かに馬車の外から甘い匂いが漂っているのを感じた。
「――あちらの木でしょうか?」
リアーヌの隣に座っていたアンナがリアーヌが鼻を近づけている窓とは逆の窓――出入り口のドアに付いている窓から外を指差した。




