第四編「祭りのあと」
祭りは嫌いだ。
たくさんの人混み、喧噪、うるさいくらいの賑わい。
そういったものは、まだいい。
僕が本当に嫌いなのは、祭りのあとだ。
二日続いた神社の祭りが終わると、辺りはさっきまでの賑わいが嘘のように、静かになった。
人もはけ、いるのは僕たち、祭りの関係者だけだ。
父が的屋なので、僕も幼い頃から屋台を手伝い、何度も祭りのあとを見てきた。
本来なら僕だって、友達と屋台を見て回るような年なのだけど……生まれてこの方、見て回る側になんてなったことがない。
だからこそ、余計に嫌いなのかも知れなかった。
普通の子と同じように、楽しめない祭りも……そのあとに感じる、何とも言えない寂しさも。
「あの……」
片づけをしていると、女の子が話しかけてきた。クラスの子だ。
ちゃんと話をしたことはなかったが、控えめな、優しげな笑顔が印象的で、密かに気になってた。
その彼女はというと、真新しい浴衣に身を包んでいた。
そして僕は、汗まみれの法被姿。
途端に恥ずかしくなり、消え入りたい心を押し殺しながら、口を開く。
「すみません、もう終わりなんですよ。商品も完売して──」
「違くて!」
突然の大声に驚いていると、慌てたように言い訳を始める彼女。
「あ、ごめんなさい、大声を出して。商品じゃなく、その、あなたが売り子をやってるってクラスの子に聞いたから、その、……会いたくて」
え? 今なんて? 僕に会いに?
──なんで?
話が飲みこめないでいると、トラックに荷物を積み込みに行っていた父が帰ってきた。
そして僕らの様子を見ると、ははーん、と言いながら頷いた。
「あー、そういうことか。悪かったな姉ちゃん。こいつを待ってたんだろ。お前もホラ、あとはやっておくから、少し散歩でもしながら、その子を送ってやれ。女の子ひとりで帰すわけにいかねえだろ」
それに、と父が続ける。
「祭りのあとも、悪くねえもんだぞ」
父に送り出され、何とはなしに辺りを見回しながら、彼女と歩き出した。
法被は脱いできたが、僕は汗まみれのTシャツ姿。
対して横を歩く彼女は、可愛らしい浴衣姿にまとめ髪。
何だか気おくれするし、それ以上にどきどきする。
ちらちらと横目で彼女を窺うが、何だか浮かない顔つきだ。
……ただ何か話があっただけで、僕と帰りたいわけじゃないのでは。
そう思ってると、痛っ! と小さな声が上がった。
見ると彼女はしゃがみ、鼻緒に手を当てている。
あ。ひょっとして。
「皮がむけたの?」
俯いたまま、彼女が頷く。
僕は彼女を神社の石段まで連れて行き、腰を下ろさせた。
そしてズボンのポケットに手を入れると、小ケースを取り出し、中から絆創膏を出した。
ちょっとごめん、と言って彼女の下駄を脱がし、傷口に絆創膏を貼っていく。
彼女は、されるがままになっていた。
仕事中は怪我が多いから、持ってて良かった。
「これでよし、と。……立てる?」
手を差し出すと彼女は僕の手を握り、立ち上がった。
「……ありがと。下駄なんて、慣れてなくて。張り切って浴衣を着てきたんだけど、すぐ皮むけして。我慢してたんだけど、顔に出ちゃってたかも。ごめんね」
それで浮かない顔をしていたのか。
でも張り切ったって、何のために。
……まさか。僕のため──……?
考えてると、彼女が僕の手に力を込めてきた。
「あ、あのね。まだちょっと痛いから……こうして、手を引いてくれる?」
「……う、うん」
そう答え、二人で石段を下りてゆく。
繋いだ手から伝わる、彼女の熱。
辺りはもう、人混みも喧噪も消え、賑やかさの欠片もない。
寂しいはずの、祭りのあと。
けれど僕にとっては、もう──……。
「ね。祭りのあとって、ちょっと寂しいよね」
さっき考えていたことを、彼女が口にした。
「そうだね。けど」
僕は続ける。握った手に、力を込めながら。
「今は、……そうでもないかな」
「そう……だね。今は、寂しくないよね」
そう言って彼女は、照れたように笑った。
それに応え、僕も笑う。
祭りは嫌いだった。
賑わいの消えた、祭りのあとも嫌いだった。
けれど、隣に君がいれば。
「──祭りのあとも、悪くないよ」