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黒猫と人形遣いの禁呪録  作者: 白井ムク
第一章 マリアベル
13/50

13.人間が生きる目的なんてそれぞれよ

「大将ぉ、こっちも片づいたぜーっ!」


 いつの間にか戦いを終えた大男が、大剣を肩に担ぎながら呑気に声を上げた。


「ふぅ……まだ足りないけど、まあこれくらいで勘弁しとくか……」


 魔女が肩を揺らしながら呟く。全身を包んでいた炎が徐々に消え、再び静寂が戻ってきた。


「私たち、役に立ったかい、旦那?」

『役立たずの木偶が自分で後始末をつけるのは当たり前でしょう?』


 ロゼが皮肉たっぷりに返すと、大男と魔女が同時にギロリと睨む。


「おいおい、性悪猫! てめぇには訊いてねぇ!」

「そうさ! 旦那に訊いてるのさ!」


 ロゼはため息交じりに「ニャア」と一声鳴いた。


『まったく、これだから無駄口叩くのが好きな木偶どもは……。さ、さっさと終わらせちゃいましょう』


 人形遣いがちらりとマリアベルを見た。


「トランクを」

「は、はい!」


 マリアベルは慌てて祈りを解くと、身体を包んでいた魔法陣の光がすっと消えた。

 そして近くに置かれていたトランクを持ち、人形遣いのもとへ走り寄る。


「こちらを……!」


 渡そうと手を差し出した瞬間、目が合った。その赤い瞳に、マリアベルは息を飲む。


 燃えるように赤いその瞳。

 だが、ただ冷たく見下ろすだけではなく、どこか懐かしさを含んだような——まるで遠い昔に交わした視線を思い起こさせるような、不思議な感覚が胸をよぎる。


(——この方と、会ったことが……?)


 胸の奥がざわつく。

 けれど、記憶を辿ろうとしたその瞬間、赤い瞳がすっと逸らされた。人形遣いはなにも言わず、静かにトランクを受け取ると、祭壇のほうへと歩みを進めていった。マリアベルはその背を見つめながら、自分の中で膨らみ始めた疑念に戸惑っていた。


 いつか、どこかで——はっとすると、人形遣いはすでにそこになかった。


 祭壇の前に立つ人形遣いの姿が、厳粛な雰囲気を纏っているように見えた。彼は静かにトランクを開け、中から鎖で巻かれた古びた書物を取り出した。

 あの本——ずっと気になっていたそれは、いったいなんなのだろうか。


「鍵を」


 人形遣いが短く言うと、祭壇の上に座っていたロゼがしなやかに首を伸ばした。

 首輪に取り付けられていた小さな鍵を、人形遣いが外す。その手際は無駄がなく、慣れた動きだった。鎖の錠が音を立てて外されると、その瞬間、本がわずかに震えるように見えた。

 マリアベルは思わず一歩下がり、恐る恐る口を開いた。


「いったい、なにを……?」

『グリモアを封印するのよ』


 ロゼが落ち着いた声で答える。


「封印……?」

『そう。こんな代物、人間が扱えるものじゃないわ。これは悪魔の記したもの、つまりは「悪」そのもの』

「悪魔が……なんのためにこんなものを?」

『簡単なことよ。人間に悪い知恵を授けるため。人間は悪に染まりやすく、そして操りやすい……ウェルズ神父のようにね。魔力に魅了され、やがてその力に喰われる。そうして最後には、悪魔の手の平の上——やつらの好き放題よ。醜悪だわ』


 ロゼの言葉は淡々としていたが、その冷徹な説明に、マリアベルは胸の奥が冷たくなるのを感じた。


「ウェルズ神父が、どうしてそんな……?」

『さあね。そんなもの、知る必要があるかしら?』


 ロゼはあっさりと言い切る。

 たしかに、その理由を今さら知ったところで、村が救われるわけでもない。


『でも、これはやっぱり写本ね。こんな低級な奴しか呼び出せないなんて、本当にくだらないわ』


 ロゼはつまらなさそうに「ニャア」と鳴き、祭壇から飛び降りると、マリアベルの足元に寄り添うように立った。


『さあ、封印が始まるわよ——』


 マリアベルは自然と息を詰めた。人形遣いの手にある本が、わずかに震え始める。

 次の瞬間、それは青白い光を放った。光はただの光ではなかった。冷たい空気を纏い、祭壇全体を包み込んでいくようだ。

 その光景に、マリアベルは言葉を失い、ただ見守ることしかできない。


「あの本はなんなのですか?」


 マリアベルが怯えながらも問いかける。

 ロゼは一瞬人形遣いのほうを見やり、肩をすくめた。


『「禁書録インヴェリオス」、またの名を「隠された本」……封印指定を受けた魔導書をまとめたものよ』

「魔導書を……? あの方が、そんなものを……どうして?」

『人間が生きる目的なんてそれぞれよ。あの男はそれを望んだからこうしているだけ。旅の人形遣いだったり、魔導書を封印する「グリモアルカー」の道を選んだりね』

「グリモ、アルカー……」

『……名前なんて、どうでもいいの。覚える必要はないわ、シスター』


 ロゼの声は淡々としている。だがその響きの中には、どこか諦観じみたものすら含まれていた。


「しかし……どうして人形遣いさんはこんな危険な道を望んだのでしょう?」

『さあね。どうしてかしら?』


 ロゼは「ただ」と言って、一瞬人形遣いの横顔を見つめる。


『変わり者なのよ、きっと』


 その言葉には意味深な響きがあった。

 マリアベルはそれを感じ取りながらも、深く掘り下げるべきではないと思った。問いを飲み込み、人形遣いが封印の儀式を進める様子をただ見守る。


(あの方は、いったいなぜ……?)


 知りたい——その思いが胸の内にふつふつと湧き上がる。

 それは単なる好奇心かもしれない。だが、その好奇心の先には、深い闇の世界が広がっている。そこに足を踏み入れるということは、きっと戻れなくなるということ——。


 今日見た光景は、その一端に過ぎない。ロゼと人形遣いにとっては日常茶飯事のことかもしれないが、マリアベルにとってそれは非日常であり、禁忌の領域だった。

 その世界に近づけば、きっと、二度と引き返せなくなる。


『始まったわね』


 ロゼの声が現実に引き戻す。


「これから、どうなるのです?」

『まあ、見てなさい』


 その瞬間、祭壇の上のグリモアが宙に浮いた。しかし、マリアベルは驚かなかった。すでに、不思議という感覚が麻痺してしまったのかもしれない。


 グリモアはゆっくりとめくれ始める。

 その間から、なんとも形容しがたい、いびつな形の文字が浮かび上がる。


『魔導書っていうのは、悪魔が仕掛けた罠なの。ああやって隠された悪魔の文字を引き出してやるのよ。それを整列させると——悪魔の真の名前が現れる』

「名前……? それが現れると、どうなるのですか?」

『簡単なことよ。名前を暴かれた悪魔は力を失い、グリモアはただの紙束になる。それから……』


 ロゼの説明が終わる前に、宙に浮かぶ文字たちが整然と並び始めた。悪魔の文字は、マリアベルには意味もわからないし、読むこともできない。


 だが、その文字たちは次第に人形遣いの手元に引き寄せられ、彼が持つ禁書録に次々と刻まれていく。


 ——と。


 グリモアがぼうっと燃え上がり、灰へと変わった。——終わったらしい。


『ふぅん……やっぱりひどいタイトルね。吐き気がするわ』

「……あの、なんと書かれていたんですか? 悪魔の名前、なんですよね……?」


 マリアベルが恐る恐る訊ねると、ロゼは金色の目でじっと彼女を見つめる。


『シスター、好奇心って時に命取りよ。知ってしまったら……あなたも悪魔に取り憑かれるかもね?』


 ぞっとして思わず目を背けるマリアベルをよそに、ロゼは「ニャア」と軽く鳴くと、一つ欠伸をして、のんびりと毛繕いを始めた。


 まるで、この場がただの昼下がりであるかのように——。

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