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黒猫と人形遣いの禁呪録  作者: 白井ムク
第二章 エドガーとアイシェ
17/50

17.なるほど、初心者入門編ってやつね

第二章、開幕——

 魂の契約が終わると、マリアベルを急激な眠気が襲った。

 そうして、彼女の魂は、静かに聖女の人形に宿った。




  † † †




 マーレ村をあとにして、数日が過ぎたころ——

 夕刻、人形遣い一行は、森と丘陵に囲まれた小さな町ルナセールに辿り着いた。


 空は灰色に覆われ、木造の家々からは焼き立てのパンや干物の匂いが風に乗って漂う。なにもない穏やかな町並み———だが、その静けさの底になにかが潜んでいる……そんな気がしてならない。


『依頼主の屋敷は、あれね』


 町の中心、白塗りの外壁と重厚な石門。威圧感さえ漂わせるその屋敷を、ロゼが見つめる。元貴族の屋敷——現在のルナセール町長の屋敷だ。

 そこが、今回の依頼の始まりである。


『さあ、ちゃっちゃと話を聞いて解決しましょう。エイジスだけでも依頼が山ほど来てるんだから』

「急くな」

『急くわよ。粗悪な魔導書グリモアをつくる写本師が、この国のどこかに潜んでいるかもしれないんだから』


 人形遣いはロゼの言葉を無視し、地面に置いた黒革のトランクの留め金を外す。

 中から取り出されたのは一体の人形——それは聖女の姿をした人形だった。しかし、その髪は乱れ、頬はげっそりと痩け、焦点の合わぬ瞳が左右別々の方向を向いている。見る者に不安と恐怖を掻き立てる不気味な聖女の人形——ただ、その中にはマリアベルの魂が保管されている。


『あら? もう新しいお人形さんの出番?』

「黙っていろ——」


 人形遣いは静かに右手を上げる。人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、まるで見えざる符を描くかのように、その指先が微かな空気の震えを生み出す。

 その間にも口元ではなにかを唱えている。よくは聞き取れないが、呪文のようだ。唱え終わると、彼の口が静かに閉じられる。

 そのタイミングで、彼の両の瞳がいちだんと赤く輝いた。


 ——と。


 霊気が集まりゆくかのように周囲の空気が張り詰める。

 聖女の人形の周囲に淡い光が揺らめき、瞬く間に見えざる符が空中に浮かび上がった。


 そして、次の瞬間——聖女の人形が震え始めた。

 カタカタと乾いた音が不気味に響き、その身体はまるで眠っている魂を揺り起こすように、微細な振動を繰り返す。人形の影が壁に伸び、ゆらゆらと揺れながら奇妙な形に変じる——。

 人形遣いは、懐から儚音の鈴を取り出し、チリン、チリンと鳴らした。


「仕事だ」


 その一言で、聖女が具現化した。


「——あ……人形遣いさん」


 ゆっくりと目を開けたマリアベルは、安心したように微笑んだ。それから、状況を確認するように周囲を見渡す。


「ここ、は……?」

『マーレ村から少し離れたところにあるルナセールよ』

「ルナセール……」


 ロゼが居場所を伝えると、マリアベルはまだ夢心地のような気分でそっと呟く。


『おはよう、シスター。お人形の寝心地はいかがだったかしら?』

「なんとも言えません……目が覚めたら知らない土地。いえ、ルナセールの名は聞いたことがありますが、なんだか、まるで、夢の中のよう……」


 まだぼんやりとした意識のままそう言うと、ロゼがふっと微笑む。


『すぐ慣れるわ。なにせこの男、人形遣いが荒いんだから』

「黙れ」


 睨む人形遣いに、ロゼは『はいはい』と言いながら軽やかに肩をすくめ、次いで、マリアベルの肩にひょいと飛び乗った。


『それで、今回の依頼、あなたがシスターを選んだ理由は?』

「手引だ」

『なるほど、初心者入門編ってやつね。なら、最初の説明は私からするわ』


 ロゼは小さく頷くと、困惑しているマリアベルの頬を肉球で柔らかく撫でた。


『さて——シスター、あなたはこうして具象化したの』

「……具象化?」

『まあ、簡単に言えば、あなたの魂は仮初の肉体を得て、視認され、他者に触れることも、会話もできるようになったというわけ』

「まあっ……!」


 その説明で、マリアベルの意識がはっきりとした。


『ただし、その男の術が解ければ、あなたの魂は人形の中に戻り、再び眠りにつくの。それと……本体の人形が破壊されれば、あなたの魂も粉々になっちゃうから注意してね?』


 ロゼはあっさりと言ったが、最後の言葉は、よくよく考えてみれば恐ろしいことだ。魂が粉々になれば、おそらくもう元には戻れずに消滅してしまうということだろう。


 ただ、マリアベルの驚く表情の内側には、少しばかりの喜びがあった。

 つい先日までは、橋の上で無視され続けたから——それも、霊体だったから仕方がないことなのだが、ようやく他者に触れ、会話ができるようになったと聞いて、なぜだか解放感のようなものを覚える。


『それで、気分はどう?』

「よくわかりませんが——あら?」


 驚きに目を丸くするマリアベルの手から、柔らかな光が溢れる。


「これは……?」

『神聖なる力——「法術」の兆しよ』

「法術……?」

『そう。魔法とは違う。魔法は悪魔と契約した者が扱う力。でも法術は神の力。悪魔に抗う、清浄なる力よ。その男に帰依したことで、力の一端を担うことになる。——つまり、あなたには今までにない力が宿ったということね』

「神の、力……」


 マリアベルは信じられないという顔で自分の両手を見つめた。すでに、光は収まり、もとの手に戻っている。


『徳を積めば、強い法術を行使できる。そうなれば、あなたは本物の聖女と同じくらいの力を手に入れられるわ』

「聖女様と同じ? そのようなすごい力が、わたくしに? でも……」


 でも、なぜ——と、マリアベルがなにかを訊ねるように人形遣いのほうを向いた。


「そこまでだ」


 人形遣いの声が冷たく割り込む。


「時間がない。行くぞ——」


 一人で歩き出した人形遣いを見て、ロゼが慌てる。


『あ、ちょっと待ちなさいよ! さっきは急くなって言ったくせに! ——シスター、早くあの男を追いなさい!』

「は、はい!」


 慌てて人形遣いの後を追うマリアベル。

 しかし、その脳裏では疑問がふつふつと湧いていた。

 ロゼはさっき、『その男に帰依したことで、力の一端を担うことになる』と言った。つまりは、人形遣いにも法術の力があるということなのだろうか。


(どうして人形遣いさんが、法術の力を……? まさか、徳の高い僧侶様なの?)


 言動や容姿で判断するものではないと思いながらも、マリアベルは疑問を抱いたまま、人形遣いの背中を見つめた。

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