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そんなリアーヌの反応に、自分の失言を理解したゼクスは、慌ててもっともらしい言葉を紡いでいく。
「――リアーヌはほら、ゆくゆくはうちに嫁いで商家のお嫁さんになるでしょ? だからリアーヌの正解は、やるほうなんだよ? 普通の人がやらなくてもリアーヌはやってくれなきゃ困っちゃうんだ」
「およ……――そう、なりますよね……?」
ゼクスがごまかすように言った言葉のお嫁さんと言う単語に大いに反応したリアーヌは、ドギマギと視線を揺らしながら済ました顔でこたえる。
「――だって婚約してるわけだし、奥さんにならなかったらおかしいでしょ?」
頬を染めて視線を逸らリアーヌをからかうように、その顔を覗き込んだゼクスが楽しそうに言った。
「――婚約……?」
しかしゼクスの言葉にいち早く反応を返したのは向かいの席に座るテオだった。
ポカンと口を開け、キョトキョトと視線を揺らしてリアーヌとゼクスの顔を交互に見比べている。
(……? あれ? 私ちゃんと紹介されたような気がしてるんだけど、されてなかったっけ……⁇)
リアーヌはそんな疑問を込めてゼクスの顔をチラリと伺い――ゼクスが、してやったりとニヤニヤしている姿を確認し(あー……意図的にされなかったみたいですね……?)とすぐに事情を察した。
「――……冗談だよな?」
「俺の婚約者すごいでしょ?」
いたずらが成功した子供のように、ニマニマと唇をひくつかせながら胸を張って答えるゼクス。
「……坊、確か子爵様んトコの……」
「名門、ボスハウト子爵家がご長女、リアーヌ・ボスハウト様を迎えさせていただきますよー?」
「……つまり?」
テオはそう言いながら恐る恐る人差し指をリアーヌの方に向け――ハッとしたようにバッと手を開くと、右手全部でリアーヌを指し示した。
貴族を指差すなんてダメだろうと、すんでのところで思い至ったようだった。
「――リアーヌ・ボスハウトと申します」
ぽかーんと口を開けてこちらを凝視しているテオを少し気の毒に思いながらも、リアーヌはその場に座ったままペコリと頭を下げ、簡易的な挨拶で返した。
そんなリアーヌに、テオはその大きな身体から全ての空気を吐き出すかのように大きなため息をつきながら頭を抱える。
そしてしばらくそのままの体勢で固まっていたが、いきなりスクッと立ち上がると、簡単に身なりを整えてから体を90度に折り曲げながら口を開いた。
「――……お嬢様におかれましては、大変ご機嫌麗しゅう……」
「――は?」
(いきなりなにか始まったけど⁉︎)
ギョッと目を向きながら、助けを求めるようにとゼクスに視線を走らせたリアーヌ。
それにゼクスは、笑いを堪えたような顔つきで肩をすくめ返した。
そしてテオに向かい少し反省したような顔で話しかける。
「ごめんおやっさん、からかっただけだ。 今日はお忍びだからさ、そこまで気ぃ使わないでよ……ねー?」
ゼクスに同意を求めるように首を傾げられ、リアーヌはコクコクと小さく小刻みに頷き返した。
リアーヌには“お忍び”ではなくてはならない理由があった。
港の散策に出かける際「お嬢様の行くような場所ではありませんが……」とアンナからのやんわりとした反対にあったのだが、それを「お忍びで行きますから……」と取りなしてくれたのがゼクスで、遠くからでも分かるほどいい匂いを漂わせていた屋台街を見て回る時も難色を示したアンナに「行くぐらい構わないんじゃないですかぁー? さすがに好き勝手飲み食いされんのは困るけど、見るくらいならねぇ⁇ それにお忍びなんて貴族の嗜みみたいなもんでしょー」と言ってくれたのが、新しく護衛に加わったオリバーだった。
(――お忍びだから港の散策に出られた。 お忍びだから屋台街にも行けた……――つまりお忍びじゃなくなったら、屋台街で好き勝手食べられないってことじゃん! たこ焼きとチョコバナナにはもう目をつけてある! それの口になってるんだから!
!)
「そうは言うがよぉ……」
テオはそう言いながら恐る恐るまたソファーに腰かけるが、視線はおどおどと忙しなく動き回り、背中は丸く丸まってしまっていた。
「今更だって。 おやっさんの態度が気に入らなかったら、すぐにここから立ち去ってるよ」
「……それはそう、だな?」
「――大体、お忘れかもしれませんが、俺だってれっきとした男爵様なんですけどね⁉︎」
「――それもそうか……?」
そう言ってガシガシと頭をかいたテオはヘラリと笑うと「カッコ悪いとこ見せちまったな……?」とリアーヌ睨むかって恥ずかしそうに笑って見せた。
そして、ふぅーと息をひとつつくと、ソファーにゆったりと座り直したのだった。
(しかし……――ちょっと自覚はあったけど、やっぱり私ってば普通にしてたら全く貴族だなんて思われないんだなぁ……ーー自分では結構、お嬢様的所作が身についてきたと思ってたんだけどなぁ……)
リアーヌは少しだけ唇を尖らせながら心の中で一人グチる。
しかし、この認識はあながち間違いではなかった。
リアーヌの所作は庶民としてはとびきりの、貴族としては及第点ギリギリの――といったレベルにまでは上がっていた。
しかし、テオはリアーヌを貴族ではないのだろうと判断したのは、所作など全く関係ないところだった。
――ここは王都からずっと離れた国のはずれ。
自分たちが税を納めている領主ですらほとんど滞在しない土地だ。
しかもテオからすれば親しみ深い恵み溢れる海も、貴族からすれば忌避感の強いものだものだと知っていた。
日にやける夏の日差しを嫌い、肌や髪が痛むと潮風を嫌う……ことさら美しさに気を使う貴族のご令嬢が、まだ婚約しているだけのなんの義務も発生しない状況で、この街にやってくるとは夢にも思わなかったのだ。
(……大方、どこぞの商家の娘っ子で騙くらかして、有利な契約でも結んじまおうって腹かと思ってたんだけが……――まさかの本物かよ……)




