何のために
楽しそうに動画配信をする旧友の姿を見て、こういう生き方も良いなと思いつつも、多分、俺の人生にこの可能性はない、と思った。
もし自分に特別な力があったら、もし自分が特別優秀だったら。昔はそんなことを何度も夢想した。でも現実には目の前のことを処理するのに精いっぱいで、たとえ自分がどれほど優秀であろうとその域から出ることは決してないと、大人になって気づいた。
個に依存するシステムというものはいずれ破綻するものであり、社会を成立させない。故に、突出した個人というものは"社会を維持する"という観点からは不要なのだ。その為、彼らはその優秀さを主に無能な人間の尻ぬぐいに使われる。そして無能な人間というのはその事に気づかず、自身の無能を棚に上げて他者を非難する。
別にそれでいい。
それに納得して生きてきたから。
今更雨が降ることを不思議には思わない。
でも、そうだとするのなら。この突出して特別な力は何のために使われるべきなのか? 誰の為に使われるべきなのか?
配信を見終わった俺はスマホを手に取る。そこには一通のメールが届いていた。
『公益財団法人原子力安全研究協会 研究支援部』より
翌日、メールのやり取りで予約した時間。港区の原子力安全協会に来ていた。
受付で案内を受け、エレベーターを使って地下に降りる。案内されていた会議室に入ると、スーツを着た4人の男性が席に座っていた。
「お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございます。イルベリ・ベレアと申します。よろしくお願いします」
「どうぞ、お掛けになってください」
着席し、4人の紹介を受ける。廃炉技術担当に燃料デブリ取り出しプログラム部。相当に立場のある人なのだろうと思う。
「まず、未だに信じがたいのですが、本当に放射線の影響を受けることなく作業が出来るのですか?」
「出来ます。おそらく高度の放射能汚染も何の影響もありません。不安でしたら実験して頂いても構いません」
「実験すると言ってもね……」
ゴミが増えるだけだろ。と。小声で誰かがそう言ったのが聞こえた。
「メールでもお伝えしました通り、放射線に限らずあらゆる物理的干渉による損傷を受けません。そうですね、何かいらないペンなどはありますか?」
怪訝な顔をした男性からボールペンを受け取る。それをしっかりと右手で掴み、テーブルの上に置いた自身の左手の掌に強く突き立てた。当然のように、左手には傷一つつかず、金属製のボールペンが不自然にぐにゃりと溶けるように変形した。
その光景に、ざわついていた4人は絶句する。
「貴方が、その……尋常な存在でないことは良くわかりました。ただ、現場では何が起きるかわからない。もし、何か問題があったとしても、何も出来ませんよ? 遺体の回収さえ何十年も先という事もありえる場所だ」
「別に構いません」
「何か特別に必要なものはありますか?」
「作業の為の工具と食事さえあればそれで大丈夫です」
「わかった、現場に手配しよう」
数日後、俺は福島第一原発に来ていた。許可を得て中に入り、無数に並ぶ処理水のタンクの山を抜け、汚らしく錆の目立つ鉄板と鉄骨に変わり果てた原子炉建屋の前に到着する。本来であれば全身を防護服で覆っていなければ近づくことすら許されないこの場所に、1000円で買った綿パンとTシャツ1枚で立っている。
原子炉建屋の中に入り、格納容器の周りをぐるりと歩いて回る。分厚いコンクリートに覆われた巨大な格納容器を見てため息が出た。これを全部手作業で解体するのか。
1mくらいの長さのあるくっそでかいハンマーを手に、大きく振りかぶって鉄筋コンクリートの壁をぶん殴る。普通の人間の力で鉄筋コンクリートに穴をあけるのは無理だが、一発殴りつけただけでコンクリートは粉々になり、歪んだ鉄筋が丸見えになった。何度も殴りつけ、人が歩いて入れるくらいの大きさの穴をあけ、バカでかいペンチみたいな鉄筋カッターで一本ずつ鉄筋をペチペチ切っていく。
砕いたコンクリートの破片や鉄筋を一輪車に詰み、建屋の外に配置してある回収コンテナに入れた。あとはこの単純な作業を繰り返していくだけなのだが。
破壊したコンクリートの穴の奥に見えるのは、金属の壁。
ドライウェルとかいうやつか。
4cmかそこらの分厚い鋼板。どう考えても手作業でどうにかできるものではない。戸愚呂なら3分で平にするだろうが。
知らん。
なんとかなれーー!!
全力でハンマーをぶん回して鋼板を殴りつける。すると信じがたいが、鋼板は溶けるように変形し、穴をあけた。普通、ハンマーの方が壊れると思うのだが……
物理反射の特性が手に持っているものや身に着けているものにも影響しているのだろう。たぶん。
続けてドライウェルの鋼板を溶かすように切り、人一人が入れる程度の穴をあけた。
この穴から高線量の放射性微粒子が外に出まくることになるけど、まあ多少はしょうがない。中は普通なら即死できるレベルの線量だと思うが、特に体調に異常は感じない。ま、仮に異常が出てもあいつに回復魔法を使ってもらえばなんとかなるだろう。
内部をランタンで照らすと、底には水がたまり、溶けたコンクリートや錆びた金属の破片が散らばる。
さてどこから手を付けようか。
やっぱり中央にあるはずの燃料デブリから処理するべきか。
底に水がたまってはいるが、作業の為に冷却水を止めて水位は下がっている。アルミの梯子をかけ、格納期の底へと慎重に降りていく。そして元はペデスタルだった中央のコンクリートの塊をハンマーでぶん殴る。コンクリートが砕け、金属に衝撃が響き渡る不気味な音が、格納容器の中で反響した。
格納容器の中のものは全て専用の容器に入れる事になっている。破片を回収し、クソ重い分厚い金属板で作ったバケツみたいな専用容器に突っ込んでいく。
ペデスタルを崩し、穴をあけ、底面のコンクリート片や泥を救い上げ、ひたすらバケツみたいな容器に詰めていく。JCOもこんな感じだったんだろうか。バケツがいっぱいになるとしっかりと蓋をして、外に出す。
これ1回で何十キロ分くらいだろう。燃料デブリは1~3号機全部合わせると880トンもあるらしいが、気が遠くなる作業だ。
持ってきた容器はいっぱいになったが、まだまだ底はたくさんの泥や破片だらけだ。
薄暗い格納容器の中で、淡々と作業を続けていく。
疲れを知らない体だが、食事は必要らしい。いったん建屋の外に出てバッグからサンドイッチとペットボトルを取り出し、地面に座って食べる。卵サンドとマッチ。炭酸は気分転換になって良い。
大きな物音のする方を見ると、クレーン車やトラックが近づいていた。厳重に防護服に身を包んだ作業員が、新しい容器を持ってきてくれていた。そしてクレーンがデブリでいっぱいになった専用容器をうまくバケツの持ち手部分にひっかけ持ち上げる。そしてトラックの上の一回り大きな容器の中に入れ、器用に回収していった。
作業の状況は外から監視カメラで見られているので対応がはやい。
食事を済ませ、再びデブリの回収作業に戻る。
水に浸かったデブリをスコップで救い上げ、容器に入れる作業をひたすら繰り返す。
破片をあらかた回収できた頃には夜が明けていた。
これでも全体の作業のうちのごくわずかでしかない。この構造物を全部一人で崩して更地にするまでやるとかいったいどれだけかかるのやら。
再び建屋の外にでると、新しいバッグが置かれていた。中には食べ物が色々入ってる。やたらカロリーの高そうな菓子パンやカツサンド、おにぎり類。アミノ酸飲料やジュース類からお茶。バームクーヘンかな?結構お高そうなお菓子も入っていた。
明らかに最初と待遇が違うなぁ。
それと一緒に、携帯電話が入っていた。手に取るとすぐに着信音が鳴った。
「疑って申し訳なかった。格納容器を見て諦めて帰るだろうと思っていたが、まさかここまでやっていただけるとは思いもしなかった。あなたのおかげで、この1日で廃炉作業が20年は進んだはずだ。本当にありがとう」
「いえいえ、建屋の中に入れるだけでも相当難しい判断をされたことと思います。こちらも協力出来て嬉しく思います。次は圧力容器に穴を開けて圧力容器内のデブリを回収する予定です」
「すまないがよろしく頼む。それとまだサンプルを調査中ではっきりとはしていないが、想定していたよりも線量がかなり低いようだ。何か特別な事でも?」
「いえ、とくには何も。ただ、そうですね……この体質は物理反射と友人は言っていたのですが、より正確には加害するものを損傷する現象を引き起こす概念、のようなんですよね」
「つまり被爆が加害されたと扱われ、放射性物質の崩壊が著しく早まったということか?」
「単純に崩壊が早まるなら一時的な線量の増加や激しい発熱があるはず……ですよね? 特にそういうのもないので、何らかの形でエネルギーを喪失させているようですが、詳しくはわかりません」
「なるほど。なんだかよくわからないが、良い方向に転がってはいるようだ。申し訳ないが、引き続きよろしく頼む」
「お任せください」
圧力容器の内部の処理には数日を要した。ハンマーで内部の金属を変形させては塊へと変えて搬出する作業をひたすら毎日夜通しで繰り返した。容器そのものの解体にはさらに時間がかかり、作業を開始して10日ほどが経過してようやく圧力容器を完全に解体することができた。その後使用済み燃料プールからの燃料棒の取り出しも終わり、1号機はほぼ廃炉が終わったと言ってよい状況になった。
継続した詳細な調査でやはり線量が大きく低下していることがはっきりと明らかになった。
格納容器の内部は既に通常の作業員が防護服を着て問題なく作業が出来るレベルにまで線量が低下しており、残りの解体作業は他の作業員に任せることにした。
2号機もやることは同じ。使用済み燃料棒を回収し、格納容器に穴を開け、デブリを回収する。2度目ともなると作業も効率的になっていた。線量が低下することから回収容器はより大きなものになって回収効率が大きく上がった。ハンマーも一回り大きくなり、最初のは6kgくらいだったが、新しいものは10kgをゆうに超えている。こんなの普通の人に使えるのか。
毎日毎日バカでかいハンマーをぶん回し、破片を作っては回収する事の繰り返し。一週間ほどかけて2号機を解体し、そして同様に3号機も解体していく。ついでに燃料の残っていない4号機も解体し、1か月ほどかけて福島第一原発の全ての格納容器の解体が終わった。
全てが終わって。
もう少し達成感とか、そういうものがあると思っていた。でも特に何もない。しいて言うならやることがなくなって退屈になってしまったなと、空虚な感覚に襲われていた。まだ無心でハンマーを振っていた時の方が満ち足りていた。
これで少しは世の中が良くなったのだろうか?
俺を刺して死んだ男性の一生分くらいは、世の中の役に立っただろうか?
東京電力は廃炉の方法について記者から何度も質問を受けたが、特定機密のため解答できないという事で押し切っていた。一部では美人のねーちゃんがハンマーで燃料デブリをぶっこわしたんやという噂が流れたが、あまりにも非現実的過ぎる話の為、都市伝説扱いされそれを本気で受け取る人は一人もいなかった。
東京に戻った時に、報酬の話がしたいと言われ、燃料デブリ取り出しプログラム部のおっさん達と食事に行くことになった。今思うと完全に彼らのメンツを潰してしまったことになるのだが、電話口の彼らは楽しそうにしていた。
この体になってから胃もたれというのも当然のように無くなっていた。食べてみたかったけど、食べられなくなったものにでも挑戦したいな、なんてそんなバカげた考えでCoCo壱に行くことにした。トッピング全部のせっていうのをやってみたかったんだ。
店についてみると、貸し切りの看板が出ていた。
そういうお店じゃないだろ、そこまでやっていいのかと思いながら入ると、中はスーツを着たたくさんの人でいっぱいで、入店と同時に歓声が沸き上がった。
「お疲れ様!」
店中に労いの言葉が大きく響き渡った。
別に、こんなもの、求めていなかったのに。
そう思ったけれど、手で熱くなった目頭を押さえていた。
戸愚呂、地獄に行く前に廃炉作業しろ(アゼリューゼ)
っていうか現実にはデブリの量が多すぎてこのペースだと絶対容器の方が間に合わないだろうっていう