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黒猫と人形遣いの禁呪録  作者: 白井ムク
第一章 マリアベル
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05.ところで、シスター。人形劇を観たことある?

 木こり小屋は、長い間人の手が入っていない様子だった。外壁はところどころ朽ち、隙間風が容赦なく吹き込んでくる。寒々しい空気が室内に満ちていた。


 男は何も言わずに外から薪を運び入れると、暖炉にそれをくべ、ランタンの油を垂らして火をつけた。

 青白い炎が小さく揺れ、薄暗い小屋の中をほのかに照らし出す。


『……ずいぶん汚いところね。こんなところじゃ寝られないわ』


 ロゼが部屋の四方を一瞥し、不快そうに「にゃあ」と短く鳴く。そのまま火のつき始めた暖炉のそばで、何事もなかったかのように丸くなった。


 マリアベルは冷たい風を防ごうと、小屋の隅に転がっていた板を壁に立てかける。それからちらりと男を窺った。


 外套とビーバーハットを脱いだ男の白髪が、灯火の揺らめきの中で際立つ。その顔立ちはどことなく亡霊のように見えた。それにしても——


(……いったい、どちらのご出身なのかしら)


 先ほど目にした剣さばきは、この地の技術とは思えない洗練されたものだった。


 それだけでも得体が知れないのに、さらに気になるのは彼の腰元に吊るされた剣だ。鞘に収まっているにもかかわらず、その存在だけで空気を歪ませるような圧迫感を放っている。見つめていると、ぞわりと背筋が凍りつく。それはただの武器ではなく、なにか禍々しい力を秘めているような錯覚を抱かせる代物だった。


(あの剣で、いったいどれほどの命が散っていったのでしょう……)


 その刃が奪った命の中には、獣だけでなく人も含まれているのかもしれない。そう思うと、胸に小さな棘が刺さるような感覚が広がる。


 けれど、マリアベルは深く考えようとはしなかった。

 知るべきでないこともある。触れるべきでない秘密もある。そう自分に言い聞かせ、彼女はそっと視線を逸らした。


 やがて、小屋の中の準備が整い、暖炉の揺れる炎を眺めるうちにマリアベルの心はようやく落ち着いてきた。

 だが、疲労は否めない。目を閉じれば、今にも眠りに落ちそうだった。


 ——と。


 そのとき、唐突に男が手を伸ばしてきた。

 マリアベルは思わず「ひっ」と声を漏らし、身を引いた。しかし男の手はただ前に差し出され、低くぶっきらぼうな声が響く。


「靴を寄越せ」

「……え?」

『あなたのブーツを直したいみたい。黙って従ったほうがいいわよ』


 ロゼが火のそばで丸まったまま、どこか楽しげに呟く。


『誰かに手を差し伸べるなんて、この男にしては珍しいんだから』

「余計なことを言うな」

『なによ、本当のことじゃない』


 男の声にロゼが軽く返すが、二人の言い合いを止めるべく、マリアベルは慌てて靴を脱ぎ、男に差し出した。

 男は無言で靴を受け取り、裁縫道具を出すためか、トランクを開ける。


 ——と。


 その中には、彼女が予想もしなかったものが詰め込まれていた。


「まあ……」


 トランクの中は驚くほど整然としており、鎖で縛られた古びた本と並んで、二体の人形が肩を寄せ合って座っていた。


 大剣を抱えた白い騎士と、杖を持った魔女——。


 その姿は骨董品にも見えたが、どこか奇妙な生命感を漂わせている。騎士は、ずんぐりむっくりした身体に重厚な鎧兜を纏い、胸には三本の矢が深々と突き刺さっている。一方の魔女は、紫のローブを纏い、意地悪そうな笑みを浮かべている。

 長年使い込まれたのか、二体の人形のあちらこちらにはつぎはぎが目立つ。


「そのお人形は……どなたかへの贈り物ですか?」


 恐る恐る尋ねると、男ではなくロゼが答えた。


『商売道具よ。この男は人形遣いなの』

「人形遣い? 剣士様、ではないのですか?」

『剣士様だなんて』


 ロゼはくすくすと笑う。


『この男はただの変わり者。お人形遊びが大好きな、人形遣いさんなのよ』

「おい」


 ロゼの言葉に男が針を持つ手を止め、不機嫌そうに呟いたが、ロゼはどこ吹く風だ。


『ところで、シスター。人形劇を観たことある?』


 突然の問いに、マリアベルは少し戸惑った表情を浮かべた。


「人形劇、ですか?」


 声に迷いが混じる。今の状況で出てくる言葉としては、あまりに突飛だったからだ。

 ロゼがふさふさと尾を揺らしながら、期待するような目で彼女を見つめる。


「ええと……確か、幼いころに一度だけ首都で……」


 記憶を辿るように、彼女は静かに答えた。目の前に広がった舞台の記憶、観客たちのざわめき、そして人形たちの動き。遠い日の思い出がぼんやりと浮かび上がる。


「舞台で、小さな人形が動いて……でも、あまりよく覚えていません。子供心に、不思議で、少し怖かったような気がします」


 そう語りながら、マリアベルは微かに首を傾げた。


「どうして、そんなことを?」


 彼女が恐る恐る尋ねると、ロゼは意地悪そうに目を細めながら、軽く笑った。


『ただの興味よ。ここに人形遣いがいるんだから、人形劇の話くらいしてもいいでしょ?』


 その言葉に、マリアベルは「ああ、そういうことですか」と小さく頷いた。

 話題が移り、マリアベルはほっと息をつく。しかし、心の奥底では先ほどの人形たちの目線が、どこか奇妙に感じられていた。


 人形たちは、今もトランクの中からじっとこちらを見つめているような気がする——そんな錯覚を振り払おうと、彼女は深く息を吸う。


(……疲れているだけ、ですよね)


 そう自分に言い聞かせ、揺れる火影を眺めながら、マリアベルはやがて眠りに落ちた。


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