109
「――なんとか持ち堪えてくださるといいのだけれど……」
ため息混じりに呟いたビアンカの言葉にリアーヌが首を傾げる。
「ならないほうがいいの? 王族や貴族がみんな望んでるから、圧が凄いって話じゃなかった?」
「――私にとっては、少しでも遅いほうが都合がいいの。 少なくとも卒業して嫁ぐまでは堪えていただきたいわね――数々の流行を作り出してる商家が膿を出し切った状態で叙爵? 貴族の義務を理由に弱体化させたい家が、その特権で大きく強化されたりなんかしたら、貴女繋がりでゼクス様と繋がりのある私までとばっちりを受けるじゃない……――パラディール家の彼の方は世界の中心にいないと我慢ならない方なのよ? ……夫婦揃って胃痛を抱えながらの結婚式なんてゴメンだわ」
「本当に嫌いじゃん……――待って? そうなると私だってフィリップ様にイヤミ言われちゃう? ……絶対ヤなんだけど」
「……今さらそんなこと言っても……――まぁ、あの人だってバカではないんだからあなたに直接どうこうは言ってこないわよ」
「辛辣……――本当に言ってこない? 本当に大丈夫⁇」
「隣にいるであろう方に絡んだりイヤミを言ったりすることはあっても、あなたからの好感度を下げることは本意ではないでしょうからね」
「……なら? でも――正直あの二人の会話なんか怖いんだよねぇ? ……隣で聞くのもご遠慮したいよ」
「あの二人も、相性が悪すぎよねぇ……――この先どこまで行っても分かり合える日なんて来ないでしょうから諦めなさいな」
「ええー……」
「それがラッフィナート男爵家へ嫁ぐ女の心構えでしてよ」
ビアンカはクスリと笑いながら茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
そんなビアンカに釣られるようにリアーヌも笑顔を浮かべ――ふとあることに気がつき、苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「……男爵が侯爵とやり合えるって、それはそれで凄いね……?」
「――そんな凄い方に嫁げて良かったじゃない?」
ビアンカもリアーヌの言葉に同意するように苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
ビアンカの言葉にリアーヌは笑って返すつもりだったのだが――
不意に湧きあがった不安に、上手く笑顔を作ることが出来なかった。
(もしも主人公がゼクスと 運命の出会いを果たしてしまったら私はどうなるんだろう……?
そもそも、私という婚約者がゲームに全く出てこなかった理由が、ゲームスタート時には婚約破棄されてたから――とかだったら、確実に婚約破棄を迎えちゃうけど……?)
そんなことを悶々と考えていたリアーヌはビアンカが不審そうに自分を見つめているのに気がつき、ヘラリとヘタな笑顔を浮かべる。
しかしそれでも不安は消しきれず――
「ちゃんと嫁げたらいいんだけどね……」
と、ポソリ……と心の声を漏らしてしまった。
そんなリアーヌの姿にビアンカは目を大きく、そして丸く見開くと「あなた……」と小さく呟いた。
「――愛想つかされないように気をつけなきゃね?」
さすがに、まだ何も起こっていない現状で「婚約破棄されるかも……」などという根拠のない相談を持ちかけるわけにはいかないとリアーヌは、ごまかすように無理やり笑顔を貼り付け、冗談めかして大きく肩をすくめた。
そんな様子に“なにか”があったのだろうこと、そしてリアーヌがそのことについて詳しく話すつもりがないということを察したビアンカは、困ったように肩をすくめながら口を開く。
「そうね、私も気をつけなきゃ。 ――でもあなたのところも私のところも、家同士のつながりは決して薄くはないでしょう? だから今さら婚約を破棄するなんて、そう簡単には出来ないと思うわ」
「……そう、かな?」
ビアンカの諭すような優しい言葉に、リアーヌはすがるような眼差しを向け、念を押すようにたずねた。
「――ええ」
「……そっか」
頷くビアンカに、ホッとしたようにエヘヘ……と笑うリアーヌ。
ビアンカはそんな友の顔を見つめ、少し言いにくそうに、しかしグッとお腹に力をこめてはっきりとした口調で語りかける。
これまでの会話で、ビアンカはリアーヌの抱える問題がゼクス関係であると確信していた。
そして、それならば自分は目の前の友人にかけなければいけない言葉があるということも――
「――でも、心を許しすぎてはダメよ」
「……え?」
「……私たちの結婚はね、続けることに意味があるの……誰だって良好な関係のまま続くことを願うけれど……――そうならない場合も、まぁ……あるわ。 ――そうなった時、あなたは自分で自分の心を守らなきゃいけない。 だから――そのために心を許しすぎてはダメ」
「……――そう、なんだ」
ビアンカの真剣な――そして悲しそうな顔を見つめながら、リアーヌはその瞳を大きく揺らす。
「……歩み寄りは大切。 尊敬することや思いやることも。 ……けれど心を寄せすぎるのは良くないわ」
「――そっか」
そうポソリと呟いたリアーヌはなにかを考え込むかのようにうつむき、パッと顔を上げた時にはすでに気持ちを切り替えていたのか、ヘラリ……と笑顔をビアンカに向け口を開いた。
「――うん。 大丈夫! だって一番最初は従業員として雇ってもらうって話だったんだし、そう思ってれば問題ないよ!」
そのリアーヌの発言にビアンカはギョッと目を丸くしながら、口を開いた。
「……まさかとは思いますけど、あなた嫁いでなおラッフィナート商会の店舗で一店員として働くつもりでいますの……?」
「そうだよ? だって月金貨五十枚だよ⁉︎ どうして諦められるの⁉︎」
「普通諦めますでしょ⁉︎ 嫡男の嫁とは言っても、現役の男爵夫人ですのよ⁉︎ 令嬢とは違うでしょう!」
「そういう贔屓良くありませんー!」
「贔屓とかの話じゃないわよ!」
その場所にはおよそ似つかわしくない言い合いは、ほかのご婦人方がその休憩所の扉を開けるまで続きいた。
そのご婦人方の登場にようやく言い合いを辞めた二人だったが、ハッとしたようになにかを思い出し、二人同時にゆっくりとビュッフェのほうに視線を移した。
――そのには数人のメイドが立っていて、今も変わらず真っ直ぐと前を向き、少し顔を伏せていた。
――全員が何かに耐えるようにその唇を噛み締めながら。
(……聞かれたね?)
(そりゃ、聞こえないわけがありませんものね……?)
視線だけで会話をした二人は、ふふふっと困ったように苦笑を浮かべながら肩をすくめ合うのだった――




